すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ミカ書  >  2013年8月8日祈祷会(ミカ5章、神の平和を待望する)
1. メシア預言

・ミカは5章冒頭にメシア預言を掲げる。それはマタイ福音書に引用され、メシアであるキリストの誕生を預言するものと初代教会は理解してきた。
−マタイ2:4-6「王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、私の民イスラエルの牧者となるからである』」。
・マタイの引用は70人訳ギリシャ語聖書からのものであり、原典のヘブル語聖書ではその内容が微妙に異なる。ミカはアッシリア軍によるエルサレム包囲の中で(前701年)、国を滅亡から救済する神からの使者を待望する。
-ミカ5:1-5「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、私のためにイスラエルを治める者が出る・・・彼こそ、まさしく平和である。アッシリアが我々の国を襲い、我々の城郭を踏みにじろうとしても、我々は彼らに立ち向かい、七人の牧者、八人の君主を立てる。彼らは剣をもってアッシリアの国を、抜き身の剣をもってニムロドの国を牧す。アッシリアが我々の国土を襲い、我々の領土を踏みにじろうとしても、彼らが我々を救ってくれる」。
・ミカと同時代のイザヤも、同じ状況の中で救済者の到来を待望する。
-イザヤ11:1-5「エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる」。
・イエスは自分こそ神からの預託を受けたメシアだと自覚されていた。
-ルカ4:16-21「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつもの通り安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった『主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである』(イザヤ61:1-5)。イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した』と話し始められた」。

2. ミカの預言をミカの時代史の中で考える

・ミカの時代、アッシリア軍は撃退された(列王記下19:35-37)。しかし、アッシリアの後継バビロニア軍が100年後に再び押し寄せ、このたびはユダ王国は滅ぼされ、人々は散らされた(前587年)。その中でミカの後継預言者たちは、国の滅亡により散らされた民を、神は必ず戻して下さると預言した。
-ミカ5:6-8「ヤコブの残りの者は、多くの民のただ中にいて、主から降りる露のよう、草の上に降る雨のようだ。彼らは人の力に望みをおかず、人の子らを頼りとしない。ヤコブの残りの者は、諸国の間、多くの民のただ中にいて、森の獣の中にいる獅子、羊の群れの中にいる若獅子のようだ。彼が進み出れば、必ず踏みつけ、引き裂けば、救いうるものはない。お前に敵する者に向かって、お前の手を上げれば、敵はすべて倒される」。
・9節以下では軍馬や戦車や城塞の廃棄が宣言される。「平和は人からは来ない。神の平和には武器は不要だし、魔術も偶像も不要である」とミカは預言する。
-ミカ5:9-13「その日が来れば、と主は言われる。私はお前の中から軍馬を絶ち、戦車を滅ぼす。私はお前の国の町々を絶ち、砦をことごとく撃ち壊す。私はお前の手から呪文を絶ち、魔術師はお前の中から姿を消す。私はお前の偶像を絶ち、お前の中から石柱を絶つ。お前はもはや自分の手で造ったものにひれ伏すことはない。私はお前の中からアシェラ像を引き抜き、町々を破壊する」。
・平和は人々が武器を捨て、ひたむきに主を求める時に来る。それが聖書の一貫した思想だ。
-ミカ4:1-3「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい、多くの国々が来て言う『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。

*ミカ5章参考資料:ジェームズ・マグロー「グランド・ゼロからの祈り」
・テロで破壊された貿易センタービルと同じ地域にあったオールド・ジョン・ストリート・合同メソジスト教会の2001年9月16日から10週間の礼拝説教の祈りを集めた本です。グランド・ゼロ=爆心地に立つ教会が、出来事をどのように受け止めていったのかが祈りの形で記されています。事故から5日後の9月16日、犠牲者の多くはまだ瓦礫の下におり、教会は電気が止まっている中で、ろうそくの明かりの中で礼拝を持ちました。広島やベルリンで起きたことが今自分たちの上に起こったことを悲しみ、亡くなった人に哀悼を捧げながらも、教会は祈ります「仕返しと報復を立法化せよと要求する怒りの声が悲劇の現場から教会の説教壇に至るまで鳴り響いています・・・復讐を求める合唱の中で『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』と促されたイエスの御言葉に聞くことが出来ますように」。
・次の週、町には星条旗があふれ、国内のイスラム教徒はテロのとの関連を疑われて次々に拘束されていきます。「アメリカに忠誠を誓わない者はアメリカの敵だ」との大統領声明が出されます。その中で教会は祈ります「戦争の風が勢いを増しています。どうか私たちに聖霊を吹き込んで下さい・・・私たちの怒りと復讐の要求を平和への切望に取り替えて下さい」。やがてアフガニスタンに対する報復攻撃が始まります。テロの首謀者とみなされたビン・ラディンがアフガンにいると思われたからです。教会は祈ります「現在起きている事件の中で、全ての人々への同情心で私たちを満たすよう、聖霊を送って下さい。その人々とはアフガニスタンの罪なき子どもたち、女や男たちです。おお神様、あなたの愛に満ちた霊を全ての悩める心に吹き込んで下さい」。
・世の人々は同胞を殺された怒りと怖れの中で、アフガニスタンを憎み、攻撃しますが、教会はアフガニスタンの人々のために祈ります。何故ならば、神は「全ての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられ」、「キリストは全ての人のために贖いとして御自身を捧げられた」からです。キリストはアフガニスタンの子供や女や男のために死なれた。神はアフガニスタンの人々が空爆で死ぬことを望んでおられない。「国は間違っている、神様、為政者のこの悪を善に変えて下さい」と教会は祈ります。
・2001年9月11日、テロ攻撃を受けた米国のブッシュ大統領は、報復を求めて、アフガニスタンやイラクを攻撃しました。それから10年、米国防総省発表ではイラク・アフガン戦争の米軍死者は6,742人となり、報道機関推計による一般市民犠牲者17万人を加えれば、アメリカ軍の行動により計18万人の人が死んだことになります。同時多発テロの犠牲者は2,973人でした。報復により、9.11の犠牲者の60倍近い人が殺されたのです。一時はブッシュを支持したアメリカ国民も今ではブッシュの政策は間違っていたと認めます。「自分の手で報復しない、神に委ねる」、平和はそれ以外の方法では来ないのです。
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