すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ヨブ記  >  2013年1月24日祈祷会(ヨブ記37章、体験知としての苦難)
1.正統主義神学からの批判

・エリフは神の絶対を認めず、「神は不公平だ」、「私に対して正しくない」と不平をいうヨブを嗜めるために発言する。彼の論拠は明らかで、「神は偉大であり、人は神の働きの全体を見ることは出来ない。だから神に不服申し立てをするなどとんでもない」というものだ。
−ヨブ記37:23-24「全能者を見いだすことは私たちにはできない。神は優れた力をもって治めておられる。憐れみ深い人を苦しめることはなさらない。それゆえ、人は神を畏れ敬う。人の知恵はすべて顧みるに値しない」。
・彼はその論拠として、神の創造された天地の働きがいかに優れたものであるかを説明しようとする。最初に彼は、神は地上に雨を降らして人間を養い、同時に落雷を通して悪人を懲らしめられる」と語る。
−ヨブ記36:27-33「神は水滴を御もとに集め、霧のような雨を降らす。雲は雨となって滴り、多くの人の上に降り注ぐ。どのように雨雲が広がり、神の仮庵が雷鳴をとどろかせるかを悟りうる者があろうか。神はその上に光を放ち、海の根を覆われる。それによって諸国の民を治め、豊かに食べ物を与えられる。神は御手に稲妻の光をまとい、的を定め、それに指令し、御自分の思いを表される。悪に対する激しい怒りを」。
・次にエリフは、神は雷を通して自己の存在を知らされると言う。古代人は雷雲の中に神の御座があると考えた。
−ヨブ記37:1-5「それゆえ、私の心は破れんばかりに激しく打つ。聞け、神の御声の轟を、その口から出る響きを。閃光は天の四方に放たれ、稲妻は地の果てに及ぶ。雷鳴がそれを追い、厳かな声が響きわたる。御声は聞こえるが、稲妻の跡はない。神は驚くべき御声をとどろかせ、私たちの知りえない大きな業を成し遂げられる」。
・そしてヨブに問いかける「この驚くべき御業を為される方に対してあなたは逆らおうとしているのだ。人間であるあなたが神に逆らうことなど出来ない。それを知れと」。
−ヨブ記37:14-18「ヨブよ、耳を傾け、神の驚くべき御業について、よく考えよ。あなたは知っているか、どのように神が指図して密雲の中から稲妻を輝かせるかを。あなたは知っているか、完全な知識を持つ方が、垂れこめる雨雲によって驚くべき御業を果たされることを。南風が吹いて大地が黙すときには、あなたの衣すら熱くなるというのに、鋳て造った鏡のような堅い大空を、あなたは、神と共に固めることができるとでもいうのか」。

2.体験に裏打ちされた言葉の重み

・エリフは有無を言わせない口調でヨブに迫る。まるで神の代理人のようだ。しかし、それはヨブにとっては何の慰めにもならない。ところが38章以下で神が語りはじめた時、ヨブは神の前にひれ伏す。
−ヨブ記38:1-6「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。これは何者か、知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。男らしく、腰に帯をせよ。私はお前に尋ねる、私に答えてみよ。私が大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。知っていたというなら、理解していることを言ってみよ。誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか」。
・神が語られたことはエリフの語りとほぼ同じだ。しかしエリフの語りはヨブに何の悔い改めも生じさせず、神の語りはヨブを変えた。エリフは正しいことを言っている。しかし言葉は正しいから伝わるのではない。人が自分が体験したこと、直面したことを語る時にはその言葉は伝わるが、知らないことを知っているように語ってもその言葉は伝わらない。ヨブの言葉がそれを示す。
−ヨブ記42:5-6「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、私は塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」。
・苦難も同じだ。ヨブは苦難を経験した故に語れたが、エリフはそれを知らない故に、正しいことを語っても、その言葉は説得性がない。弁護士の岡村勲氏は山一證券の顧問弁護士だったが、山一破綻で損をした投資家に逆恨みで妻を殺された。彼は犯罪被害者になって初めて、自分がこれまで知らなかったことを知ったという。
−犯罪被害者の会設立趣意書から「1997年、仕事の上で私を逆恨みした男によって妻が殺害されました。弁護士生活38年目にして犯罪被害者の遺族となって、被害者や家族がどんなに悲惨で、不公正な取り扱いを受けているかということを、初めて知りました。加害者の人権を守る法律は詳細に整備されているのに、被害者の権利を守る法律はどこにもありません・・・経済面では加害者は一切国の費用で賄い、弁護士も国の費用で依頼できますが、被害者は、被った傷害の医療、介護費、生活費はすべて自己負担なのです・・・私たちは、『犯罪は社会から生まれ、誰もが被害者になる可能性がある以上、犯罪被害者に権利を認め、医療・生活保障・精神的支援など被害回復のための制度を創設することは、国や社会の義務である』と考えます」。
・岡村氏の働き等により、犯罪被害者基本法(2004年)、刑事訴訟法改正(2007年、被害者の裁判参加の創設)が為され、事態は改善した。苦難には自分が直面してこそ初めて知る真理が含まれているのである。「病まなければ」(河野進)という詩もそれを示す。
−「病まなければ、ささげ得ない祈りがある。病まなければ、信じ得ない奇跡がある。病まなければ、聞き得ない御言葉がある。病まなければ、近づき得ない聖所がある。病まなければ、仰ぎ得ない御顔がある。おお、病まなければ、私は人間でさえもあり得ない」。

*ヨブ記37章参考資料〜ヨブ記32-37章は元来のヨブ記にあったのか、それとも後代の挿入か
・ヨブと三人の友人たちの議論は31章で終わり、38章から神の言葉が始まる。しかし、現在のヨブ記では32〜37章にエリフの弁論が挿入されている。エリフは31章前には記述がなく、また38章後にも登場しないことから,多くの注解者はこの32〜37章は後代の編集者(おそらくは正統主義神学に立つ人々)が,あまりにも急進的なヨブの神学(応報論の否定)に対して、全体を緩和するために挿入したものと見ている。実のところ、どうなのだろうか。
・ドームは32-37章が後代の作と見る一つの根拠を36:27-28の記述に見る。
-ドームは言う「この著者は海水の蒸発によって雲が作られることを知っているが、38章以下の神の言葉の著者はまだこれを知らず、神は雨や雪を貯蓄する庫を持ちたもうと考えている。このエリフの言葉の著者は38章以下の詩人より2,3百年後のひとであって、おそらくギリシャの感化により、物理学の新知識を得たものであろう」。
-ヨブ記36:27-28「神は水滴を御元に集め、霧のような雨を降らす。雲は雨となって滴り多くの人の上に降り注ぐ」。
-ヨブ記38:22-23「お前は雪の倉に入ったことがあるか。霰の倉を見たことがあるか。災いの時のために、戦いや争いの日のために、私はこれらを蓄えているのだ」。
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