すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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・善行には善い報い、悪行には悪い報いがあるという因果応報思想は、そもそも存在し得ないのだ。なぜなら、善人に善の報いがなく、悪人に悪の報いがないことがそれを証明していると、自らの人生経験に照らしてコヘレトは主張する。
-コヘレト9:1−3「わたしは心を尽して次のようなことを明らかにした。すなわち、善人、賢人、そして彼らの働きは、神の手に中にある。愛も、憎しみも、人間は知らない。人間の前にあるすべてのことは、何事も同じで、同じひとつのことが善人にも悪人にも良い人にも、清い人にも不浄な人にも、いけにえをささげるにもささげない人にも臨む。良い人に起こることが、罪を犯す人にも起こり、誓いを立てる人に起こることが、誓いを恐れる人にも起こる。太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、だれにでも同じひとつのことが臨むこと、その上、生きている間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。」
・人の為すことは、それが善人の働きであっても、賢人の働きであっても、神の御手の中にある。因果応報説は人の世にはありえないのだ。だから、その行為の結果が愛の業となるのか、憎しみの業となるのか、人には予知できないのだ。この世の中で、誰にも起こる最も悪いことは死である。そして誰ひとり死を免れることはできない。生は限りがあり大切なのに、人の思いは悪に満ち、思いは狂い最後に死んでゆく。
-コヘレト9:4−6「命あるもののうちに数えられてさえいれば、まだ安心だ。犬でも、生きていれば、死んだ獅子だ。生きているものは、少なくとも知っている。自分はやがて死ぬ、ということを。しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく、彼らの名は忘れられる。その愛も憎しみも、情熱も、すでに消え失せ、太陽の下に起こるどれひとつにも、もう何のかかわりもない。」
・死んだライオンより、生きている犬の方がましなように、人は生きてさえいればまだ幸いだ。いずれ自分が死ぬということは、生きている者は誰でも知っている。死んでしまったら何も彼も終りになる。死者は何も知ることはできず、現世から何の報いも受けられない。愛も憎しみも、情熱も消え失せ、その名は歳月の流れと共に忘れ去られる。そして人の世で起こるどんな小さなこととも、関わりがなくなってしまう。
-コヘレト9:7−10「さあ、喜んであなたのパンを食べ、気持ちよくあなたの酒を飲むがよい。あなたの業を神は受け入れていてくださる。どのようなときも純白の衣を着て、頭には香油を絶やすな。太陽の下、与えられた空しい人生の日々、愛する妻と共に楽しく生きるがよい。それが、太陽の下で労苦するあなたへの、人生と労苦の報いなのだ。何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならないあの陰府には、知恵も企ても、知恵も知識ももうないのだ。」
・あなたの業は神に祝福されているのだから、パンを食べ酒を飲み生の喜びを、思い切り味合うがよい。神の御前に清く正しく生きなさい。愛する妻と共に楽しく生きることは、空しい人生を充実させてくれる、それがあなたへの労苦の報いなのだ。いつか行かねばならぬ来世では、知恵も知識も役に立たないのだから、短かい人生を生ける限り精一杯生きるがよい。
-コヘレト9:11−12「太陽の下、再びわたしは見た。足の速い者が競争に、強い者が戦いに、必ずしも勝つとは言えない。知恵があるといってパンにありつくのでも、聡明だと冨を得るのでも、知識があると言って好意をもたれるのでもない。時と機会はだれにも臨むが、人間がその時を知らないだけだ。魚が運悪く網にかかったり、鳥が罠にかかったりするように、人間も突然不運に見舞われ、罠にかかる。」
・人生に起こる事柄に説明がつく定まった形があるとは考えられない。なぜなら、人々のうえに起こる事柄は、彼らの努力や能力の結果とはみえないからだ。
-コヘレト9:13−18「わたしはまた太陽の下に、知恵について次のような実例を見て、強い印象をうけた。ある小さな町に僅かの住民がいた。そこへ強大な王が攻めて来て包囲し、大きな攻城堡塁を築いた。その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しい人のことは、だれの口にものぼらなかった。それだ、わたしは言った。知恵は力にまさるというが、この貧しい人の知恵は侮られ、その言葉はきかれない。支配者が愚かな者の中で叫ぶよりは、賢者が静かに説く言葉が聞かれるものだ。知恵は武器にまさる。一度の過ちは多くの善をそこなう」。
・「知恵は武器にまさる」とコヘレトは知恵の価値を強調する反面、貧しい賢者の知恵が忘れ去られる例をあげ知恵の空しさもあげている。そして「一度の過ちは多くの善をそこなう」と過ちを犯しやすい人間の限界を指摘、警告している。
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