すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ミカ書  >  2013年8月29日祈祷会(ミカ7章、ミカの嘆きと後継者たちの信仰)
1. ミカの嘆き

・ミカはアハズ王(在位前742−725年)、ヒゼキア王(前725−697年)、マナセ王(前697−642年)時代に、「悔い改めなければ、神はユダ王国を北イスラエル王国(前721年滅亡)のように滅ぼされる」と人々に悔い改めを迫った。しかし誰も聞かず、倫理は地に墜ち、役人は収賄し、裁判は賄賂の高で決定される。預言者は嘆く。
−ミカ7:1-4「悲しいかな、私は夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく、私の好む初なりのいちじくもない。主の慈しみに生きる者はこの国から滅び、人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそかに人の命をねらい、互いに網で捕らえようとする。彼らの手は悪事にたけ、役人も裁判官も報酬を目当てとし、名士も私欲をもって語る。しかも、彼らはそれを包み隠す。彼らの中の最善の者も茨のようであり、正しい者も茨の垣に劣る。お前の見張りの者が告げる日、お前の刑罰の日が来た。今や、彼らに大混乱が起こる」。
・倫理の崩壊、道徳の低下はいつの時代でも起こる。その時、国家も地域も家族も信用できないものになる。しかしその中で預言者は主の助けを待つ。
−ミカ7:5-7「隣人を信じてはならない。親しい者にも信頼するな。お前のふところに安らう女にも、お前の口の扉を守れ。息子は父を侮り、娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう。人の敵はその家の者だ。しかし、私は主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、私の願いを聞かれる」。
・修復できないほど堕落した社会は、一旦壊れた方が良い。新しい建設のためには、古い家屋は壊さなければいけない。イエスもミカの預言を引きながら、そのことを指摘された。新しい道徳の建設である。
−マタイ10:34-39「私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。私は敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。私よりも父や母を愛する者は、私にふさわしくない。私よりも息子や娘を愛する者も、私にふさわしくない。また、自分の十字架を担って私に従わない者は、私にふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、私のために命を失う者は、かえってそれを得るのである」。
・審判は最終時には外国の軍隊の侵略によってなされるが、それを招くのは国内の道徳的退廃である。裁きで恐ろしいのは、神が人間共同体に対して、その罪と強欲さを放置され、その結果共同体が自滅していくことである。
−ローマ1:24-32「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです・・・彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました・・・彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています」。
・しかし、そのような民に神は預言者を立てられる。預言は聞かれないだろう。同時代のイザヤもミカ同様、希望を棄てなかった。その結果、イザヤ書が今に残っている。
−イザヤ8:16-17「私は弟子たちと共に、証しの書を守り、教えを封じておこう。私は主を待ち望む。主は御顔をヤコブの家に隠しておられるが、なお私は、彼に望みをかける」。

2. 後継者たちの信仰

・ミカの預言は聞かれず、彼は失意の内に死んだ。しかし、後代の人々はミカの預言を改めて聞き直す。ミカ書の結末は、後代の預言だ。ミカは来たるべき審判を告げたが、これらの人々は現実に審判を体験している。ユダは倒れ闇の中に伏し(7:8)、人々は神の怒りが亡国を招いたと認識し(7:9)、改めてミカの言葉を聞き直す。
−ミカ7:8-10「私の敵よ、私のことで喜ぶな。たとえ倒れても、私は起き上がる。たとえ闇の中に座っていても、主こそわが光。私は主に罪を犯したので、主の怒りを負わねばならない。ついに、主が私の訴えを取り上げ、私の求めを実現されるまで。主は私を光に導かれ、私は主の恵みの御業を見る。『お前の神、主はどこにいるのか』と私に言っていた敵は、このことを見て恥に覆われる。私の目はこの様を見る」。
・崩れ落ちた城壁は再建を必要とし(7:11)、民は諸国に散らされ(7:12)、首都エルサレムは荒れ果てている(7:13)。しかし人々は、ミカの預言したように、主は救うために審判を下され、散らされた民は再び集められるという信仰を持ち続ける。
−ミカ7:11-14「あなたの城壁を再建する日、それは、国境の広げられる日だ。その日、人々はあなたのもとに来る。アッシリアからエジプトの町々まで、エジプトからユーフラテスまで、海から海、山から山まで。しかし、大地は荒れ果てる、そこに住む者の行いの実によって。あなたの杖をもって、御自分の民を牧してください。あなたの嗣業である羊の群れを。彼らが豊かな牧場の森に、ただひとり守られて住み、遠い昔のように、バシャンとギレアドで草をはむことができるように」。
・かつてイスラエルをエジプトから救い出してくださった主は、イスラエルに再び約束の地を戻してくださる。子国を滅ぼされた民はその希望に生き続ける。
−ミカ7:15-17「お前がエジプトの地を出たときのように、彼らに驚くべき業を私は示す。諸国の民は、どんな力を持っていても、それを見て、恥じる。彼らは口に手を当てて黙し、耳は聞く力を失う。彼らは蛇のように、地を這うもののように塵をなめ、身を震わせながら砦を出て、我らの神、主の御前におののき、あなたを畏れ敬うであろう」。
・最後にミカの後継者たちは、神を讃美してミカ書を閉じる。ミカ書は単にミカの預言を集めただけで無く、数百年にわたる編集の結果、生み出された書なのである。
−ミカ7:18-20「あなたのような神がほかにあろうか。咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に、いつまでも怒りを保たれることはない。神は慈しみを喜ばれるゆえに。主は再び我らを憐れみ、我らの咎を抑え、すべての罪を海の深みに投げ込まれる。どうか、ヤコブにまことを、アブラハムに慈しみを示してください。その昔、我らの父祖にお誓いになったように」。
・ミカは前8世紀に預言し、その預言は当時の人々に聞かれることは無かった。しかし200年後、国を滅ぼされた人々はその預言を聞き直し、罪あるものを赦して再生される神の憐れみを信じた。この希望は新約聖書にも継承され、それは現代の私たちにも継承される。預言の意味がそこにある。
−ルカ7:47-50「『だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない』。そして、イエスは女に、『あなたの罪は赦された』と言われた。同席の人たちは、『罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう』と考え始めた。イエスは女に、『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』と言われた」。
・人は罪を犯し続ける。社会は2000年前に比べて少しも良くなっていない。「預言者が来ても、イエスが来られても何も変わらなかったでは無いか」とも思える。その中で、私たちは希望を持ち続ける。
―ゲルト・タイセン・イエス運動の社会学「イエスは、愛と和解のヴィジョンを説かれた。少数の人がこのヴィジョンを受け入れ、イエスのために死んでいった。その後も、このヴィジョンは、繰り返し、繰り返し、燃え上がった。いく人かの『キリストにある愚者』が、このヴィジョンに従って生きた」。
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2013年8月22日祈祷会(ミカ6章、神を失くした人々への告発)
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