すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  コヘレトの言葉  >  2013年4月3日祈祷会(コヘレトの言葉3:1−26、何事にも時がある)
−コヘレト3:1−2「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、」
・コヘレトは人間界の様々な現象を一対の句にして並べている。全部で28句ある。天の下すなわち、この世界で起こるそれぞれに、時があると彼は言う。その意味を検証してみよう。「生まれる時、死ぬ時」を人は選択できない。神に従う者も、逆らう者も等しく生と死に支配される。「植える時、植えたものを抜く時」は農耕をさしている、日本では田植えは初夏、稲刈りは秋である。
―コヘレト3:3−5「殺す時、癒す時、破壊する時、建てる時、泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時」
・殺す、癒す、破壊する、建てるなど、その理由は全く述べられていないから、決定的なことは言えないが、戦争による殺戮と医療、戦争による破壊と復興が考えられる。泣く、笑うは戦地へ赴く夫や子との別れの涙、戦地から帰還した喜び、嘆きは戦死した夫や子への悲しみ、そして、戦が終わった祝賀の踊りだろう。
−コヘレト3:6−8「石を放つ時、石を集める時、抱擁の時、抱擁を遠ざける時、求める時、失う時、保つ時。放つ時、裂く時、縫う時、黙する時、語る時、愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時」
・古代、石は戦さの武器であった。石を放つは石での攻撃、石を集めるはその石の採取である。ダビデは川岸で石を集め、石投げ紐と石一つでゴリアトを倒した。(サムエル上17:39−50)、抱擁は親愛を現わす挨拶。仲たがいすれば、もちろん抱擁を遠ざける。求めたものを失うことがある。保存したものを捨てることもある。衣を裂いて喪に服し(サムエル下1:17-27)、喪が明ければ裂いた衣を縫った。沈黙が解ければ、互いに語り合う。人は愛憎の狭間を行き来する。人の歴史は戦争と平和の繰り返しである。
−コヘレト3:9−11「人が労苦したところで何になろう。わたしは神が人の子らにお与えになった努めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」
・コヘレトは悟った。その労苦が無駄であると人が感じたとしても、労苦の意味に気付かないだけのことである。神はそれぞれを時宜にかなうように造られているのだから。
−コヘレト3:12−14「わたしは知った、人にとって幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と、人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは、神の賜物だ、と。私は知った、すべて神の業は永遠に不変であり、付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。」
・コヘレトは幸福とは何かを悟った。平凡な喜びと楽しみ、労苦をねぎらう飲食なども神の賜物だと彼は悟った。神の業は永遠に変わらず、変えられないことを、そして、人は神を畏れ敬うように定められていることをコヘレトは悟った。
−コヘレト3:15−17「今あることは既にあったこと、これからあることも既にあったこと。追いやられたものを、神は尋ね求められる。太陽の下、さらにわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを。わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。」
・前にあったことも、今あることも、後に起こることもすでにあったことの繰り返しである。ただし、神は過去のことも調べられる。裁判にも過ちがある。悪が勝ち正義が負けるような裁判は公正ではない。ゆえに、公正でない裁判には神の裁きがある。
−コヘレト3:18−29「人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物になんらまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。すべては塵からなった。すべては塵に返る。」
・人間も動物も生と死があるのだから、原理的に同じ生命体である。だから、人間と動物の両者に何の違いがあるというのか。だから、人間は動物に何ら勝ることはない。そして、どちらも同じ地の塵になることにかわりはない。だから、すべては空しいのだ。
−コヘレト3:21−22「人間の霊は上に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう。人間にとって最も幸福なのは、自分の業によって楽しみを得ることだとわたしは悟った。それが人間にふさわしい分である。死後どうなるかを。誰が見せてくれよう。」
・コヘレトは伝統的な人間優位論に対して疑問を投げかける。人間の霊が天に昇り、動物の霊が地下に降ると誰が言えるのか。だから、わたしは自分の知恵によって楽しみを得ることにしているのだ。人生の空しさがわたしを楽しみへと誘うのだ。
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