すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ナホム書  >  2013年9月12日祈祷会(ナホム2章、ニネベの陥落)
1. アッシリア衰退を喜ぶ預言者

・ナホムが預言活動をしたのは、アッシリアが衰退し始めた紀元前620年前後である。アッシリアは世界帝国であったが、アッシュルバニパル王没後(前626年)衰退し始め、前612年にはバビロニアにより滅ぼされる。アッシリア衰退の知らせは、被支配の国々には解放の知らせであり、民族復活の時だ。
−ナホム2:1-3「見よ、良い知らせを伝え、平和を告げる者の足は山の上を行く。ユダよ、お前の祭りを祝い、誓願を果たせ。二度と、よこしまな者がお前の土地を侵すことはない。彼らはすべて滅ぼされた。襲いかかる敵がお前に向かって上ってくる。砦を守り、道を見張れ。腰の帯を締め、力を尽くせ。主はヤコブの誇りを回復される、イスラエルの誇りも同じように。略奪する者が彼らを略奪し、その枝を荒らしはしたが」。
・アッシリアは100年前に北イスラエル(ヤコブ)を滅ぼし、ユダ(イスラエル)を属国として、支配下に置いてきた。しかし、アッシリアも大王の死を契機に衰退し、東のバビロニアはアッシリアの支配から脱し、やがて飲み込み、ユダはヨシア王の下で、失われた北王国の領土回復を果たしつつある。預言者はアッシリアの首都ニネベにバビロニア軍が押し寄せる幻を見る。
−ナホム2:4-9「勇士の盾は赤く、戦士は緋色の服をまとう。戦の備えをする日に、戦車の鋼鉄は火のように輝き、槍は揺れる。戦車は通りを狂い走り、広場を突き進む。その様は松明のように輝き、稲妻のように走る。将軍たちは召集されるが、途上でつまずく。人々は城壁へと急ぎ、防御車を据える。流れに面した門は開かれ、宮殿は揺れ動く。王妃は引き出され、衣をはがれて連れ去られた。侍女たちは鳩のような声で嘆き、胸を打つ。ニネベは、建てられたときから水を集める池のようであった。しかし、水は流れ出して「止まれ、止まれ」と言ってもだれも振り返らない」。
・アッシリアは他国を占領すると、占領地の反逆を防ぐために、その地の住民上層部を拉致し、代わりに異民族をそこに移し入れる政策を採ってきた。北イスラエルも占領され、移民が移り住み、異なる民族になってしまった(彼らはやがてサマリア人と呼ばれ、ユダヤ人と対立する:参照ルカ10:25以下)。アッシリアは民族の誇りを打ち砕きながらその領土を拡げてきた。主はそのような不正を許されないと100年前の預言者イザヤは語った。
−イザヤ10:5-8「災いだ、私の怒りの鞭となるアッシリアは。彼は私の手にある憤りの杖だ。神を無視する国に向かって、私はそれを遣わし、私の激怒をかった民に対して、それに命じる『戦利品を取り、略奪品を取れ、野の土のように彼を踏みにじれ』と。しかし、彼はそのように策を立てず、その心はそのように計らおうとしなかった。その心にあるのはむしろ滅ぼし尽くすこと、多くの国を断ち尽くすこと。彼は言う『王たちは、すべて、私の役人ではないか』」。

2. ニネベ陥落の幻

・残虐な支配者アッシリアに神の審判が降る。町は略奪され、王や貴族たちも殺されていく。
−ナホム2:10-13「銀を奪え、金を奪え。その財宝は限りなく、あらゆる宝物が溢れている。破壊と荒廃と滅亡が臨み、心は挫け、膝は震え、すべての人の腰はわななき、すべての人の顔はおののきを示した。獅子の住みかはどこにいったのか。それは若獅子の牧場だった。獅子がそこを去り、雌獅子と子獅子が残っていても、脅かすものは何もなかった。獅子は子獅子のために獲物を引き裂き、雌獅子のために絞め殺し、洞穴を獲物で、住みかを引き裂いた肉で満たしたのに」。
・どのような大国も暴虐の限りを尽くした時には、神によって裁かれ、滅びる。その裁きを通して神は弱い者を救いたもう。それが預言者の確信である。
−ナホム2:14「見よ、私はお前に立ち向かうと万軍の主は言われる。私はお前の戦車を焼いて煙とし、剣はお前の若獅子を餌食とする。私はお前の獲物をこの地から断つ。お前の使者たちの声はもう聞かれない」。
・日本は戦前アッシリアのように諸国に攻め上り、占領した。しかし神はその暴虐故に日本を撃たれ、日本は焦土となり、天皇は人間宣言をした。あの敗戦の背後に神の御手の働きを見た者は少なく、悔い改めも為されなかった。そのため、戦後の日本は新しく生まれ変わることが出来なかった。預言者の声に耳を傾けなかった。
-矢内原忠雄・神の国「日本の国が支那(中国)を撃つのは聖書の示す教えであり、日本は支那を裁く神の怒りの杖であると語る教会関係者がいるが、それは間違っている。神に裁かれたユダの罪よりも、己を高ぶってユダを撃ったアッシリアの罪のほうが更に大きい。今日は偽りの世において、我々のかくも愛したる日本の国の理想、あるいは理想を失った日本の告別の日です。どうぞ皆さん、日本の理想を生かすためにひとまずこの国を葬って下さい」。(昭和12年10月、藤井武記念講演会)

*ナホム2章参考資料 第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白

・わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。まさにこのときにおいてこそ、わたしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて白覚し、あわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。
・わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。
・「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
・終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。

1967年3月26日復活主日
日本基督教団 総会議長 鈴木正久
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