すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ヨナ書  >  2013年6月27日祈祷会(ヨナ3章、ニネベの悔い改め)
1. ニネベで宣教するヨナ

・ヨナは「ニネベに行って悔い改めを伝えよ」との神の命令に反発し、逃げる。しかし、捕らえられ、神から託された「悔い改めの預言」をニネベで行う。
-ヨナ3:1-4「主の言葉が再びヨナに臨んだ『さあ、大いなる都ニネベに行って、私がお前に語る言葉を告げよ』。ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った『あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる』」。
・当時のニネベはアッシリア帝国の首都であり、世界有数の都市だった。ヨナは宣教の結果を待つために、都を出て、小屋を立ててその中に座り込んだ(4:5は本来的には3:4に続く文章であろう)。
-ヨナ4:5「そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした」。
・ヨナはニネベの回心を本気では望んでいないし、期待してもいない。「どうせ駄目だろう、それでも構わない」と思っている。ところが人々は予想に反して、自分たちの罪を悔い改め始めた。
-ヨナ3:5-9「すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた『人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない』」。
・このような悔い改めは通常は起きない。ニネベは大帝国の都であり、繁栄していた。悔い改めはその都に疫病が発生したり、災いが続出したり、外国の軍隊が迫っている等の危機に際して起こる。しかし、ヨナ書の著者は頓着しない。彼の関心は「ヨナのあり方」であり、ニネベの救いではない。
-ヨナ4:1-3「ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。彼は、主に訴えた『ああ、主よ、私がまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、私は先にタルシシュに向かって逃げたのです。私には、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。主よ、どうか今、私の命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです』」。

2.ニネベの回心を喜べないヨナ

・ヨナにとってニネベとは暴虐の帝国、神の国を苦しめる悪の帝国(北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、南ユダもその支配下に置かれた)、人間の高ぶりの象徴、神に逆らうもの。このような悪を滅ぼすことこそ、神の正義ではないかとヨナは思っていた。だから、いやいやながらニネベに宣教したが、その回心を喜べない。ここには悔い改めた放蕩息子の弟の帰還を喜べない兄の姿がある。兄は弟を「身上を食いつぶした、あなたのあの息子」と呼ぶ。
-ルカ15:25-30「兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです』。兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。兄は父親に言った『この通り、私は何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、私が友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる』」。
・このヨナや兄息子の姿は私たちの姿である。私たちも教会に来て「洗礼を受けた者だけが救われる」と願う時、このヨナと同じ姿になる。それはイエスが最も嫌われた「自らを正しいとする」人の姿である。
-マタイ7:21-23「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者が私に、『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、私はきっぱりとこう言おう『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ』」。
・ヨナは海に投げ込まれて死を覚悟した時に、神からの救済を受け、宣教者になった。それにも関わらず、ニネベの人々の救済を喜べない。この状況は預言者エレミヤも経験している。エレミヤは20年間預言者として働くが、「北からの災いが来る」という預言は実現せず、偽預言者と罵られる。彼は自分を罵る者の死を神に嘆願する。宣教者が宣教の民の死を願うとすれば、彼自身、民のために宣教していたのではないという事実が明らかになる。
-エレミヤ17:15-18「彼らは私に言います『主の言葉はどこへ行ってしまったのか。それを実現させるがよい』と。私は、災いが速やかに来るよう、あなたに求めたことはありません。痛手の日を望んだこともありません。あなたはよくご存じです。私の唇から出たことはあなたの御前にあります・・・私を迫害する者が辱めを受け、私は辱めを受けないようにして下さい。彼らを恐れさせ、私を恐れさせないで下さい。災いの日を彼らに臨ませ、彼らをどこまでも打ち砕いて下さい」。
・人は危機敵状況に際して回心する。しかし、嵐が静まれば、彼の信仰はそれと共に衰える。ヨナもそうであった。いつの間にか、相応しくないのに救われたことを忘れ、相手が救いに相応しくないと言い始める。それを神はヨナに諭される。
-ヨナ4:4「主は言われた『お前は怒るが、それは正しいことか』」。
・ヨナ書は寓話である。しかしその中に真理が込められている。「海嶺」に描かれた船乗り音吉の生涯は「現代のヨナ」とも言える。彼は船の難破を通して、聖書和訳という事業に携わるようになる。この「ギュッラフ訳聖書」が現存する最古の聖書翻訳である。
-1832年(天保3年)、知多半島・小野浦から、千石船・宝順丸が出航した。乗組員は船頭・重右衛門、舵取・岩松、炊の久吉、音吉ら十四名である。彼らは江戸にむかう途中、遠州灘で嵐に会い難破、一年二か月後、生き残った岩松、久吉、音吉の三人は北アメリカ・フラッタリー岬にたどりつく。その地でインデアンの奴隷にされてしまうが、事情を知ったイギリスの商社ハドソン湾会社の援助によって、助けだされ、アメリカで教育を受ける。
-1835年12月、彼等は帰国のため、マカオに送られ、ドイツ人宣教師チャールズ・ギュッラフに預けられる。そのマカオで、音吉ら3人はギュッラフと協力して、世界最初の邦訳聖書「ギュッラフ訳聖書」を完成させる。1837年他の漂流民も含めた7人を乗せたイギリス船ローリー号は、マカオを出発し那覇まで来てモリソン号に乗り換え、日本へ向かう。7月30日、同船が三浦半島の南方に達した時、彼らは幕府の異国船打払令により、砲撃を受ける(モリソン号事件)。音吉たちはやむなく帰国を断念する。その後、音吉は上海で商人となり、1849年イギリスの軍艦マリナー号で通訳として浦賀へ行く。1853年ペリー来航、幕府は鎖国政策を廃棄、その後1854年9月にイギリス極東艦隊が長崎で日英交渉を開始した時、音吉も再度来日し通訳を務め、福沢諭吉などと出会っている。
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