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トップ  >  ナホム書  >  2013年9月5日祈祷会(ナホム1章、ユダのアッシリアからの解放預言)
1. 神の報復に委ねる

・ナホムが預言活動をしたのは、アッシリアが衰退し始めた紀元前615年前後である。アッシリアは世界無敵の大帝国であったが、アッシュルバニパル王没後(前626年)衰退し始め、前612年にバビロニアにより滅ぼされる。アッシリアの衰退はその支配下にあった国々には朗報であり、ユダではヨシア王がアッシリアに奪われた領土を奪還し、ユダは喜びに沸いていた。そのような時代背景の中にナホムが登場する。
-ナホム1:1「ニネベについての託宣。エルコシュの人ナホムの幻を記した書」。
・2節からナホムの「アッシリアの支配から解放して下さる主」への賛歌が始まる。その中で繰り返し、「報復の神」が讃美される。ユダは小国故に自分の力では解放戦争を戦えなかった。故に神の正義(報復)に拠り頼み、「神は悪しき支配者を倒して下さる」とナホムは歌う。
−ナホム1:2-5「主は熱情の神、報復を行われる方。主は報復し、激しく怒られる。主は敵に報復し、仇に向かって怒りを抱かれる。主は忍耐強く、その力は大きい。主は決して罰せずにはおられない。その道はつむじ風と嵐の中にあり、雲は御足の塵である。主は海を叱って、乾かし、すべての川を干上がらせられる。バシャンとカルメルは衰え、レバノンの花はしおれる。山々は主の御前に震え、もろもろの丘は溶ける。大地は主の御前に滅びる、世界とそこに住むすべての者も」。
・アッシリアは繁栄を極め、国が滅ぶとは誰も想像さえしなかった。しかし、歴史を支配されるのは主である。ナホムは「主に身を寄せる者を御心に留められる」と讃美する。
−ナホム1:6-9「主の憤りの前に、誰が耐ええようか、誰が燃える御怒りに立ち向かいえようか。主の憤りが火のように注がれると、岩も御前に打ち砕かれる。主は恵み深く、苦しみの日には砦となり、主に身を寄せる者を御心に留められる。みなぎる洪水で逆らう者を滅ぼし、仇を闇に追いやられる。お前たちは主に対して何をたくらむのか。主は滅ぼし尽くし、敵を二度と立ち上がれなくされる」。
・強国は強い故に自分で報復する。2001.9.11アメリカは無差別テロを受けて2,973人が殺された。報復のためにアメリカはアフガンやイラクに侵攻した。その結果アメリカ人が失った命は6,742人、一般市民犠牲者は17万人と推計されている。「神の報復に委ねよ、神が報復される」とは、聖書の一貫した信仰である。
−ローマ12:18-19「あなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われる』と書いてあります」。

2. 弱さ故に強い

・強国の権力は神より付与される。しかしその権力を正しく用いない者から、主はその権力を取り上げられる。アッシリアも被造物であることを忘れ、おごり高ぶった故に、主はアッシリアを打たれるとイザヤは預言した。
−イザヤ10:12-15「主はシオンの山とエルサレムに対する御業をすべて成就されるとき、アッシリアの王の驕った心の結ぶ実、高ぶる目の輝きを罰せられる・・・アッシリアの王は言った『自分の手の力によって私は行った。聡明な私は自分の知恵によって行った。私は諸民族の境を取り払い、彼らの蓄えた物を略奪し、力ある者と共に住民たちを引きずり落とした』・・・斧がそれを振るう者に対して自分を誇り、のこぎりがそれを使う者に向かって、高ぶることができるだろうか。それは、鞭が自分を振り上げる者を動かし、杖が木でない者を持ち上げようとするに等しい」。
・そして今アッシリアの滅亡が近づいている。ナホムは歌う「今、私は彼の軛を砕いてお前から除き、お前をつないでいた鎖を断ち切る」。アッシリアが神に委託されてユダを奴隷にする時は過ぎ去った。
−ナホム1:10-14「彼らは酒に酔いしれ、絡み合った茨のようになっているが、乾ききったわらのように焼き尽くされる・・・主はこう言われる『彼らは力に満ち、数が多くても、必ず、切り倒され、消えうせる。私はお前を苦しめたが、二度と苦しめはしない。今、私は彼の軛を砕いてお前から除き、お前をつないでいた鎖を断ち切る』。主はお前アッシリアについて定められた『お前の名を継ぐ子孫は、もはや与えられない。私はお前の神の宮から、彫像と鋳像を断ち、辱められたお前のために墓を掘る』」。
・ナホムの預言通り、アッシリアは滅んだ。しかし彼の期待した理想国家は来なかった。アッシリアの滅亡により一時的に盛んになった国勢も、やがてバビロニアが新しい支配者となり、ユダは前587年滅ぼされていく。しかし国家が滅亡し、民族が離散しても彼らは滅びなかった。彼らは選びの民なのである。
−申命記7:6-8「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」。
・どのような強国も過渡的存在である。アッシリアは滅び、次のバビロニアも滅び、ペルシャもギリシャもローマも滅んだ。その中で、選びの民、ユダは生き残った。それはユダが弱小国であり、自分の力に頼らなかった(頼れなかった)からだと申命記は示唆する。ユダは弱さを知る故に生き残った。ユダヤ人は迫害を通して民族性は強められた。ノーベル賞受賞者のユダヤ人比率の高さを知る時、そこに「弱さの中の強さ」(2コリント12:7-10)を感じる。
-医学生理賞受賞者182名(内ユダヤ人48名)、物理学賞受賞者178名(内ユダヤ人44名)、化学賞受賞者147名(内ユダヤ人26名)。
・ユダヤ人は1933−1945年のホロコーストで人口の1/3に当たる600万人が殺されたが、民族は生き残った。「弱さを知る強さ」故である。内田樹はレヴィナスを通してその強さを紹介する。レヴィナスはアウシュヴィッツ後に、その民を救わなかった神は信じるに値しないとした西欧ユダヤ人たちに以下のように告げた。
-レヴィナス・成人の信仰「あなたがたはこれまでどのような神をその頭上に戴いていたのか。それは善行をしたものには報奨を、悪行をなしたものには懲罰を与える、そのような単純な神だったのか。だとすれば、それは幼児の神である。だが、私たちがこうむった災厄は神のなしたものではない。人間が人間に対してなしたことである。人間が人間に対して犯した罪を神が代わって贖うことはできない。人間が人間に対して犯した罪は人間しか贖うことができない。神がもしその威徳にふさわしいものであるなら、神は必ずや「神抜きで、独力で、地上に公正と平安をもたらすだけの能力を備えた被造物」を創造されたはずである。神の支援がなければ何もできず、ただ暴力と不正のうちで立ち尽くすようなものを神が創造されるはずがない。人間が人間に対して犯した不正は、人間が独力で、神の支援抜きで正さなければならない。人間が自分ひとりの力で、地上に平和で公正な社会を実現したときにはじめて私たちはこう宣言することができる。「世界を創造したのは神である。なぜならば神が手ずから創造すべき世界を被造物である私たちが独力で作り出したからである。神がなすべき仕事をみずからの責務として果たしうるような被造物が存在するという事実以上に神の威徳と全能を証明する事実があろうか。神を信じるものだけが、神の不在に耐えることができる。成人の信仰とはそのようなものである」。(Difficile Liberté, Albin Michel, p.203)。
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