すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ヨブ記  >  2012年6月21日祈祷会(ヨブ記5章、聴かずに語る罪)
1.友人エリパズの議論は続く

・ヨブは次から次に苦難を与えられた。最初は財産を失い、次には家族を亡くし、最後には彼自身がらい病に犯されてしまう。三人の友人がヨブの災いを聞いて、慰めるために遠方より来た時、彼は平静さを失い、生まれた日を呪い始める。
−ヨブ記2:11-3:2「ヨブと親しいテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの三人は、ヨブにふりかかった災難の一部始終を聞くと、見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやって来た。遠くからヨブを見ると、それと見分けられないほどの姿になっていたので、嘆きの声をあげ、衣を裂き、天に向かって塵を振りまき、頭にかぶった。彼らは七日七晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできなかった。やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った」。
・ヨブは自分の生まれた日を呪い、人は何故苦しみながら生きなければいけないのかと神を恨む。そのヨブに対して年長の友人エリパズが反論する。それは「神を恨むのは筋違いであり、自分の罪故にこうなったのを何故認めないのか」という因果応報に基づくもので、ヨブを慰めるどころか、次第に非難する内容になっていく。
−ヨブ記4:7-9「罪のない人が滅ぼされ、正しい人が絶たれたことがあるかどうか。私の見てきたところでは、災いを耕し、労苦を蒔く者が、災いと労苦を収穫する・・・彼らは神の息によって滅び、怒りの息吹によって消えうせる」。
・正しい者は神に生かされ、罪ある者は滅ぶと、苦難と絶望にあるヨブの目の前で平然と言う所に、神学者エリパズの冷酷さがある。彼はついにはヨブを「愚か者」とさえ呼ぶ。
−ヨブ記5:2-3「愚か者は怒って自ら滅び、無知な者はねたんで死に至る。愚か者が根を張るのを見て、私は直ちにその家を呪った」。
・彼はさらなる議論でヨブを追い詰める。「人の苦しみ、悩みは偶然に起こるものではなく、必ず原因を持つ。あなたに苦難が与えられたのであれば、それはあなたに原因があるのだ」と。
−ヨブ記5:6-7「塵からは、災いは出てこない。土からは、苦しみは生じない。それなのに、人間は生まれれば必ず苦しむ。火花が必ず上に向かって飛ぶように」。

2.聴かずに語る罪

・エリパズはヨブに言う「私があなたであれば、神の前に罪を告白して、神の赦しと助けを求めるであろう」と。「何故あなたはそうしないのか」、エリパズは慰めを語るのではなく、ヨブを断罪している。
−ヨブ記5:8-9「私なら、神に訴え、神に私の問題を任せるだろう。計り難く大きな業を、数知れぬ不思議な業を成し遂げられる方に」。
・10節からエリパズの神讃美が始まる。美しい言葉の羅列であるが、不条理な苦難に苦しむヨブには無用の言葉だ。相手を思わず、自分の語りたいことを語る。そのエリパズの姿は私たちの姿だ。
−ヨブ記5:10-16「神は地の面に雨を降らせ、野に水を送ってくださる。卑しめられている者を高く上げ、嘆く者を安全な境遇に引き上げてくださる・・・神は貧しい人を剣の刃から、権力者の手から救い出してくださる。だからこそ、弱い人にも希望がある。不正はその口を閉ざすであろう」。
・17節以降でエリパズは、もしヨブが悔い改めれば神の祝福を再び受けるだろうと諭す。
−ヨブ記5:17-27「見よ、幸いなのは、神の懲らしめを受ける人。全能者の戒めを拒んではならない。彼は傷つけても、包み、打っても、その御手で癒してくださる・・・あなたは知るだろう、あなたの天幕は安全で、牧場の群れを数えて欠けるもののないことを。あなたは知るだろう、あなたの子孫は増え、一族は野の草のように茂ることを。麦が実って収穫されるように、あなたは天寿を全うして墓に入ることだろう。見よ、これが我らの究めたところ。これこそ確かだ。よく聞いて、悟るがよい」。
・エリパズの信じる神は因果応報の神だ。それは神の一面に過ぎない。現実の人生には、解決の見えない不条理がある。津波で夫や妻を無くした人は罪を犯したからそうなったのか、広島や長崎の原爆で命を失くした人々は天罰を受けたのか。イエスはそうではないと言われた。不条理な苦しみが世にはあるのだ。
−ヨハネ9:1-3「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか』。イエスはお答えになった『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」。
・苦難は「神の業が現れるため」である。私たちは苦難を通して神に訴える「何故私が」、「何故あなたは沈黙されるのか」、その訴えに神は答えて下さる。私たちは苦難を通して、神に出会うのではないだろうか。
−競灰螢鵐12:7-9「思い上がることのないようにと、私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました。すると主は『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。

*ヨブ記5章参考資料
“Loving Each Other” レオ バスカリア(「愛するということ、愛されるということ」より)

「聴いてください」

私の話を聴いてください、と頼むと あなたは助言を始めます。 私はそんなことを望んでいないのです。
私の話を聴いてください、と頼むと あなたはその理由について話し始めます。
申し訳ないと思いつつ私は不快になってしまいます。
私の話を聴いてください、と頼むと あなたは何とかして私の悩みを解決しなければ という気になります。
おかしなことに それは私の気持ちに反するのです。
祈ることに慰めを見出す人がいるのは、そのためでしょうか。神は無言だからです。
助言したり、調整しようとはしません。神は聴くだけで悩みの解決は自分に任せてくれます。
だからあなたもどうか黙って私の話を聴いてください。
話したかったら私が話し終わるまで少しだけ待ってください。
そうすれば私は必ずあなたの話に耳を傾けます。

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