すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  012年4月25日祈祷会(詩編139編「主は私を極め知っておられる」)
水口仁平

・詩編139編は、詩人の敬虔が詩となり、全編に信仰が溢れています。
−詩編139:1−6「指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。私の舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いていてくださる。その驚くべき知識はわたしを越え、あまりにも高くて到達できない。」
・1節の「指揮者によって。ダビデの詩。賛歌」の指揮者は、もちろん、現代のオ−ケストラや合唱の指揮者とは異なります。たんに歌を指導する者、歌い手を監督する者を意味します。「ダビデの詩」は138編と同じくバビロン捕囚後の詩人が、ダビデに倣い、ダビデを記念した作です。「賛歌」は礼拝用の歌を意味します。
・人の生涯に起る様々な出来事、それらは、なぜそうなったのか、そうなるのか、人の知性や理性だけでは解き明かせません。合理的な解釈も難しく、さらに人智を越えることもしばしばです。それらを自覚すればするほど、詩人は神の臨在を感じ、敬虔になるのです。
−詩編139:7−10「どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる。」
・詩人は神の普遍性を詩にしようと言葉を尽しています。しかし、詩人の努力も神の存在の大きさには及びません。詩人が神の業の偉大を、表し尽せぬ、もどかしさがこの詩にあります。
−詩編139:11−12「わたしは言う。『闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。』闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち、闇も、光も、変わるところがない。」
・闇の中では人は何も見えません。しかし、その闇も神の目を妨げることはできません。だから、神は人のすべてを見通すことができるのです。なにものも神の目を妨げることはできないのです。
−詩編139:13−14「あなたは、わたしの内臓を作り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか、わたしの魂はよく知っている。」
・神は人の誕生以前からその人を知っておられる。なぜならば、神は人の内臓の一つ一つから、造られているからです。神は、その内臓の一つ一つから人を組み立てておられるのです。詩人は人の生の初めを神の業と自覚し、生かされている実感して感謝します。
−詩編139:15−16「秘められたところでわたしは造られ、深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されていない。胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。まだその一日も記されないうちから。」
・人は胎児のときから神に知られ、その生は母の胎にあるときから、神の書にすべて記録されています。結びで「またその一日も記されないうちから」と詩人は強調しています。
−詩編139:17−18「あなたの御計らいは、わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。数えようとしても、砂の粒より多く、そのはてを極めたと思っても、わたしはなお、あなたの中にいる。」
・神の恩寵は数え切れないと詩人は歌います。
−詩編139:19−22「どうか神よ、逆らう者を打ち滅ぼしてください。わたしを離れよ、流血を謀る者。たくらみをもって御名を唱え、あなたの町々を空しくしてしまう者。主よ、あなたを憎む者をわたしも憎み。あなたに立ち向かう者を忌むべきものとし、激しい憎しみをもって彼らを憎み、彼らをわたしの敵とします。」
・ここでは、神に反抗して生きる人たちへの、詩人のいらだちが表されています。
−詩編139:23−24「神よ、わたしを究め、わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。御覧ください、わたしの道に迷いがあるかどうかを。どうか、わたしを、とこしえの道に導いてください。」
・139編は詩人が最初に述べた祈り「神よ。わたしを究め、わたしを知ってください」に戻ります。詩人の望みは、さらによりよく、自分が神に知られ、永遠の神の道に導かれることです。パウロはこの信仰のもたらす希望を次のように述べています。
−1コリント13;12−13「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔を合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくても、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知られているように、はっきり知るようになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中でもっとも大いなるものは愛である。」
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