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トップ  >  ヨブ記  >  2012年11月15日祈祷会(ヨブ記27章、ヨブの最終弁論)
1.応報論の矛盾

・4章から始まったヨブと友人たちとの対話は、27章のヨブの最終弁論で終わる。ヨブは自分の正しさを誓うが、その誓いはヨブの正しさを認めない神の名によって為される。ヨブには神しか頼る者はないのだ。
−ヨブ記27:1-3「ヨブは更に言葉をついで主張した。『わたしの権利を取り上げる神にかけて、わたしの魂を苦しめる全能者にかけて、わたしは誓う。神の息吹がまだわたしの鼻にあり、わたしの息がまだ残っているかぎり。この唇は決して不正を語らず、この舌は決して欺きを言わない』と」。
・ヨブはあくまでも自分の正しさを主張する。正しいのは私であってあなた方ではないと。
−ヨブ記27:5-6「断じて、あなたたちを正しいとはしない。死に至るまで、わたしは潔白を主張する。わたしは自らの正しさに固執して譲らない。一日たりとも心に恥じるところはない」。
・このヨブの強さはどこから来るのだろう。友人たちは「ヨブが罪を犯したからこの苦難があるのだ」とヨブを責めた。しかしヨブは「私はこのような処罰を受けるほどの罪を犯していない。間違っているのはあなた方だ」と返す。
−ヨブ記27:7-10「わたしに敵対する者こそ罪に定められ、わたしに逆らう者こそ不正とされるべきだ。神に命を断たれ、魂を取り上げられるのだから、神を無視する者にどんな望みがあろうか。災いが彼に臨むとき、その叫びを神は聞いてくださるだろうか。全能者によって喜びを得、常に神を呼び求めることができるだろうか」。
・ヨブも友人も応報論の土台の上に立って議論する。旧約の原点である十戒の中にも応報論が色濃く表れる。
−出エジプト記20:5-6「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」。
・しかし人間の経験則はこれを否定する。そこに悩みや疑問が生まれる。ここに旧約の限界があるのではないか。
−詩編73:3-12「神に逆らう者の安泰を見て、わたしは驕る者をうらやんだ。死ぬまで彼らは苦しみを知らず、からだも肥えている。だれにもある労苦すら彼らにはない・・・彼らは侮り、災いをもたらそうと定め、高く構え、暴力を振るおうと定める。口を天に置き、舌は地を行く・・・そして彼らは言う「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか」。見よ、これが神に逆らう者。とこしえに安穏で、財をなしていく」。
・この矛盾は復活の希望なしには解けないのではないだろうか。だからこそイエスが来られた。
−第二マカバイ記7:4-9「王は・・・口を開いた者の舌を切り・・・頭の皮をはぎ・・・体のあちらこちらをそぎ落とした・・・こうして最初の者の命を奪うと、次に二番目の者を引き出し、これを辱めた。頭の皮を、髪の毛もろともはぎ取ってから『豚肉を食え。それとも体をばらばらにされたいのか』と言った・・・息を引き取る間際に彼は言った『邪悪な者よ、あなたはこの世から我々の命を消し去ろうとしているが、世界の王は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださるのだ』」。

2. 神なき者の運命

・27章11節以下はヨブが友人たちの言葉を用いて語る神亡き者の運命だ。
−ヨブ記27:11-17「わたしがあなたたちに神の手の業を示し、全能者について隠さずに語ろう。あなたたち自身、それを仰いだのに、なぜ、空しいことを繰り返すのか。神に逆らう者が神から受ける分、暴虐な者が全能者から与えられる嗣業は次のとおり。たとえ多くの息子があっても、剣にかかり、子孫は食べ物にも事欠く。残った者が死んで葬られても、やもめたちは泣くことすらしない。土を盛るように銀を積み、粘土を備えるように衣服を備えても、その備えた衣服は正しい人が着、その銀は潔白な人の所有となる」。
・現実にはこうならないのをヨブは知りながらもそう述べざるを得ない。応報論に立つ以上、現世で解決せざるを得ない。応報論に立てば、洪水で助かった人は正しく、亡くなった人は罪人となるが、そんな馬鹿なことはない。私たちも応報論から自由になる必要がある。
−ルカ13:1-5「そのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らの生け贄に混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった『そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる』」。
・応報論から自由になるためには、現世を越えた解決を可能にする復活の希望についての正しい理解が必要だ。
−ローマ8:11「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」。
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