すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ヨブ記  >  2012年9月20日祈祷会(ヨブ記18章、友を慰めるのか、自分の義を主張するのか)
1.ヨブに激しい反論をするビルダデ

・ヨブは友人たちに「あなた方は慰める振りをして人を苦しめる」と反論した(16:2)。それに対してビルダデは激しい口調でヨブを非難する「もう遠慮することはやめよう。言葉に制限を置かず言おう」。彼の論難が始まる。
−ヨブ記18:2-4「いつまで言葉の罠の掛け合いをしているのか。まず理解せよ、それから話し合おうではないか。なぜ、わたしたちを獣のように見なすのか。その目に愚か者とするのか。怒りによって自らを引き裂く者よ、あなたのために地が見捨てられ、岩がその場所から移されるだろうか」。
・彼が説くのは相変わらず応報の論理だ。彼はヨブの新しい神の発見(怒りの神から憐れみの神へ)に何の顧慮もせず、悪人の末路を述べ立てる。彼はもはやヨブの友ではなく、ヨブを「神に逆らう者」として責め立てる。
ヨブ記18:5-7「神に逆らう者の灯はやがて消え、その火の炎はもはや輝かず、その天幕の灯は暗黒となり、彼を照らす光は消える。彼の力強い歩みも弱まり、自分自身の策略に倒れる」。
・ビルダデは悪人の末路を述べることを通して、ヨブがこれから辿るであろう破滅と滅亡の道を示す。自分を義人と信じる者は、悪人が悔い改めない時、これを赦すことが出来ず、呪い始める。そこにはもはやヨブに対する配慮はない。
−ヨブ記18:8-11「足は網に捕えられ、落とし穴に踏み込む。かかとは罠にかかり、仕掛けられた網に捕まる。綱が地に隠されて張り巡らされ、行く道に仕掛けが待ち伏せている。破滅が四方から彼を脅かし、彼の足を追い立てる」。
・12節になると、ヨブに臨んだことは正に悪人に下される天罰であると言い始める。ヨブの罪の故に、子どもたちは死に、妻は嘆き、ヨブ本人にも「死の初子=らい病」が与えられたと彼は言う。ビルダデは異端審問官のように残酷だ。
−ヨブ記18:12-14「その子は飢え、妻は災いに遭う。死の初子が彼の肢体をむしばみ、その手足をむしばむ。彼はよりどころとする天幕から引き出され、破滅の王に向かって一歩一歩引き寄せられる」。
・ビルダデはヨブの病は天刑だと言う。古代の人々は病気や障害を罪の結果と考えた。それに対して、イエスが「病気や障害は神の業が現れるためである」と言われたことは、革命的な認識の転換、まさにパラダイム転換であった。
−ヨハネ9:1-3「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。両親ですか」。イエスはお答えになった「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」。

2.ビルダデはヨブを呪い始める

・ビルダデの攻撃は続く「悪人はその住まいから追い出され、そこには硫黄の火が降りかかり、その子孫も滅ぼされる」。ビルダデの言葉はヨブに対する諌言を超えて、もはや呪いの言葉になっている。
−ヨブ記18:15-19「彼の天幕には他人が住み、その住みかには硫黄がまかれる。下ではその根が枯れ、上では枝がしおれる。彼の思い出は地上から失われ、その名はもう地の面にはない。彼は光から暗黒へと追いやられ、この世から追放される。子孫はその民の内に残らず、住んだ所には何ひとつ残らない」。
・神に逆らう人がそのように滅びたのを見て人々は言う「ああ、これが不正を行った者の住まい、これが神を知らぬ者の居た所か」と。ビルダデの言葉は容赦なく、ヨブに襲いかかる。
−ヨブ記18:20-21「未来の人々は彼の運命に慄然とし、過去になった人々すら、身の毛のよだつ思いをする。ああ、これが不正を行った者の住まい、これが神を知らぬ者のいた所か、と」。
・ビルダデの呪いは強烈だ。しかし、私たちは聖書の中にも、罪人を呪う言葉があることを銘記すべきだ。
−申命記28:15-21「もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。あなたは町にいても呪われ、野にいても呪われる。籠もこね鉢も呪われ、あなたの身から生まれる子も土地の実りも、牛の子も羊の子も呪われる。あなたは入るときも呪われ、出て行くときも呪われる。あなたが悪い行いを重ねて、わたしを捨てるならば、あなたの行う手の働きすべてに対して、主は呪いと混乱と懲らしめを送り、あなたは速やかに滅ぼされ、消えうせるであろう。主は、疫病をあなたにまといつかせ、あなたが得ようと入って行く土地であなたを絶やされる」。
・文字通りに受け取れば、それが神の定められたことだと考える人も出てくるだろう。しかし、イエスは明確に、このような脅迫的な言葉、義人への祝福と悪人への呪いは間違っていると宣言された。
−マタイ5:43-45「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」。
・イエスの弟子パウロは更に一歩を進め、どのような場合も人を呪うことを禁止する。
−ローマ12:14「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません」。
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