すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ヨブ記  >  2013年1月10日祈祷会(ヨブ記35章、生きる意味とは何かを求める)
1.エリフの三度目のヨブ批判

・34章でエリフは「絶対なる神」に対して異議申し立てをするヨブを激しく批判した。神絶対主義に立つエリフにとって,神を批判するヨブは許せない存在だった。
−ヨブ記34:9-12「神に喜ばれようとしても何の益もないと彼は言っている。さて、分別ある者は、私の言葉を聞け。神には過ちなど、決してない。全能者には不正など、決してない。神は人間の行いに従って報い、おのおのの歩みに従って与えられるのだ。神が罪を犯すことは決してない。全能者は正義を曲げられない」。
・エリフはヨブの間違いを糾して言う「天を仰ぎ見るだけで,神と人間の間の限りない断絶を知ることが出来る。有限な人間が無限な神に何の影響を及ぼしうるのか,何も無い。人間の罪が神を損なうことも、また人間の正しい行為が神を益することも無いのだ」と。エリフは、神は超越者であるという彼の神義論を展開している。
−ヨブ記35:2-8「神は私を正しいとしてくださるはずだとあなたは言っているが、あなたのこの考えは正当だろうか・・・天を仰ぎ、よく見よ。頭上高く行く雲を眺めよ。あなたが過ちを犯したとしても、神にとってどれほどのことだろうか。繰り返し背いたとしても、神にとってそれが何であろう。あなたが正しくあっても、それで神に何かを与えることになり、神があなたの手から何かを受け取ることになるだろうか。あなたが逆らっても、それはあなたと同じ人間に、あなたが正しくてもそれは人の子にかかわるだけなのだ」。
・仮に神がエリフの言うように天に鎮座される超越神であれば,その方は私たちと何の関係もない。エリフは神を抽象論的に考えることによって、神を人間と無縁の存在にする。そのような思想は旧約聖書の他の箇所にもある。しかしイエスが教えてくださった神はそのような方では無い。イエスの神は私たちの人生に深く関わられる方だ。
−マタイ6:31-33「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。まず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。

2.生きることの意味

・エリフはヨブの「神は私の訴えを聞いてくださらない」という「神への疑問」を否定して言う。「あなたが叫んでも神が聞いてくださらないと文句を言う。それはあなたが神を真摯に求めないから聞かれないだけなのだ」と。それは「祈りが足らないから病気が治らないのだ」という偽宗教家の言葉と同じだ。
−ヨブ記35:9-13「抑圧が激しくなれば人は叫びをあげ、権力者の腕にひしがれて、助けを求める。しかし、だれも言わない『どこにいますのか、私の造り主なる神・・・は』と。だから、叫んでも答えてくださらないのだ。悪者が高慢にふるまうからだ。神は偽りを聞かれず、全能者はそれを顧みられない」。
・エリフは重ねて神の沈黙を否定する。「あなたの訴えは神の元に届いている。ただ時期が来ないので神は回答を保留されている。あなたは待つべきなのに無意味に騒ぎ立てる」とヨブを攻撃する。
−ヨブ記35:14-16「あなたは神を見ることができないと言うが、あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ。今はまだ、怒りの時ではなく、神はこの甚だしい無駄口を無視なさるので、ヨブは空しく口数を増し、愚かにも言葉を重ねている」。
・ヨブは苦難の意味を求めて神に問うが、神からの回答はなかった。ヨブ記は人間の知恵の限界を示す。「有限な人間には苦難の意味など理解出来ない。彼が出来るのは主を畏れることだけだ」とヨブ記は示している。
−ヨブ記28:12-23「知恵はどこに見いだされるのか、分別はどこにあるのか。人間はそれが備えられた場を知らない。それは命ある者の地には見いだされない・・・では知恵はどこから来るのか、分別はどこにあるのか。すべて命ある者の目にそれは隠されている・・・その道を知っているのは神。神こそ、その場所を知っておられる」。
・人間には苦難の意味が最終的に理解出来ないとすれば,人間には何が出来るのだろうか。ビクトール・フランクルはユダヤ人強制収容所で不条理な苦難の中に死んでいく人たちを見た。しかし生き残った者たちもいた。両者を分けたのは未来に対する希望であった。故にフランクルは言う「無意味な神義論をやめ、今何が出来るかを求めていくのだ」と(ビクトール・フランクル「夜と霧」から)。
「自分の未来をもはや信じることができなくなった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していった・・・ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。私たちが生きることからなにを期待するかではなく・・・生きることが私たちからなにを期待しているかが問題なのだ・・・もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ・・・強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分が待っていると、つねに思い出させることが重要だった」。

*ヨブ記35章参考資料「神義論から実践へ」
「普代村が教えたもの」(水戸中央教会、2011年5月15日 説教抜粋から)

・今回の震災で、岩手県普代村の堤防のことが話題になっています。人口3000人のこの村は、高さ15.5mの巨大な防潮堤と水門によって津波の被害を免れました。隣村は8mの堤防がありましたが、それらは今回の津波の前に無力でした。これは、普代村の今は亡き和村村長が、住民の反対意見を押し切って、彼の人生をかけて作り上げたもので、1970年に堤防、1984年に巨大水門が完成しました。1896年と1933年の津波で大きな被害を受けた普代村は、「二度あることは、三度ある」というようなことになってはならないと和村村長が思われたからです。「金の無駄遣い」と当時は嘲笑されたそうですが、今、村人はこの村長に感謝し、お墓に線香を供える人が絶えないとのことです。
・この普代村の巨大堤防が完成した同じ1970年、福島第一原子力発電所の1号機が完成し、翌1971年操業を開始しました。過去に学び、未来に備えた普代村の堤防と目先の豊かさに囚われ未来を台無しにしてしまった福島原発の対比には、私たちの人生のあり方が問われています。
・復活を信じて生きるというのは、普代村堤防と福島原発の対比で考えるならば、普代村堤防と同じです。聖書に聴き、来るべき未来に備えるのです。「人生死んでしまえばお終いだ。生きている今、楽しまなければいつ楽しむのか」というこの世の生き方は福島原発と同じです。そして、現在の私たちの状況は、私たちが福島原発的生き方を選択し、普代村堤防のような生き方を選択しなかったことを明らかにしています。
・普代村堤防は、ノアの箱船の物語を思い起こさせます。邪悪な時代の中でただ一人正しい人であったノアは神様の命令に従って、巨大な箱船を海も川もない平地に営々と作ります。一説には、箱船の完成には100年くらいかかったと言われます。誰が見ても、愚かしいバカバカしいことに見えたことは、明らかです。「ノアは頭がおかしい」と嘲られ、馬鹿にされたことでしょう。しかし、真実はどうであったかを私たちは聖書を通して知っています。イエス様も同じでした。十字架にかけられるという道を神様の御心に従って歩まれました。十字架の道を行くイエス様を理解し支持する人など誰もいませんでした。ペトロですら、十字架の道には反対しました。それをイエス様は、「悪魔のささやき」として敢然と排除されました。確かにそれは悪魔のささやきだったのです。一時、この世の栄誉と豊かさの中に生きるのは福島原発的生き方だったからです。

明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手
津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある普代村を高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。 村内での死者数はゼロ(3日現在)。計画時に「高すぎる」と批判を浴びたが、当時の村長が「15メートル以上」と譲らなかった。「これがなかったら、みんなの命もなかった」。大田名部漁港で飲食店を営む太田定治さん(63)は高さ15.5メートル、全長155メートルの太田名部防潮堤を見上げながら話した。津波が襲った先月11日、店にいた太田さんは防潮堤に駆け上った。ほどなく巨大な波が港のすべてをのみ込んだが、防潮堤が食い止めてくれた。堤の上には太田さんら港内で働く約100人が避難したが、足もとがぬれることもなかった。村は、昆布やワカメの養殖が主な産業の漁村で、人口約3000人は県内の自治体で最も少ない。海に近く狭あいな普代、太田名部両地区に約1500人が暮らし、残る村人は高台で生活している。普代地区でも高さ15.5メートル、全長205メートルの普代水門が津波をはね返した。防潮堤は1967年に県が5800万円をかけ、水門も84年にやはり35億円を投じて完成した。既に一部が完成し60年にチリ地震津波を防ぎ、「万里の長城」と呼ばれた同県宮古市田老地区の防潮堤(高さ10メートル)を大きく上回る計画は当初、批判を浴びた。村は1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」を主張した。「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、村長の頭から離れなかったのだという。今回の津波で、宮古市田老地区は防潮堤が波にのまれ、数百人の死者・不明者を出した。岩手県全体で死者・行方不明者は8000人を超えた。普代村も防潮堤の外にある6か所の漁港は壊滅状態となり、船の様子を見に行った男性1人が行方不明になっている。深渡宏村長(70)は「先人の津波防災にかける熱意が村民を救った。まず村の完全復旧を急ぎ、沿岸に救いの手を伸ばす」と語った。
(2011年4月3日22時05分 読売新聞)
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