すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  アモス書  >  2013年4月4日祈祷会(アモス書5章、祭儀ではなく、正義を)
1. イスラエルへの挽歌

・アモスはベテルに集まった巡礼の会衆に対し、イスラエルへの挽歌を歌う。人々は秋の祭典を祝うために聖所に集まっているのに、そのめでたい席でアモスは葬送歌を歌う。人々は怒ったであろう。
-アモス5:1-3「イスラエルの家よ、この言葉を聞け。私がお前たちについてうたう悲しみの歌を。『おとめイスラエルは倒れて再び起き上がらず、地に捨てられて助け起こす者はいない』。まことに、主なる神はこう言われる『イスラエルの家では千人の兵を出した町に、生き残るのは百人、百人の兵を出した町に、生き残るのは十人』」。
・ヤロベアム2世時代、イスラエルは繁栄していた。どこにも没落の兆しはない。その中で語られる挽歌は人々の嘲笑を招いた。それは晴れた日に洪水に備えて箱舟を作るノアを人々が嘲笑したのと同じだ。
-マタイ24:37-39「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである」。
・人は現在から将来を予測する。ここからはイスラエルの滅亡は見えない。しかし、預言者は神の言葉により、見えない所に進行している社会の腐敗と行き詰まりを見る。その時、社会的不義と格差が限界を超え始めているのをみる。内部から腐敗する社会は滅びる。
-アモス5:10-13「彼らは町の門で訴えを公平に扱う者を憎み、真実を語る者を嫌う。お前たちは弱い者を踏みつけ、彼らから穀物の貢納を取り立てるゆえ、切り石の家を建ててもそこに住むことはできない。見事なぶどう畑を作ってもその酒を飲むことはできない。お前たちの咎がどれほど多いか、その罪がどれほど重いか、私は知っている。お前たちは正しい者に敵対し、賄賂を取り、町の門で貧しい者の訴えを退けている。それゆえ、知恵ある者はこの時代に沈黙する。まことに、これは悪い時代だ」。
・小作農たちが小作料を払えず、奴隷として売買され、不当を訴えて法の保護を求めても、裁判は賄賂に左右され、救済されない。飯嶋和一「出星前夜」に描かれる、島原の乱の前夜と状況は酷似する。島原に疫病が発生し、幼児がつぎつぎに死んでゆく。原因は飢餓による衰弱死だった。農民たちは島原藩・松倉家に年貢の減免や救助米の支給を申し出るが、藩は対応せず、死を覚悟した農民たち(多くは帰農した旧キリシタン武士たち)が一揆を起こした。騒乱は拡大し、3万人を超える農民たちが殺されるが、同時に松倉家も取り潰しになる。
-原作者あとがき「幕府の政策に従い、いったん信仰を捨てた人たちが、苛酷な環境のもと再び神を見出してゆく。宗教があったから一揆がおきたのではなく、社会問題に政治が機能しないためキリシタンとしての結集を招いた」。

2.祭儀ではなく正義を

・イスラエルの人々は言った「私たちはベテルやギルガルの聖所に参拝して捧げ物をしているではないか」。アモスは答える「神は聖所にはおられない。ベテルやギルガルの聖所は破壊される」と。
-アモス5:4-6「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。私を求めよ、そして生きよ。しかし、ベテルに助けを求めるな、ギルガルに行くな、ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰するから。主を求めよ、そして生きよ。さもないと主は火のように、ヨセフの家に襲いかかり、火が燃え盛っても、ベテルのためにその火を消す者はない」。
・農耕社会において、祭儀はきたるべき豊作を願って為される。しかし、それは神の恵みを生贄や犠牲で買収しようとするものだ。「神が望まれるのは祭儀ではなく、正義だ」とアモスは宣言する。
-アモス5:21-24「私はお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。たとえ、焼き尽くす献げ物を私にささげても、穀物の献げ物をささげても、私は受け入れず、肥えた動物の献げ物も顧みない。お前たちの騒がしい歌を私から遠ざけよ。竪琴の音も私は聞かない。正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」。
・同じ事をボンヘッファーも述べた「われわれが、今日、キリスト者であるということは、ただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと、人々の間で正義を行うことだ」(「ボンヘッファー獄中書簡集「抵抗と信従・増補新版」」。礼拝は取引ではなく、感謝なのだ。その感謝に答えるために、お前たちは善を求めよ。それこそが礼拝である。
-アモス5:14-15「善を求めよ、悪を求めるな、お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように、万軍の神なる主はお前たちと共にいてくださるだろう。悪を憎み、善を愛せよ、また、町の門で正義を貫け。あるいは、万軍の神なる主が、ヨセフの残りの者を憐れんでくださることもあろう」。
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