すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ヨブ記  >  2013年1月31日祈祷会(ヨブ記38章、神の経綸を暗くする者は誰か)
1.神の応答

・ヨブの苦難についてのヨブと友人たちの議論は終わった。しかし問題は未解決である。苦難の意味は見出されなかった。長い沈黙の後に神が語られる。その神の回答は予想外のものであった。
−ヨブ記38:1-3「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。男らしく、腰に帯をせよ。私はお前に尋ねる、私に答えてみよ」。
・ヨブの問いは「自分は無実であるのに何故このように苦しめられるのか、神の正義はどこにあるのか」というものであった。それに対して神は答えられる「お前がこの世界の中心にいるのか。お前の問題はこの創造世界を根底から崩すような問題なのか。お前は被造物の一人に過ぎないではないか」。4節以下、創造世界について「お前は何を知っているのか」がヨブに問われる。
−ヨブ記38:4-11「私が大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。知っていたというなら、理解していることを言ってみよ。誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか・・・海は二つの扉を押し開いてほとばしり、母の胎から溢れ出た。私は密雲をその着物とし、濃霧をその産着としてまとわせた。しかし、私はそれに限界を定め、二つの扉にかんぬきを付け『ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ』と命じた」。
・「私が大地を据えた時、お前はどこにいたのか」と問われる時、人は答えることができない。大地や天体がどのようにして創造されたか知らないからだ。創造の神秘を前に人は自分の限界を知る。海の波に対して「ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ」と命じられるのに、人はその限界を超えて海辺に住み、その結果津波で死者が出ると「神はおられるのか」と叫ぶ。「此処より下に家を建てるな」とは自然の枠内で生きよとの知恵であった。
−ビジネス高知・記事から「今回の地震の後、先人の教えを守ることで集落の建物がすべて無事だった岩手県宮古市重茂の姉吉地区のことが話題になった。同地区は過去2回の大津波で壊滅的な被害を受けたが、昭和8年の大津波の後、集落から漁港へ約100メートル下ったところに『此処より下に家を建てるな』という意味の石碑を建てた。住民たちはこの先人の教えを守ったために、被害が出なかった」。
・次に一日の天体の動きがどのようにして為されるかを、ヨブよ、お前は知っているのかと問われる。ヨブは当然に知らないから黙るしかない。今日の私たちは夜明けが地球の自転により生じることを知るが、それでも太陽が昇るときの神秘に打たれる。ヘブライ人は神が光の源である太陽を創造された事を知る故に、彼らの1日は「夕から始まる」。恵みとしての朝(光)を彼らは迎える。
−ヨブ記38:12-15「お前は一生に一度でも朝に命令し、曙に役割を指示したことがあるか。大地の縁をつかんで、神に逆らう者どもを地上から払い落とせと。大地は粘土に型を押していくように姿を変え、すべては装われて現れる。しかし、悪者どもにはその光も拒まれ、振り上げた腕は折られる」。

2.ヨブが知ったこと

・次に神は海の深淵とその底にあるとされた陰府の存在についてヨブは尋ねられるが、答えることは出来ない。
−ヨブ記38:16-18「お前は海の湧き出るところまで行き着き、深淵の底を行き巡ったことがあるか。死の門がお前に姿を見せ、死の闇の門を見たことがあるか。お前はまた、大地の広がりを隅々まで調べたことがあるか。そのすべてを知っているなら言ってみよ」。
・現代人はこの自然世界の神秘を知ると思い上がる。3.11で明らかになったことは、人間は自らが創りだした原子力エネルギーの廃棄物処理の方法さえ知らなかったということだ。神はヨブに「人間は被造物に過ぎないのに創造主になろうとするのか」と問いかける。
−ヨブ記38:19-21「光が住んでいるのはどの方向か。暗黒の住みかはどこか。光をその境にまで連れていけるか。暗黒の住みかに至る道を知っているか。そのときお前は既に生まれていて、人生の日数も多いと言うのなら、これらのことを知っているはずだ」。
・神はヨブの苦難の問題には立ち入らない。ヨブの中心課題である苦難を問題にしない所に、ヨブの中心課題への最良の答えがあるのではないだろうか。ヨブは神を求めながら結局は自分の義を求めていた。人は自己を中心に物事を見るが、神の視点から見れば物事の意味はまるで異なる事に気づかない。自己からの解放、自己の問題が世界の中心ではない。それをヨブ記は私たちに教えるのではないだろうか。
−ヨブ記38:22-29「お前は雪の倉に入ったことがあるか。霰の倉を見たことがあるか。災いの時のために、戦いや争いの日のために、私はこれらを蓄えているのだ。光が放たれるのはどの方向か。東風が地上に送られる道はどこか。誰が豪雨に水路を引き、稲妻に道を備え、まだ人のいなかった大地に、無人であった荒れ野に雨を降らせ、乾ききったところを潤し、青草の芽がもえ出るようにしたのか。雨に父親があるだろうか。誰が露の滴を産ませるのか。誰の腹から霰は出てくるのか。天から降る霜は誰が産むのか」。
・「知らないことを知らない」と認め、「自己の苦難よりも大事な問題がある」ことを知った時に、苦難は解決されるのではないだろうか。自己のことばかりを考える故に人に思い悩みが生じるのではないだろうか。
-2013/1/27説教から「イエスは言われました『あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか』(マタイ6:27)。しかし医学の発達によって人間は寿命を延ばすことが出来るようになりました。日本人の平均寿命は男80歳、女86歳です。しかし、自立した生活が可能な健康寿命は男70歳、女73歳であり、平均寿命と健康寿命の差10年余が不健康期間となりました(厚労省調べ)。高寿命化は寝たきりや認知症、要介護という犠牲を伴って生まれているのです。その中で『歳をとることは罪なのか』との思い悩みが生じています。『人間は神によって死という限界を与えられている』ことを忘れたゆえに、思い悩みが生じているのではないでしょうか」。
・神の答えはヨブの問いに直接答えたものではなかった。しかし神は創造された世界を肯定され、ヨブもまたその肯定の中にある。ヨブも生きることを許されている。そのことを知れば、全ての悩みもなくなるのではないか。
-エゼキエル18:31「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」。
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