すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エステル記  >  2013年9月11日祈祷会(エステル記5:1-14,エステルが王とハマンを招待する)
1、神の摂理

・4章後半を承け、5章は「それから三日後」の叙述で始まる。モルデカイに説得されたエステルは、ユダヤ人同朋の救済を直接王に嘆願する決心をする、その日から三日後のことである。エステルが決心した日から三日間、スサ在住のユダヤ人すべてが、エステルの決心を支えるため、彼女の願いを入れ、モルデカイ指導のもと、断食祈祷をしたのであろう。エステルも断食し、粗布をまとい、灰をかぶり、彼らと共に祈ったのであろう。彼らの断食祈祷の成果は、しだいに神の摂理となって現れ、彼らの救いに至るのである。
−エステル5:1-2「それから三日後のことである。エステルは王妃の衣裳を着け、王宮の内庭に入り、王宮に向かって立った。王は王宮の中で王宮の入り口に向かって王座に座っていた。王は庭に立っている王妃エステルを見て、満悦の面持ちで、手にした金の笏を差し伸べた。エステルは近づいてその笏の先に触れた。」
・誰であれ、許可なく王の前に立つ者は死刑に処せられると当時の法は定めていた。王の安全を守るための法であったが、王の気分しだいで、どうにでもなる法でもあった。王の意に適えば、王がその者に笏を差し伸べる。そうなれば何の問題もなく、直ちに謁見が許される。王の気まぐれにもみえる、そんな偶然にエステルは賭けるしかなかった。そのとき、王はエステルに笏を差し伸べたので、彼女は見事賭けに勝ったのである。
−エステル5:3-6「王は言った。『王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりと与えよう。』エステルは答えた。『もし、王のお心に適いますなら、今日私は酒宴を準備いたしますから、ハマンと一緒にお出ましください。』王は、『早速ハマンを来させなさい。エステルの望み通りにしよう。』と言い、王とハマンはエステルが準備した酒宴に赴いた。王はぶどう酒を飲みながらエステルに言った。『何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。』」

2、エステル,王とハマンを招待する

・「願いとあれば国の半分なりとも与えよう」というのが上機嫌な王の常套句であった。しかし、そのようなとき王の言葉に惑わされず、丁重に辞退するのが礼儀であり、美徳でもあった。エステルも王の言葉に惑わされず、真の目的を心に秘めたまま、王とハマンを酒宴に招いた。酒宴の席で、王は再度「国の半分なりとも与えよう」と言う。王はエステルの招きにご満悦だったのである。そして、エステルの計画の第一段階は成功したのである。
−エステル5:7-8「『私の望み、私の願いはと申しますと』とエステルは言った。『もし王の心に適いますなら、もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いをお聞き入れくださるのでございましたら、私は準備いたしますから、どうぞハマンと一緒にお出ましください。明日仰せのとおり私の願いを申し上げます。』」
・エステルは王に願いがあることを匂わせるものの、願いそのものは伏せたまま、王とハマンを再度、酒宴に招待する。ハマンに真の目的を気取らせぬためである。
−エステル5:9-11「この日、ハマンはうきうきと上機嫌で引き下がった。しかし、王宮の門にはモルデカイがいて、立ちもせず動こうともしなかった。ハマンはこれを見て、怒りがこみ上げてくるのを覚えた。だが、ハマンは自制して家に帰った。彼は使いを送って親しい友達を送って親しい友達を招き、妻のゼレシュも同席させた。」
・ハマンは王とともに、再度エステルの酒宴に招かれたことで、有頂天になり、気分よろくし王宮を退出したとたん、モルデカイと出会い、気が滅入ってしまう。エステルにより、計画が順調に進んでいることを、知っていたモルデカイは、粗布を脱ぎ通常の勤務に戻っていたが、ハマンに敬礼どころか、立ち上がろうともしなかった。ハマンは込み上がる怒りを耐えて帰宅、親友を招き、妻も同席させ怒りを紛らわせようとした。
−エステル5:12-14「彼は、自分のすばらしい財産と大勢の息子について、また王から賜った栄誉、他の大臣や家臣にまさる自分の栄進についても余すことなく語り聞かせた。ハマンは更に言った。『その上、王妃エステルは御自分で酒宴を準備され、王をもてなされたが、王のお供として誰をお望みになったかと言えば、このわたしだけだった。明日もまた王と御一緒することになっている。だが、王宮の門に座っているモルデカイを見るたびに、そのすべてがわたしにはむなしいものとなる。』妻のゼレシュは、ハマンの親しい友だちと口をそろえて言った。『五十アンマもある高い柱を立て、明朝、王にモルデカイをそれにつるすよう進言してはいかがですか。王と一緒に、きっと楽しく酒宴に行けます。』ハマンはこの言葉が気に入り、柱を立てさせた。」

3.ハマンの策略

・ハマンは成功者であった。自分のすばらしい財産(それは彼が、ユダヤ人撲滅のため、王に一万キカルもの大金を、拠出したことでも証明される)、地位(彼はペルシャの宰相である)、子宝にも恵まれている(十人の子ども、エステル9:10より)これらは彼の成功の証しであった。さらに、王妃エステルの二度にわたる、王と彼だけの招待は彼にとって大いなる名誉であった。(ぬか喜びに終わってしまうが)
・ハマンにとって、モルデカイは不愉快な存在であった。ハマンは権力欲の強い男であったから、その彼に盾つく者がいることは、どうにも我慢にならないことだった。加えて、ハマンに忠告する立場にある、妻や友人たちは賢明ではなかった。彼らはハマンに最悪の助言をしたのである。五十アンマ(約22.5m、1アンマは中指の先からひじまでの長さ約45cm、新共同訳聖書「度量衡および通貨」より)の柱を立て、それにモルデカイを吊るせというのである。彼らは、後にその柱にハマンが吊るされるとは知らなかった。
・王に次ぐ宰相の座にあるハマンは、その地位と権威を誇っていた。彼は財力に加え、政治的権力を得たことに満足していた。王に一万キカルもの大金を献げたことでも明らかなように、権力と財力に満ち足りたハマンがさらに望んだのは、王に次ぐ人物であることを民に示し、民が自分にひれ伏すことであった。22.5mという高い柱へ、モルデカイを吊るそうとするのは、彼に逆らう者の結末はこうなるのだという、見せしめであった。

*エステル5章参考資料
エステル記(ホロコーストを生き抜いて)〜プリム祭(解放記念日)の起源(江札宮夫「聖書の呼ぶ声」から)
1.エステル記は、異教ペルシャの王廷を舞台に、離散ユダヤ人が絶滅の危機に直面したとき、王妃であるユダヤ人エステルが国王の理解と好意を得て、ユダヤ人は死を免れたという物語です。離散民ユダヤ民族が度々遭遇する迫害に対して、神への信頼と王への従順が、民を救うという教訓と希望の大衆文学書です。新共同訳旧約聖書には、正典であるヘブライ語のエステル記のほか、ギリシャ語のエステル記が続編として掲載されています。著作はマカバイ記兇茲蠢阿如BC120から100年ごろといわれます(前3世紀の説もあり)。
2.エステル記の意義―被差別民族の知恵
プリム祭の起源を説明していますが、ディアスポラのユダヤ人は、経済的にも宗教的にも支配者である王の恩恵なしには暮らしてゆけません。その支配者と平和裏に協力するなら安全に生きられるという教訓が、この物語には込められています。ユダヤ人迫害の歴史は、このように大昔から存在したらしい。偉大な宗教を持つが、独自の文化で儀礼的遮断をし、付き合いにくい民族として偏見を持たれ、周辺諸国に嫌われ迫害されてきた歴史は、アウシュビッツ悲劇の起きた遠因でもあるのです。
3.続編(外典)とされるギリシャ語のエステル記―宗教的改訂増補
共同訳の旧約聖書では、続編としてギリシャ語エステル記が載っています。ヘブライ語で書かれた正典は、簡潔に記され、女性であるエステルを中心人物として画かれています。しかし、神については直接語られておらず、宗教的意義が認められないという批判があります。この批判勢力が、ギリシャ語のエステル記を書いたのです。なお聖書中では、あまり尊重されないエステル記ですが、ユダヤ人問題の今日的意味を考えさせる興味深い文書です。箴言(23・1〜8など)やシラ書(13・9〜13)に見られるユダヤ人の寄留民的処世観成立の背景を物語っています。国家権力の保護のない彼らが、神への信頼と支配者への従順を柱に、生き抜いてきた知恵がみられます。
※ハヌカ祭とプリム祭
モーセ5書に基づかないユダヤ教の祭は、マカバイ記にその起源が記されているハヌカ祭(宮清め祭、マカビーの祭)とこのプリム祭です。春最大のお祭であるペサハ祭(過越祭)を前にして、プリム祭は、アダルの月(2月か3月)の14日に、早春の祭として賑やかに行われます。シナゴークでこのエステル記が読まれるだけで、子供だけでなく大人も仮装をして、お祭り騒ぎをするプリム祭には、宗教性が欠如しています。これは、元々プリム祭は異教の祭で、捕囚ユダヤ人のペルシャの新年祭へのユダヤ的適応であったらしい。
※正典エステル記の批判と続編
正典エステル記は民族主義的であり、宗教的意義が全然認められない、異邦人に対する憎悪心を燃え立たせる書とする批判があります。ダニエル記と比較すると明瞭のように、エステル記には、非ユダヤ人との結婚、食物規定を守らない、性的倫理(ハレムに入る)に悖る、など非律法的な記述があります。これは原資料が、初期ペルシャ時代―律法確立以前の伝説であることを示し、マカバイ戦争後のギリシャ語の外典/続編では、この非律法的傾向を律法主義的に改訂増補したものです。しかし、選択権のない離散ユダヤ人、特に女性にとって、支配権力に不従順であることは死を意味していた。その中で、エステルは同胞民族の救いを達成するために断食し、死を覚悟して、王に面会し地位を利用して、その権力を巧みに動かした。絶えず迫害に曝されている離散民のユダヤ人にとって、エステルは、同胞愛の模範的役割を果たしたのであると賞賛されています。
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