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トップ  >  詩編  >  2012年4月11日(水)祈祷会(詩編137編「バビロンの川のほとりで」)   
水口仁平

1、故郷シオンを偲ぶ歌

・第一次バビロン捕囚。紀元前597年、バビロニアの王ネブカドネザル2世の攻撃を受けたユダの王エホヤキンは降伏し、王は奪われた神殿の宝物、軍人、貴族、聖職者及び国民の中の重だった人々とともにバビロニアに連行されました。その後のユダには、バビロニアに服従するゼデキア政権が置かれて、半独立国となりました。
−列王記下25章より(1)「ユダの王位はゼデキアに継承されましたが、彼がバビロニアに反旗をひるがえしたので、ネブカドネザル2世は再びエルサレムに攻め入り、徹底的にエルサレムの都を破壊し、宝物を奪い、祭司長や将軍などを殺害、投降した者たちをバビロニアに連行しました。この連行を第ニ次バビロン捕囚といいます。その連行の後には貧しい無産の農民たちなどが残り。国の基はすっかり崩れてしまいました」
−列王記下25章より(2)「ゼデキア王は配下の者たちと逃亡しましたが、途中からばらばらになり王の一行は取り残され、ついにエリコの荒野で捕えられ、王の目の前で王子たちは殺され、そのうえバビロンの王はゼデキアの両眼をつぶし、青銅の足かせをはめ、バビロンに連行しました。その後、ネブドネザルはゲダルヤをユダの総督として立て、ユダをバビロンの属領としました。」
・捕囚たちはバビロニアのニップル近くのケバル川のほとりに住まわせられました。捕囚たちは戦争で減少したその地域の人口を補い、戦争で荒廃したその地域の復興のため働かせられました。捕囚たちを連行したのは勝者が自国の繁栄のために敗者を使役することが目的でした。詩編137編はユダの捕囚が、このケバル川の岸辺で故郷を偲んで歌った歌なのです。
−詩編137:1−4「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思ってわたしたちは泣いた。竪琴はほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚にした民が、歌を歌えと言うから、わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして、『歌って聞かせよ、シオンの歌を』と言うから。どうして歌うことができようか。主のための歌を異教の地で」
・シオンはエルサレムの代名詞です。彼ら彼女らは故郷シオンを思い泣きました。詩の作者は元宮殿の歌い手でした。いかに捕囚の身だとはいえ、神を崇め歌うシオンの歌を、異教の民の座興には歌う気にはなりません。竪琴を柳の枝に掛けたのは、歌うことを拒否したということなのです。
−詩編137:5−6「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎にはり付くがよい、もしも、あなたを思わぬときがあるなら、もしも、エルサレムを、わたしの最大の喜びとしないなら。」
・詩人は竪琴弾きですから、エルサレムを忘れるくらいなら、右手が萎えて竪琴を弾けなくてよいという覚悟を示しているのです。また詩人は歌手でもありますから、舌が上顎に張り付けば、歌えないのだから、エルサレムを忘れるくらいなら、もう竪琴を弾いて歌う必要はないという覚悟のほどを、さらに強く言い表しているのです。

2、詩人は嘆き歌う

―詩編137:7「主よ、覚えていてください、エドムの子らを、エルサレムのあの日を、彼らがこう言ったのを、『裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。』」
・このエドムの子というのはエドム人のことです。エドム人とイスラエル人は元を糺せば兄弟民族なのです。創世記によれば、イスラエル民族の始祖はアブラハムで、その子がイサクです。そのイサクの子供は、兄がヱソウで弟がヤコブの双子でした。目の悪い父イサクは長子の権利を、弟ヤコブに騙しとられます。この兄のヱソウの子孫がエドム人です。だから元を糺せば、この両者は兄弟民族のはずなのです。それなのに、エドム人はバビロン側についてしまいました。そのエドム人がこともあろうに、イスラエルが都の基まで裸にされて滅びてしまえと、呪いの言葉を口にした詩人は嘆いているのです。
−詩編137:8−9「娘バビロンよ、破壊者よ、いかに幸いなことか、お前がわたしたちにした仕打ちを、お前に仕返す者、お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。」
・娘バビロンはバビロニアの代名詞です。幼子を岩にたたきつけ殺すのは、仕返しとはいえ、あまりに残酷過ぎます。しかし、それほどの嘆きと恨みをバビロニアに対して詩人はいだいていたのです。
−捕囚時代のユダヤ人は、自分たちが置かれた、自分たちと異なるバビロニアの宗教や社会の中で、葛藤を繰り返しながら、それまでの民族の歴史や、信仰の在り方を徹底的に反芻しなければならなくなりました。そして互いに信仰の絆を強め、失ったエルサレムと神殿の代わりに、律法を信仰の拠りどころとして、互いに結ばれるようになりました。
−その結果神殿宗教でありながら、律法宗教でもある、ユダヤ教が確立されました。またヤハウエの再理解として、ヤハウエはユダヤ民族の神であるだけでなく、全世界を創造した唯一の神であると確信されるようになります。バビロニアに在ってバビロニアの偶像神信仰に対抗するため、創世記を始めとするモ−セ五書などの聖典を、第二イザヤ、祭司記者と称される人々の記述により残すようになりました。
−そして、時代が下って、ロ−マ時代以降のディアスポラ(民族離散)においても、さらに今に至るまでも、失われることのなかったイスラエル民族のアイデンティティは、このバビロニア捕囚をきっかけとして確立されたたとされているのです。
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