すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  アモス書  >  2013年3月28日祈祷会(アモス書4章、真の礼拝とは)
1. 真の礼拝とは

・アモスが指摘したイスラエルの罪は、強者による弱者からの搾取であった(2:6-8「彼らは正しい者を金で、貧しい者を靴一足の値で売った。彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ、悩む者の道を曲げている」)。その搾取構造の中で、サマリアの上流階級の女性たちは度の外れた贅沢を楽しんでいた。裕福であることは罪ではないが、その富が不正に蓄財されたものであれば、その罪は捕囚という艱難によって清算されるとアモスは警告する。
-アモス4:1-3「この言葉を聞け。サマリアの山にいるバシャンの雌牛どもよ。弱い者を圧迫し、貧しい者を虐げる女たちよ。『酒を持ってきなさい。一緒に飲もう』と夫に向かって言う者らよ。主なる神は、厳かに誓われる。見よ、お前たちにこのような日が来る。お前たちは肉鉤で引き上げられ、最後の者も釣鉤で引き上げられる。お前たちは次々に、城壁の破れから引き出され、ヘルモンの方へ投げ出されると主は言われる」。
・次にアモスはベテルの聖所に参拝する人々に警告する「お前たちは不正と不義を犯しながら、犠牲を捧げ、十分の一税を納めて罪は贖われたという。しかしそれが本当の礼拝ではないことをお前たちは認識していない」と。
-アモス4:4-5「ベテルに行って罪を犯し、ギルガルに行って罪を重ねよ。朝ごとに生贄を携え、三日目には十分の一税を納めるがよい。感謝の献げ物に酵母を入れたパンを焼け。大声で、随意の献げ物をする、と触れ回れ。イスラエルの人々よ、それがお前たちの好んでいることだと主なる神は言われる」。
・「お前たちは正義と公平を忘れ、欲望の赴くままに生活しながら、祭儀を捧げて『救われた』というのか。そういうものは救いではありえない」と、後のエレミヤも神殿に参拝する人々に警告した。
-エレミヤ7:2-9「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ・・・イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、私はお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない・・・盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、私の名によって呼ばれるこの神殿に来て私の前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか」。
・アモスは祭儀の中に人間の営みを見る。彼等は神に従うのではなく、神を犠牲と捧げ物によって味方につけ、また義務を負わせようとする。彼等は神を彼らの必要を満たすだけの存在とする。そこに偶像礼拝の本質がある。パウロは「救われるためには割礼を受けるべきだ」とするユダヤ人キリスト者の言動の中に、偶像礼拝を見た。
-ガラテヤ5:2「私パウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります」。

2.災いの意味を見よ

・6節以降でイスラエルの人々の頑なさが告発される。主なる神は私たちに災いを下すことによって、私たちが悔い改めることを望んでおられる。しかし、あなた方はその意味を探し求めようともしなかった。
-アモス4:6-8「私もお前たちのすべての町で、歯を清く保たせ、どの居住地でもパンを欠乏させた。しかし、お前たちは私に帰らなかったと主は言われる。また、刈り入れにはまだ三月もあったのに、私はお前たちに雨を拒んだ。ある町には雨を降らせ、ほかの町には雨を降らせなかった。ある畑には雨が降ったが、雨のない畑は枯れてしまった。二つ三つの町が水を飲むために、一つの町によろめいて行ったが、渇きはいやされなかった。しかし、お前たちは私に帰らなかったと主は言われる」。
・災いは神から与えられる罰ではない。災いは私たちを神に立ち返らせるための牧者の杖なのだ。しかし、人々はそれを悟らず、災いを罰と考え、祭儀で贖罪を捧げれば免れると考えた。人々は旱魃やイナゴの害が及ぶと、厄祓いをしてそれを逃れようとする。しかしそれでは解決にはならないとアモスは批判する。
-アモス4:9-11「私はお前たちを黒穂病と赤さび病で撃ち、お前たちの園とぶどう畑を枯れさせた。また、いちじくとオリーブの木はいなごが食い荒らした。しかし、お前たちは私に帰らなかった・・・かつてエジプトを襲った疫病を、私はお前たちに送り、お前たちのえり抜きの兵士と誇りとする軍馬とを剣で殺した・・・しかし、お前たちは私に帰らなかった・・・かつて、神がソドムとゴモラを覆したように、私はお前たちを覆した。お前たちは炎の中から取り出された燃えさしのようになった。しかし、お前たちは私に帰らなかった」。
・「お前たちは私に立ち返らなかった」、故に決定的な災いが与えられるだろうとアモスは預言する。人は破局を通して神に出会うのだと。
-アモス4:12「それゆえ、イスラエルよ、私はお前にこのようにする。私がこのことを行うゆえに、イスラエルよ、お前は自分の神と出会う備えをせよ」。
・世界史を見ると、伝染病の流行が歴史を変えていった事実が浮かび上がる。それは罰ではなく、導きなのだ。神は破局を通して私たちを導かれる。
-「感染症は世界史を動かす」(岡田晴恵、ちくま新書)より「世界史を動かすという形容がふさわしい感染症はペストであろう。ビザンチン帝国における540年の「ユスチニアヌスの疫病」と呼ばれたペストの大流行で古代が終わり中世となった。1096年から1270年にわたる十字軍が欧州にクマネズミを呼び込んでペスト流行の下地を作った。このネズミに寄生するノミの腸管にペスト菌が潜んでいるからである。そして英仏百年戦争の最中、1348年からの50年間、欧州は「黒死病」に襲われ、すさまじい人口の減少が引き起こされ、結果的に農奴解放がおこなわれ、ペストが中世を終わらせた。また、教会や信仰が黒死病に対して無力であったため、教会の権威は落ち、後世の宗教改革へつながってゆく。15世紀は大航海時代である。西インド諸島から早々と梅毒が持ち込まれ、またたく間に欧州に梅毒が広まった。宮廷で流行ったカツラは梅毒による脱毛を隠すものだった。有効な治療法がなかったので惨いものだった。宮廷を飾り後世に名を残した作曲家・詩人ら多くの文人が梅毒で死んだ。清教徒(ピューリタン)は、梅毒にならぬよう純潔教育をすることから発展した思想の結果であった。
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