すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ミカ書  >  2013年7月11日祈祷会(ミカ1章、ミカの審判預言)
1. ミカ書はどのような書か

・ミカ書は預言者ミカの預言を集めたものであり、ミカはユダの王ヨタム(在位前747−742年)、アハズ(前742−725年)、ヒゼキヤ(全725−697年)の時代に預言者として活動した。時代的にはほぼイザヤと同じである。
-ミカ1:1「ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉。それは、彼がサマリアとエルサレムについて幻に見たものである」。
・ミカの預言はアッシリアがパレスチナ諸国に侵略し(前733-731年)、征服した諸国に貢納を求め、反発した国々が反乱を起こし、大国の軍事介入が繰り返される時代を背景としている。その動きの中で北イスラエルはアッシリアに攻め滅ぼされ(前722年)、ユダは属国となるがやがて反乱を起こし、エルサレムを除いた領土は奪われ、大量の貢物を払って許される(前701年)。歴史家はこの動きを大国と小国の「権力バランスの結果」と描くが、預言者はそれを「神の裁きと赦しの歴史」として理解する。
-ミカ1:2-5「諸国の民よ、皆聞け。大地とそれを満たすもの、耳を傾けよ。主なる神はお前たちに対する証人となられる。主は、その聖なる神殿から来られる。見よ、主はその住まいを出て、降り、地の聖なる高台を踏まれる。山々はその足もとに溶け、平地は裂ける。火の前の蝋のように、斜面を流れ下る水のように。これらすべてのことは、ヤコブの罪のゆえに、イスラエルの咎のゆえに起こる。ヤコブの罪とは何か、サマリアではないか。ユダの聖なる高台とは何か、エルサレムではないか」。

2.サマリアとユダの裁き

・北イスラエルはアッシリアの属国となっていたが、反乱を起こし、首都サマリアは二年間の包囲の後、陥落し、前722年北イスラエルは国家として滅亡する。サマリア包囲中に語られた預言が1:6-7であろう。
-ミカ1:6-7「私はサマリアを野原の瓦礫の山とし、ぶどうを植える所とする。その石垣を谷へ投げ落とし、その土台をむき出しにする。サマリアの彫像はすべて砕かれ、淫行の報酬はすべて火で焼かれる。私はその偶像をすべて粉砕する。それは遊女の報酬から集めたものだから、遊女の報酬に戻される」。
・古代イスラエルではヤハウェに対する信仰と農業神バアルに対する信仰が混在し、人々は偶像を拝み、神殿娼婦と交わり、その娼婦たちが得た金で像が造られ、神殿の設備が整えられていた。ミカは、サマリアの滅亡が神への背信の結果であるとしてここに描く。その裁きはやがてエルサレムに向けられると彼は預言する。
-ミカ1:8-9「このため、私は悲しみの声をあげ、泣き叫び、裸、はだしで歩き回り、山犬のように悲しみの声をあげ、駝鳥のように嘆く。まことに、痛手はいやし難く、ユダにまで及び、わが民の門エルサレムに達する」。
・ユダ王国はアッシリアに忠誠を誓っていたが、前705年エジプトと同盟を結び反乱を起こした。アッシリアは前701年大軍を持って攻め込み、ユダのほとんどの領土は占領された。イザヤ1章はその時のイザヤの預言である。
-イザヤ1:7-10「お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ、田畑の実りは、お前たちの目の前で、異国の民が食い尽くし、異国の民に覆されて、荒廃している。そして、娘シオンが残った。包囲された町として。ぶどう畑の仮小屋のように、胡瓜畑の見張り小屋のように。もし、万軍の主が私たちのために、わずかでも生存者を残されなかったなら、私たちはソドムのようになり、ゴモラに似たものとなっていたであろう。ソドムの支配者らよ、主の言葉を聞け。ゴモラの民よ、私たちの神の教えに耳を傾けよ」。
・ミカの故郷モレシェトも占領され、住民は殺され、捕囚になった。その時の悲しみの預言が語られる。
-ミカ1:10-16「ガトで告げるな、決して泣くなと。ベト・レアフラで塵に転がるがよい。シャフィルの住民よ、立ち去れ。ツァアナンの住民は裸で恥じて出て行ったではないか。ベト・エツェルにも悲しみの声が起こり、その支えはお前たちから奪われた。マロトの住民は幸いを待っていたが、災いが主からエルサレムの門にくだされた。ラキシュの住民よ、戦車に早馬をつなげ。ラキシュは娘シオンの罪の初めである。お前の中にイスラエルの背きが見いだされる。それゆえ、モレシェト・ガトに離縁を言い渡せ。イスラエルの王たちにとってアクジブの家々は、水がなくて人を欺く泉(アクザブ)となった。マレシャの住民よ、ついに私は征服者をお前のもとに来させる。イスラエルの栄光はアドラムに去る。お前の喜びであった子らのゆえに、髪の毛をそり落とせ。禿鷹の頭のように大きなはげをつくれ、彼らがお前のもとから連れ去られたからだ」。
・戦争は人と人とが殺しあう悲劇であり、人間はその戦争を止めることが出来なかった。それができるのは神だけである。それ故、戦争の悲劇の中で生まれた言葉が、20世紀になり、戦争を終わらせるために立てられた国際連合本部の土台石に刻まれている(イザヤ2:2-4にも同じ預言がある)。
-ミカ4:1-3「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい、多くの国々が来て言う『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。
・戦争を国と国の権力争いと考える時、それを終わらせる事はできない。戦争を、人々を悔い改めに導くための神の砕きと見る時のみ、それを終わらせることができるのではないか。
-エゼキエル18:30-32「それゆえ、イスラエルの家よ。私はお前たち一人一人をその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。私はだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って生きよと主なる神は言われる」。

*ミカ書1章参考資料-歴史をどのように見るのか
・矢内原忠雄は、日本が1931年満州を占領し、1937年には盧溝橋事件を起こして、中国本土への侵略を本格化させた経緯を見て、それを「不正なり」として、「国家の理想」を書き、雑誌に発表した(1937年、昭和12年)。そのために彼は東大教授の職を追われた。
・芦名定道は「矢内原は宗教の存在意義はそれが理想発見の努力を行う点に認められるのであって、その実例として古代イスラエルの預言者イザヤを挙げる。イザヤは、エジプトとの軍事同盟によってアッシリアに対抗しようとした政府(国王)に対して、神の正義に基づく平和を主張した。このイザヤの掲げた正義と平和という理想こそが、バビロン捕囚と民族の離散を超えたユダヤ民族の持続性自同性という、世界歴史上に於ける一の奇蹟的事実を可能にしたのである。イザヤこそ、真の愛国者であった」と矢内原の論文を紹介する。矢内原もミカと同じ視点で歴史を見ている。
-矢内原忠雄・国家の理想「国家の理想は正義と平和にある、戦争という方法で弱者をしいたげることではない。理想にしたがって歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びる・・・アッシリアの罪はユダの罪より大きい・・・今日は、虚偽の世において、我々のかくも愛したる日本の国の理想、あるいは理想を失った日本の葬りの席であります。私は怒ることも怒れません。泣くことも泣けません。どうぞ皆さん、もし私の申したことがおわかりになったならば、日本の理想を生かすために、一先ずこの国を葬ってください」。
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