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トップ  >  詩編  >  2012年4月4日祈祷会(詩編136編、「恵み深い主に感謝せよ」)          
1、創造の主をほめ讃えよ

・詩編136編は135編を引き継ぎ、万物を創造し、歴史を支配される神に感謝を表す詩です。詩は135編より、さらに力強く表現されています。その特徴は、繰り返しで「その慈しみはとこしえに」で、それが中心主題になっています。バビロン捕囚期以後に作詞され、過ぎ越しの祭で歌われたと考えられています。三連の感謝の詩で始まります。
−詩編136:1−3「恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。神の中の神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。主の中の主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。」
・136編は礼拝用に編集さています。礼拝リーダーが前半を歌い、会衆が『主の慈しみは永久に』と後半を唱和します。4節から9節は創世記1章と同じく、天地を造られた神のみ業を讃えています。
−詩編136:4−9「ただひとり、驚くべきみ業を行う方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。英知をもって天を作った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。大地を水の上に広げた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。大きな光を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。昼をつかさどる太陽を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。夜をつかさどる月と星を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」
・10−15節は出エジプトの出来事が人間的には不可能であったが、神により初めて実現したことを賛美しています。神は、人の歴史の中に臨在し、関わられ、出エジプトの奇跡を起こされました。その神への感謝の讃歌です。
−詩編136:10−15「エジプトの初子を討った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。イスラエルをそこから導き出した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。力強い手と腕を伸ばして導き出した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。葦の海を二つに分けた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。イスラエルにその中を通らせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。ファラオとその軍勢を、葦の海に投げ込んだ方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」

2、荒野から導き出した神に感謝せよ

・16節はモ−セが「私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足の靴もすり切れなかった。」(申命29:4)と述べたように、イスラエルの民は神の加護により導かれたことを示します。
−詩編136:16「イスラエルの民に荒野を行かせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」
・17−22節はカナンへの進入と定着を導かれた神を、思い起こした感謝です。イスラエルの歴史において実際に民の先頭に立ち、働かれた神の恵みと慈しみがいかに大きかったかを歌っています。
−詩編136:17−22「強大な王たちを討った方に感謝せよ。慈しみは永久に。力ある王たちを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。アモリ人の王シホンを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。バシャンの王オグを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。彼らの土地を嗣業として与えた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。僕イスラエルの嗣業とした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」
・23から25節はバビロン捕囚から解放された感謝です。23節の「私たちが低くされたとき」は戦いの苦闘の果てに敗退し、ついに外国の補囚とされたことを思い起こし、その屈辱の日々も神は見捨てなかったと告白しているのです。
−詩編136:23−25「低くされた私たちを、御心にとどめた方に感謝せよ。慈しみは永久に。敵から私たちを奪い返した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」
・26節は過去に経験した神のみ業を心に刻みつけておかねばならない、と歌っています。苦境のときこそ、神の恩寵が滲み出るからです。
−詩編136:26「天にいます神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」
・詩編136編はイスラエルが綴る神の慈しみの記録です。イスラエルはこの詩により、神の慈しみを忘れないために、記録しているのです。私たちには経験して知る外無いことが多いのも事実です。苦難も、ときには死の陰の谷に追い込まれるようなことでも、経験して初めてわかるのです。しかし、そこを通り経験しなければならないとしたら、それは神よりの試錬なのではないでしょうか。
−詩編119:75「主よ、あなたの裁きの正しいことを、わたしは知っています。私を苦しめられたのは、あなたのまことのゆえです。」
・パウロは苦難に対してはっきりした信仰をもっていました。パウロは、苦難は神による試練だと言い切っています。
−競灰螢鵐4:7−9「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」。」
・それは神が人を苦難から解放することだけではなく、苦難のうちに起こる出来ごとに打倒されない力を神から与えられていると信じているからです。神を信じる者には、このような逆説を信頼できるのです。これが本当の生きた信仰なのです。

(水口仁平)
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