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トップ  >  ヨブ記  >  2012年12月27日祈祷会(ヨブ記34章、正統神学からのヨブ批判)
1.エリフのヨブ批判

・ヨブ記32〜37章のエリフの弁論は正統神学に立つ後代の人々が,あまりにも急進的なヨブの神学(神への疑義、応報論の否定)に対して、反論のために挿入したものと見なされている。34章からエリフの第二回目弁論が展開されるが,そこでは神の行為に疑義を挟むヨブの行為を瀆神的だと非難する。
−ヨブ記34:5-9「ヨブはこう言っている『私は正しい。だが神は、この主張を退けられる。私は正しいのに、うそつきとされ、罪もないのに矢を射かけられて傷ついた』。ヨブのような男がいるだろうか。水に代えて嘲りで喉をうるおし、悪を行う者にくみし、神に逆らう者と共に歩む。『神に喜ばれようとしても何の益もない』と彼は言っている」。
・エリフにとって、「神に過ち」などないし、「神は人間の行為に応じて報われる」のは当然のことであるし、ましてや「神が罪を犯す」など考えられない。彼は「生ける神」を求めて苦しむヨブを顧慮することなく、自己の信じる教理(彼自身の神観、人間化された神)を滔々と述べる。
−ヨブ記34:10-15「分別ある者は、私の言葉を聞け。神には過ちなど、決してない。全能者には不正など、決してない。神は人間の行いに従って報い、おのおのの歩みに従って与えられるのだ。神が罪を犯すことは決してない。全能者は正義を曲げられない。誰が神に全地をゆだね、全世界を負わせたというのか。もし神が御自分にのみ、御心を留め、その霊と息吹を御自分に集められるなら、生きとし生けるものは直ちに息絶え、人間も塵に返るだろう」。
・「神には絶対に間違いがない」と断定すれば、不条理に追い込まれた人間は、その結果をただ受け入れることしか出来ない。神批判は許されないのだろうか。1755年リスボンで大地震と津波があり(M8.5〜9)、死者が6万人に達したとき, ヴォルテールは批判して言った「慈悲深い神が監督する我々の最善の可能世界は崩壊した」(カンディード)。ヴォルテールの批判は当時の神理解の間違いの批判であり、このような批判を通して,人間の神理解は進んでいく。その意味で3.11の大震災以降、ヨブ記が読まれ,「神はおられるのか」という議論が起こっていることは良いことだ。

2.教理的言説の怖さ

・16節からエリフはヨブに問いかける「あなたは正義の神を罪あるものと呼ぶのか。王者に向かってならず者と言うのか。そういうあなたは何者なのだ」と。
−ヨブ記34:16-19「理解しようとして、これを聞け。私の語る声に耳を傾けよ。正義を憎む者が統治できようか。正しく、また、力強いお方をあなたは罪に定めるのか。王者に向かって『ならず者』と言い、貴い方に向かって『逆らう者』と言うのか。身分の高い者をひいきすることも、貴族を貧者より尊重することもないお方、御手によってすべての人は造られた」。
・エリフはたたみかける「人間は有限な存在であるのに,無限な方を批判することが出来ようか」。エリフはヨブの苦しみを全く理解しようとはせず、ただ自分の教理的確信を述べる。
−ヨブ記34:20-30「これらの人も瞬く間に、しかも真夜中に、死んでいく。権力ある者は身を震わせて消え去り、力ある者は人の手によらず、退けられる。神は人の歩む道に目を注ぎ、その一歩一歩を見ておられる。悪を行う者が身を隠そうとしても、暗黒もなければ、死の闇もない・・・数知れない権力者を打ち倒し、彼らに代えて他の人々を立てられる。彼らの行いを知っておられるので、夜の間にそれを覆し、彼らを砕き、神に逆らう者として見せしめに、彼らを打たれる・・・神が黙っておられるのに罪に定めうる者があろうか。神が顔を背けられるのに目を注ぐ者があろうか・・・神は、神を無視する者が王となり、民を罠にかけることがないようにされる」。
・エリフの弁論が後代の正統神学者からのヨブ記に対する修正だとした場合、彼らの試みは成功したであろうか。ヨブ記の読者はエリフに惹かれるだろうか。そうとは思えない。教理的な言説は却って真実を見えなくするのではないだろうか。新約学においても,例えば「イエスの受洗」を巡って同じような議論が起きている。マルコはイエスが洗礼者ヨハネから受洗したことをありのままに書くが,マタイはそれを編集してイエスは受洗の必要はなかったと述べる。
−マルコ1:9「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」。
−マタイ3:13-15「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った『私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、私のところへ来られたのですか』。しかし、イエスはお答えになった『今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです』。そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした」。
・聖書学者の橋本滋男はこの箇所について語る「イエスがヨハネから洗礼を受けたことは,初期の教会にとって大きな問題となって残った。彼がメシアであれば悔い改めるべき罪を犯しているはずはないであろうに、何故あえて悔い改めの洗礼を受けたのか・・・またイエスの死後ヨハネ教団と多少とも競合的な関係にあった教会にとってイエスがヨハネから洗礼を受けた(ヨハネの弟子であった」という事実は解決すべき難問であった」。しかし、イエスは受洗を通して家族や故郷を捨てられたのであり、その行為の重大性を教理的な説明は隠してしまう。人々のための救済制度である神殿が人々の方を向いていなかったことへの怒り、飼い主のいない羊のような人々への憐れみ、イエスご自身の人間的・内面的な罪責感等が,イエスに決定的な行為を取らせたと理解した方が、よりイエスの真実が見えるような気がする。
・以上の論証により,エリフはヨブを完全に論破できたと考え,ヨブに悔い改めを求める。エリフの言葉はカラマーゾフの兄弟に見る大審問官のようだ。
−ヨブ記34:31-33「人が神に対してこう言ったとする『私は罰を受けました。もう悪いことはいたしません。私には見えないことを、示してください。私は不正を行いましたがもういたしません』。この言葉にどう報いるかを決めるのはあなたか。あなたは神を軽んじているではないか。態度を決めるのは、私ではなくあなただ。よく考えて話しなさい」。

*ヨブ記34章参考資料:1755年リスボン地震(ウィキペデイアより)

1755年リスボン地震は、1755年11月1日に発生した。午前9時40分に西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。津波による死者1万人を含む、5万5000人から6万2000人が死亡した。推定されるマグニチュードはMw8.5 - 9.0。震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200kmと推定されている。地震が与えた衝撃はヨーロッパの精神にも及んだ。多くの教会を援助し、海外植民地にキリスト教を宣教してきた敬虔なカトリック国家ポルトガルの首都リスボンが、祭日に地震の直撃を受けて多くの聖堂もろとも破壊されたことは、18世紀の神学・哲学では説明の難しいものであった。
ヨーロッパの啓蒙思想家たちに強い影響を与えた。当時の哲学者の多くがリスボン地震に言及しているが、ヴォルテールの『カンディード』や『リスボンの災害についての詩』(Poème sur le désastre de Lisbonne)は特に有名である。『カンディード』は、《慈悲深い神が監督する我々の「最善の可能世界」(le meilleur des mondes possibles)では、「すべての出来事は最善」である》という楽天主義を痛烈に攻撃している。リスボンの悲劇は、ヴォルテールに楽観論への反証を与えるものだった。テオドール・アドルノは「リスボン地震はライプニッツの弁神論(慈悲深い神の存在と悪や苦痛の存在は矛盾しない、という議論)からヴォルテールを救いだした」と述べている。ヴォルテールは、災害によってリスボンが破壊され、10万もの人命が奪われたのだから、神(創造主)が慈悲深いわけがないと主張した。当時のヨーロッパの知識人にとり、リスボン地震の衝撃による文化的・哲学的転換は、20世紀後半におけるホロコーストの衝撃に比べられるほど大きかった。
ジャン=ジャック・ルソーもこの地震による被害から衝撃を受けた一人であり、その被害の深刻さはあまりにも多くの人々が都市の小さな一角に住んでいることから起こったものだとした。ルソーはこの地震による人災を、都市に反対し、より自然な生活様式を求める議論に引用した。
人間の力の及ばない自然の巨大さなどへ対する感情である「崇高」という概念は、1755年以前から存在したものの、それを哲学の中で発展させて非常に重要な概念としたのはイマヌエル・カントであった。カントは崇高の概念を、リスボン地震と津波の甚大さを理解しようとする試みの中から発展させた。カントはこの地震について3つの薄い書物を出版している。若い日のカントは地震に魅せられ、報道から地震被害や前兆現象など可能な限りの情報を集め、これらを使って地震の起こる原因に関する理論を構築した。
彼は熱いガスに満たされた地底の巨大空洞が震動して地震が起こると考えた。これは、誤りであることが後に分かったが、地震は超自然的な原因ではなく自然の原因から起こる、という仮定によって地震のメカニズムを説明しようとした、近代のもっとも初期の試みと言える。ヴァルター・ベンヤミンによれば、カントが出版した地震についての書物は、「おそらくドイツにおける科学的地理学の始まりを代表するものであり、そして確実に地震学の始まりである」。
ドイツの哲学者ヴェルナー・ハーマッハーによれば、地震の結果は哲学用語にも及び、硬い根拠を大地に例えて「ground」と呼ぶ比喩が、ぐらつき不安定なものとなったという。「リスボン地震により起こされた印象は、ヨーロッパのもっとも神経質な時代の精神に触れたため、「大地」や「震動」の比喩はその明らかな無垢さを失い、もはや単なる修辞には過ぎなくなってしまった」。ハーマッハーはルネ・デカルトの哲学のうち「確実性」に関する部分がリスボン地震後の時代に揺らぎ始めたという。
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