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トップ  >  エステル記  >  2013年8月21日祈祷会(エステル記2:1−23、エステル王妃に選ばれる)
1.現存するスサ王宮の遺跡
−「エステル記」の舞台である古代ペルシャ(現イラン)のスサの王宮は、遺跡として現存する。クセルクセス王は、春の三ヶ月間をスサ、夏の二ヶ月間をエクバタナ、冬の七ヶ月間をバビロンで過ごしたが、政治の中心はスサにあったと伝えられている。現存する王宮の遺跡から、モルデカイがハマンへの敬礼を拒んだ王宮の門(3:3)、エステルが王に近づくため立った王宮の内庭(5:1)、ハマンがモルデカイを木にかけるよう王に進言した王宮の外庭(6:4)、王がハマンに対して怒り、立ち上がって出て行った宮殿の園(7:7)の所在を知ることができる。第二章では、エステル、モルデカイら「エステル記」の主要人物が登場し物語は徐々に核心へ向かう。

2.エステル王妃に選ばれる
−エステル2:1−4「その後、怒りの治まったクセルクセス王は、ワシュティとそのふるまい、彼女に下した決定を口にするようになった。王に仕える侍従たちは言った。『王のために美しいおとめを探させてはいかがでしょうか。全国各州に特使を送り、美しいおとめを一人残らず要塞の町スサの後宮に集め、後宮の監督宦官へガイに託し、容姿を美しくさせるのです。御目にかなう娘がいれば、ワシュティに代わる王妃になさってはいかがでしょうか。』これは王の意にかない、王はそうすることにした。」
・「その後」とは、クセルクセス王がギリシャ遠征に敗れ帰国した前479年頃をさすと考えられる。失意のうちに理性を取り戻した王が落ち着いて考えてみると、すべてにおいて、やり過ぎであったと悔やまれたが、もはやワシュテイを連れ戻そうにも、時すでに遅しであった。ワシュティの復帰は、追放に協力した侍従たちの身にも、危険の及ぶことであったから、彼らは必死に新王妃を迎えるよう王に勧める羽目となったのである。

3.モルデカイとエステル
−エステル2:5−7「要塞の町スサに一人のユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシュ、シムイ、ヤイル、と続くべニヤミン族の家系に属していた。キシュはバビロン王ネブカドネッアルによって、ユダ族エコンヤと共にエルサレムから連れて来られた捕囚民の中にいた。モルデカイは、ハダサに両親がいないので、その後見人となっていた。彼女がエステルで、モルデカイにはいとこに当たる。娘は姿も顔立ちも美しかった。両親を亡くしたので、彼女を自分の娘として引き取っていた。」
・スサは城郭に囲まれた要塞都市であった。捕囚離散の民はこの頃になるとユダ族でなくても、「ユダヤ人」と呼ばれるようになっていた。モルデカイがユダヤ人であることは、後に起こるハマンとの確執の遠因であった。エステルはモルデカイの養女で、彼女の容姿の美しさが強調されているが、それは物語の重要な要素である。
−エステル2:8−11「さて、王の命令と定めが発布され、大勢の娘が要塞の町スサのへガイのもとに集められた。エステルも王宮に連れて来られ、後宮の監督へガイに託された。彼はエステルに好意を抱き、目をかけた。早速化粧品と食べ物を与え、王宮からえり抜きの女官七人を彼女にあてがい、彼女を女官たちと共に後宮で特別扱いした。エステルはモルデカイに命じられていたので、自分が属する民族と親元を明かさなかった。モルデカイはエステルの安否を気遣い、どう扱われるのかを知ろうとして、毎日後宮の庭の前を行ったり来たりしていた。」
・エステルは美しいだけでなく、黙して秘密を守る抑制力があり、モルデカイと心を合わせて目的を達成する能力もあった。モルデカイの気遣いはその彼女への愛情の表れである。
−エステル2:12−14「十二か月の美容の期間が終わると、娘たちは順番にクセルクセス王のもとに召されることになった。娘たちには六か月間ミルラ香油で、次の六か月間外の香料や化粧品で容姿を美しくすることが定められていた。こうして、どの娘も王のもとに召されたが、後宮から王宮へ行くにあたって娘が持って行きたいと望むものは何でも与えられた。娘は夜行き、朝帰って別の後宮に連れて行かれ、側室たちの監督、宦官シャアシュガズに託された。王に望まれ、名指しで呼び出されるのでなければ、だれも再び行くことはなかった。」
・女性の美容法は古代から盛んであった。ミルラは没薬ともいう基礎化粧品で、皮膚をなめらかにした。娘たちはさらに数々の化粧品で磨きあげられ、宮廷の礼儀作法を学んだ。
−エステル2:15−16「モルデカイの伯父アビハイルの娘で、モルデカイに娘として引き取られていたエステルにも、王のもとに召される順番が回ってきたが、エステルは後宮の監督、宦官へガイの勧めるもの以外に、何も望まなかった。エステルを見る人は皆、彼女を美しいと思った。さて、エステルは王宮のクセルクセス王のもとに連れて行かれた。その治世の第七年の第十の月、すなわちテべトの月のことである。」
・エステルはモルデカイのいとこであり養女でもあった。彼女は物欲にとらわれぬ、姿だけでなく、心も美しい娘であった。クセルクセス王治世の第七年は前479年頃である。テベトの月は第十の月の別称で、太陽歴なら12月か1月頃である。
−エステル2:17−18「王はどの女にもましてエステルを愛し、エステルは娘たちの中で王の好意と愛に最も恵まれることとなった。王は彼女の頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃とした。次いで、王は盛大な酒宴を催して、大臣、家臣をことごとく招いた。これが『エステルの酒宴』である。更に王は諸州に対し免税を布告し、王の寛大さを示すにふさわしい祝いの品を与えた。」
・その名を冠した酒宴が開かれるほど、エステルは王の寵愛を一身に集めることとなった。
−エステル2:19−20「再び若い娘が集められたときのことである。モルデカイは王宮の門に座っていた。エステルはモルデカイに命じられていたので、自分の民族と親元を明かすことをしなかった。モルデカイに養われていたときと同様、その言葉に従っていた。」
・エステルは出自を隠していた。研究者によると当時のペルシャでは護身のため出自や、信じる宗教を隠す習慣があったという。それはエステルにとっても好都合なことであった。
−エステル2:21−23「さてそのころ、モルデカイが王宮の門に座っていると、王の私室の番人である二人の宦官ビグタンとテレシュが何事かに憤慨し、クセルクセス王を倒そうと謀っていた。それを知ったモルデカイは王妃エステルに知らせたので、彼女はモルデカイの名でこれお王に告げた。早速この件は捜査されて明らかにされ、二人は木につるされて処刑された。この事件は王の前で宮廷日誌に記入された。」
・王側近の宦官らは王の寝所を守る責任者だが、寝返ればこれほど危険な存在はない。モルデカイは宦官の悪巧みを察知し王を救うが、その手柄が後に彼と民族を救うことになる。
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