すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ミカ書  >  2013年8月1日祈祷会(ミカ4章、終わりの日の約束)
1. 「剣を打ち直して鋤とし」という預言はどこから来たのか

・ミカ書は3章の終わりにエルサレムの滅亡預言があるが(3:12「お前たちのゆえに、シオンは耕されて畑となり、エルサレムは石塚に変わり、神殿の山は木の生い茂る聖なる高台となる」、4章の初めには「終わりの日の約束」がある。3章と4章はうまくつながらない。両者の関係はどうなっているのだろうか。またミカ4章冒頭ほぼ同じ記事がイザヤ2:2-4にあり、関連記事がヨエル3:10にもあることをどう理解したら良いのか。
−ミカ4:1-3「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい、多くの国々が来て言う『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。
−イザヤ2:2-4「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。
−ヨエル4:10「お前たちの鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ。弱い者も、私は勇士だと言え」。
・この終末預言を誰が語ったのかについて、古来、多くの説があった(イザヤ説、ミカ説、第三者説)。しかし内容的には、バビロン捕囚後に再建されたエルサレム神殿(第二神殿)で読まれた典礼の言葉と思われる。紀元前700年前後に預言されたイザヤやミカの言葉が伝承され、それが捕囚後(紀元前4-5世紀)に編集され、その際に別の伝承が挿入され、現在の形になったと言われている。著者が誰であれ、この言葉は戦争に苦しめられた後代の多くの人の心を引き、国連本部の広場の壁に刻まれていることでも有名だ。
-2005年1月朝日新聞天声人語「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。イザヤ2章4節、旧約聖書のイザヤ書に出てくる有名な言葉だ。命を奪い合うための剣や槍を溶かし、命を養うための鋤や鎌につくりかえる。時代を超えて訴えかける平和への祈りである。この言葉がニューヨークの国連本部にある小さな広場の壁に刻まれている。国連事務次長などを務め、1971年に死去したラルフ・バンチにささげられた銘だ。彼は大学時代のスピーチコンテストで、まずこの言葉を引用して演説を始めたという。以来、しばしば引用した愛用の言葉だった。黒人として初めて米国務省長官になり、国連創設にあたって国連憲章の起草にも深くかかわった彼は、50年にノーベル平和賞を受賞した。第1次中東戦争を和平に導いたことが評価された。しかしかの地では、あれから何度の戦争が起き、何度の和平の挫折が繰り返されたことか。ラルフ・パンチの死去に際し、当時のウ・タント国連事務総長が彼をたたえた言葉を思い起こしたい「ラルフは理想主義者であり、また現実主義者でもあった」と述べつつ、和平の試みは「やりなおすのに遅すぎるということはない、と彼は信じていた」。剣を鋤に、が祈りではなく現実になりうる。そう信じて和平への道を探るしかない」。

2.ミカの祈り

・ミカはエルサレムの滅亡を預言したが、滅亡後の再建も視野に入れた預言であった。主は「滅ぼすためではなく」、「再創造されるために」、裁きを与えられるという思想は預言者に共通のものであった。
-ミカ4:4-8「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り、脅かすものは何もないと万軍の主の口が語られた。どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々は、とこしえに、我らの神、主の御名によって歩む。その日が来れば、と主は言われる。私は足の萎えた者を集め、追いやられた者を呼び寄せる。私は彼らを災いに遭わせた。しかし、私は足の萎えた者を、残りの民としていたわり、遠く連れ去られた者を強い国とする。シオンの山で、今よりとこしえに主が彼らの上に王となられる。羊の群れを見張る塔よ、娘シオンの砦よ、かつてあった主権が、娘エルサレムの王権が、お前のもとに再び返って来る」。
・ここにおいては主が「良い羊飼い」として描かれている。良い羊飼いは人間的に見てもう何の望みもないとされる「足の萎えた者」、「追いやられた者」を、「残れる者」として集め、新しい国の土台にする。良い羊飼いはイエスに継承された言葉であり(ヨハネ10章)、「弱い者によって神の国が建設される」とはパウロに継承された言葉である。新約は旧約の土台の上に立てられている。
-汽灰螢鵐1:26-27「兄弟たち、あなたがたが召された時のことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました」。
・14節はアッシリアによりエルサレムが包囲された時のミカの預言であることは確かである。当時、エルサレムを除くユダ王国の領土の大半はアッシリア軍の支配下に入り、エルサレム陥落も必死と思われていた。
-ミカ4:14「今、身を裂いて悲しめ、戦うべき娘シオンよ。敵は我々を包囲した。彼らはイスラエルを治める者の頬を杖で打つ」。
・9-13節がミカの預言かどうかは意見が分かれる。10節「バビロン」を重視すれば、バビロン捕囚時(紀元前597-587年)当時の預言となり、ミカの時代(紀元前700年当時)とは大きくずれる。
-ミカ4:9-13「今、なぜお前は泣き叫ぶのか。王はお前の中から絶たれ、参議たちも滅び去ったのか。お前は子を産む女のように、陣痛に取りつかれているのか。娘シオンよ、子を産む女のように、もだえて押し出せ。今、お前は町を出て、野に宿らねばならない。だが、バビロンにたどりつけば、そこで救われる。その地で、主がお前を敵の手から贖われる。今、多くの国々の民がお前に敵対して集まり『シオンを汚し、この目で眺めよう』と言っている。だが、彼らは主の思いを知らず、その謀を悟らない。主が彼らを麦束のように、打ち場に集められたことを。娘シオンよ、立って、脱穀せよ。私はお前の角を鉄とし、お前のひづめを銅として、多くの国々を打ち砕かせる。お前は不正に得た彼らの富を、主に蓄えた富を、全世界の主にささげる」。
・古代ユダヤは、ある時はアッシリアに蹂躙され、次の時代にはバビロニアに占領され、エジプトが支配権を持った時代もあった。支配者が交代する度に戦争が起き、多くの人々が殺されていった。そのような中で読まれた「主の終末の平和預言」はラルフ・バンチの心を動かして中東戦争を終結させ、日本国憲法の起草者を動かして平和憲法を作らせた。神の言葉への信頼が人類を破滅から救ってきたことを思い起こしたい。
-イザヤ55:8-11「私の思いはあなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道はあなたたちの道を、私の思いはあなたたちの思いを、高く超えている。雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出るわたしの言葉も、むなしくは、私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」。
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