すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ヨブ記  >  2012年11月22日祈祷会(ヨブ記28章、人間の限界と神の知恵)
1.人間の自然支配の能力

・これまでヨブと友人たちは、ヨブの苦難の意味を巡って、「それは神から与えられた罰である」、「いや違う。罰を受けるほどの罪を犯していない」等の果てしない議論をしてきた。著者はこれから最後の第三幕を展開する前に、読者に、「神の知恵」とは何か、それは人間が到達可能かの議論を提示する。
−ヨブ記28:12-28「では、知恵はどこに見いだされるのか、分別はどこにあるのか。人間はそれが備えられた場を知らない。それは命あるものの地には見いだされない・・・神は知恵を見、それを計り、それを確かめ、吟味し、そして、人間に言われた『主を畏れ敬うこと、それが知恵、悪を遠ざけること、それが分別』」。
・最初に著者は地中の奥深くから、銀や金、銅や鉄の鉱石を掘り出し、それを精錬する人間の知恵を歌い上げる。
−ヨブ記28:1-5「銀は銀山に産し、金は金山で精錬する。鉄は砂から採り出し、銅は岩を溶かして得る。人は暗黒の果てまでも行き、死の闇の奥底をも究めて鉱石を捜す。地上からはるか深く坑道を掘り、行き交う人に忘れられ、地下深く身をつり下げて揺れている。食物を産み出す大地も、下は火のように沸き返っている」。
・しかし、人間が金属を見出し、最初に造ったのは、他者を殺傷する武器であった。銅の精錬は紀元前5500年ごろペルシャで始まり、精錬技術の発達につれて武器や生活の道具も造られるようになった。紀元前3600年ごろになるとメソポタミア南部のシュメール人が銅よりも鋳造性がよく強度も強い青銅を発見したことで、武器や生活の道具として取り入れられるようになった。この頃から金属の精錬、溶解、鋳造技術が急速に進み、紀元前1700年〜1100年にかけてメソポタミア地方の北のヒッタイト民族が鉄の精錬技術を駆使して武器や戦車を作り、ヒッタイト王国を築いた。
−創世記4:22-24「ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅や鉄でさまざまの道具を作る者となった・・・レメクは妻に言った『アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。わたしは傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍』」。
・人間はまた猛禽や獅子さえも行けない地中深くにまで潜り、そこから宝石を取り出すことも出来る。
−ヨブ記28:6-11「鉱石にはサファイアも混じり、金の粒も含まれている。猛禽もその道を知らず、禿鷹の目すら、それを見つけることはできない。獅子もそこを通らず、あの誇り高い獣もそこを踏んだことはない。だが人は、硬い岩にまで手を伸ばし、山を基から掘り返す。岩を切り裂いて進み、価値あるものを見落とすことはない。川の源をせき止め、水に隠れていたものも光のもとに出す」。

2. しかし人間は知恵を見出すことが出来ない

・地中深くから金属や宝石を取り出す能力を持つ人間は、しかし知恵を得ることは出来なかった。
−ヨブ記28:12-14「では、知恵はどこに見いだされるのか、分別はどこにあるのか。人間はそれが備えられた場を知らない。それは命あるものの地には見いだされない。深い淵は言う『私の中にはない』。海も言う『私の所にもない』」。
・また地中から取り出した金や銀やサファイアでその知恵を買うことも出来なかった。
−ヨブ記28:15-19「知恵は純金によっても買えず、銀幾らと価を定めることもできない・・・金も宝玉も知恵に比べられず、純金の器すらこれに値しない。さんごや水晶は言うに及ばず、真珠よりも知恵は得がたい。クシュのトパーズも比べられず、混じりない金もこれに並ぶことはできない」。
・では知恵はどこにあるのか。それは神の御許にあり、人間には隠されている。
−ヨブ記28:20-24「知恵はどこから来るのか、分別はどこにあるのか。すべて命あるものの目にそれは隠されている。空の鳥にすら、それは姿を隠している。滅びの国や死は言う『それについて耳にしたことはある』。その道を知っているのは神。神こそ、その場所を知っておられる。神は地の果てまで見渡し、天の下、すべてのものを見ておられる」。
・だから人間に出来ることは神を畏れ、神の言葉に耳を傾けることだ。しかし人間は神の声に耳を傾けず、自分の力ですべてを支配できると考えた。その結果がアウシュビッツや広島だ。パウル・ティリッヒは、第二次世界大戦直後、イザヤ24:18「地の基ふるい動く」という説教を行った。二度の世界大戦を経験し、核やホロコーストの悲惨を見た者は、もはや人間の善意に期待する楽観的な生き方をすることは出来なくなった。
−パウル・ティリッヒ説教から「これらの言葉を真剣に取り上げないで過ごした数十年、否、数世紀さえもがあった。しかし、そうした時代は過ぎ去ったのである。今やわれわれは、こうした言葉を真剣に考えなければならない。なぜなら、彼らの言葉は、人間の大多数が今日経験し、またおそらく余り遠くない将来において全人類が嫌というほど経験することであろうこと、すなわち、『地の基がふるい動く』ということを目の当たりに見るように描いているからである。預言者の幻は、今や歴史的現実とさえなろうとしている。『地は全く砕け』という言葉は、もはや単なる詩的形容ではなく、厳しい現実である。これこそ、今や、われわれが足を踏み入れた時代の宗教的意義である」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2012年11月15日祈祷会(ヨブ記27章、ヨブの最終弁論)
カテゴリートップ
ヨブ記
次
2012年11月29日祈祷会(ヨブ記29章、過去の全盛時代をしのぶヨブ)