すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ヨブ記  >  2012年7月12日祈祷会(ヨブ記8章、ヨブの抗議に対するビルダデの反論)
1.ビルダデの反論

・ヨブは理由なく自分を苦しめ、訴えても耳を貸して下さらない神に抗議し、早く苦しみを終わらせてほしいと叫び、友人たちにはこの苦しみをわかってほしいと懇願した。それに対して友人ビルダデが「神に抗議するとは何たる不遜か」とヨブを諌め始める。それがヨブ記8章だ。
-ヨブ記8:1-3「シュア人ビルダドは話し始めた。いつまで、そんなことを言っているのか。あなたの口の言葉は激しい風のようだ。神が裁きを曲げられるだろうか。全能者が正義を曲げられるだろうか」。
・ビルダデの議論の根拠は先のエリパズと同じく応報思想だ。罪のない人に神が罰をお与えになるだろうか、そして彼は冷酷にも言い放つ「あなたの子どもたちが災いの中で死んだのは、彼らが神に罪を犯したからだ」と。
-ヨブ記8:4「あなたの子らが、神に対して過ちを犯したからこそ、彼らをその罪の手にゆだねられたのだ」。
・この議論に立てば、津波で家族を失くした人たちも天罰であり、病気になった人々も罪の報いの故になる。この因果応報論がこれまで多くの人を苦しめて来た。ユダヤ教の教えでは出血を伴う病気は汚れとされ(レビ記15:25-30)、婦人病を患う女性は12年間も不浄とされ、社会から排斥されていた。イエスはその不条理に憤られる。
-マルコ5:34「イエスは言われた『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい』」。
・ビルダデにはこの優しさが欠けている。だから彼はヨブに「罪を認め、悔い改めよ」としつこく勧告する。このような勧告は何の意味をない。ビルダテはそれがわからず、自分の信じる教義だけを押し付ける。
-ヨブ記8:5-7「あなたが神を捜し求め、全能者に憐れみを乞うなら、また、あなたが潔白な正しい人であるなら、神は必ずあなたを顧み、あなたの権利を認めて、あなたの家を元どおりにしてくださる。過去のあなたは小さなものであったが、未来のあなたは非常に大きくなるであろう」。

2.教条主義の怖さ

・ビルダデは自分の信じる教義を押し付ける。その教義を補足するために、彼は先人の知恵を持ちだす。「沼地でもない所でパピルスが育つだろうか、水もない所で葦が茂るだろうか、神を忘れる者は、水のないパピルスや葦のようなもので、枯れ果てるだろう」と彼は言う。
ヨブ記8:11-13「沼地でもない所で、パピルスが育とうか、水もない所で葦が茂ろうか。芽を出すや否や、切られもしないのに、どんな草よりも早く枯れる。すべて神を忘れる者の道はこのようだ。神を無視する者の望みは消えうせる」。
・彼はヨブの現在の苦しみとは無関係な例示を長々と続ける。彼の関心はヨブを慰めることにはなく、ただ自己の教義の正しさを説得することにある。ここに教条主義の怖さがある。初代教会でも、異邦人コルネリウスの回心を喜ばず、ペテロが異邦人と食卓を共にしたことを問題にした人々がいた。教会の中にも同じ罪があるのだ。
-使徒11:1-3「使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った」。
・ビルダデはヨブに苦難が与えられたのは、ヨブが罪を犯したからだという先入観から抜け切ることが出来ず、繰り返し、ヨブに回心を求める。回心すれば神は恵んで下さるだろうと。
-ヨブ記8:20-22「無垢な人を退けることもせず、悪を行う者の手を取って支えることもなさらない神は、なお、あなたの口に笑いを満たし、あなたの唇に歓びの叫びを与えてくださる。あなたを憎む者は恥を被り、神に逆らう者の天幕は消えうせるであろう」。
・しかし世の中には説明のつかない不条理がある。誰が悪いわけでもないのに苦難が与えられることがある。その不条理を見つめ、そこにある意味を尋ねよとイエスは言われた。イエスは因果応報を明確に否定されている。
-ルカ13:1-5「そのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった『そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる』」。
・神を伝統的教義の中に押し込め、本当の神を見ようとしない。聖書の言葉を絶対とし、それに異議を唱える者を排斥していく。キリストの教会も往々にしてその間違いを犯してきたことを認める必要がある。回心前のパウロもそうだった。
-使徒9:1-2「サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった」。

*ヨブ記8章参考資料:教条主義的な聖書の読み方の怖さ

アメリカ南部バプテスト連盟では、汽謄皀2:11-15、汽灰螢鵐11:7-9等を根拠に、女性教職者を認めないことを2000年度に決定した。
-汽謄皀2:11-15「婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、私は許しません。むしろ、静かにしているべきです。なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られたからです。しかも、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます」。
-汽灰螢鵐11:7-9「男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです」。
他方、日本バプテスト連盟ではガラテヤ3:26−28他を根拠に、女性教職者を認める。どちらが正しい聖書の読み方なのだろうか。
-ガラテヤ 3:26-28「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。
アメリカ南部バプテスト連盟では2000年制定の信仰告白の第6項教会で「教会で奉仕する賜物は男性にも女性にも与えられているが、牧師の任については、聖書によって規定されているように、男性に限られている」とした。(While both men and women are gifted for service in the church, the office of pastor is limited to men as qualified by Scripture.)
-汽謄皀3:1-5「監督の職を求める人がいれば、その人は良い仕事を望んでいる。だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2012年7月5日祈祷会(ヨブ記7章、ヨブの嘆きと神への抗議)
カテゴリートップ
ヨブ記
次
2012年7月19日祈祷会(ヨブ記9章、私は正当に扱われていないと怒るヨブ)