すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.国家の混乱の中で

・ホセア8章は7章に引き続き、王国末期のイスラエルを告発する。イスラエル王国はヤロブアム2世死後、無政府状態になり、支配者は次々に代わり、紀元前733年には国土の三分の二はアッシリアに奪われ、もはや独立国家の体をなしていなかった。預言者は「このような時代を招いたのはあなたがたの不信仰の故だ」と批判する。イスラエルは主に「わが神よ、我々はあなたに従っています」と言いながら、真心から悔い改めようとしない。イスラエルは主の恵みを拒んだ。それ故に、鷲(アッシリア)が主の家(イスラエル)に襲いかかる。
−ホセア8:1-3「角笛を口に当てよ。鷲のように主の家を襲うものがある。イスラエルが私の契約を破り、私の律法に背いたからだ。私に向かって彼らは叫ぶ『わが神よ、我々はあなたに従っています』と。しかし、イスラエルは恵みを退けた。敵に追われるがよい」。
・イスラエルは次から次に王を取り替えたが、それは主の委託によるのではなく、人間の思惑と欲によるものだ。真の王は神である(サムエル上8:7:彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ)のに、彼らは主のみ旨を尋ねようとせず、金の子牛を拝んでそれを主だと思い違いしている。それらの偶像は砕かれると預言者は宣言する。
−ホセア8:4-6「彼らは王を立てた。しかし、それは私から出たことではない。彼らは高官たちを立てた。しかし、私は関知しない。彼らは金銀で偶像を造ったが、それらは打ち壊される。サマリアよ、お前の子牛を捨てよ。私の怒りは彼らに向かって燃える。いつまで清くなりえないのか。それはイスラエルのしたことだ。職人が造ったもので、神ではない。サマリアの子牛は必ず粉々に砕かれる」。
・現代の私たちにとっての偶像は、技術やテクノロジーに対する過信であろう。原発は安全だと学者や技術者は保証し、私たちもそう思っていた。しかし今回の原発事故が示したものは、私たちの偶像が破壊されたという事実だ。
−P.ティリッヒ説教“地の基震える”から「人間は地の基を震い動かす力を創造的な目的のために、進歩のために、平和と幸福のために用いることができると考えてきた。人間は何故神の創造の業を継承できないのか、何故神になってはいけないのかと問いかけてきた・・・そして人間はその力をワルシャワ、広島、ベルリンで用いてきた。その結果、何が起きたのか」。

2.イスラエルは何故滅亡したのか

・後半からイスラエルの無節操な外交政策が批判される。彼らはある時はアッシリアに、別の時はエジプトになびき、主を求めようとしない。彼らは「風のなかで蒔き、嵐の中で刈り取る愚か者だ」とホセアは批判する。彼らは混乱に混乱を重ね、やがて他国の餌食になるであろうと。
−ホセア8:7-8「彼らは風の中で蒔き、嵐の中で刈り取る。芽が伸びても、穂が出ず、麦粉を作ることができない。作ったとしても、他国の人々が食い尽くす。イスラエルは食い尽くされる。今や、彼らは諸国民の間にあって、だれにも喜ばれない器のようだ」。
・「イスラエルは一人野をさまよう野ろばのようだ」とホセアは批判する。アッシリアに命乞いのため大量の貢物をするかと思えば、エジプトの好意を得ようと彼らにも秋波を送る。野ろばが襲われるようにイスラエルも滅ぶ。
−ホセア8:9-10「エフライムは独りいる野ろば。アッシリアに上って行き、貢によって恋人を得た。彼らは諸国に貢いでいる。今や、私は諸国を集める。諸侯を従える王への貢ぎ物が重荷となって彼らはもだえ苦しむようになる」。
・王国末期のイスラエルの状況は現代の日本と似ているような思いにとらわれる。
−沖縄の基地移転は迷走し、日本は決定権を失った。ただ米国への貢物(思いやり予算)を通して日米安保体制が維持されている。
−福島再建のための除染作業が進行しているが、その費用負担(数兆円〜数十兆円)についての議論はない。過疎化、高齢化の進む地域の再建のために何が必要かの議論なしに目先の処理だけが進行する。
−高齢化に伴う社会保障費の増大を賄うための消費税引き上げさえも政局化されて達成できないでいる。
−毎年首相が変わる国故に、日本は国際会議での存在感をなくしている。ホセアが述べるように「彼らは諸国民の間にあって、だれにも喜ばれない器」(8:8)になっている。
・イスラエルは多くの祭壇を作って多くの犠牲動物を捧げた。そうすれば主が喜ばれ、状況が好転すると期待したからだ。しかしかかる礼拝は偶像礼拝に過ぎない。主が求められるのは捧げ物の犠牲ではない(ホセア6:6「私が喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない」)。
−ホセア8:11-14「エフライムは罪を償う祭壇を増やした。しかし、それは罪を犯す祭壇となった。私は多くの戒めを書き与えた。しかし、彼らはそれを無縁のものと見なした。私への贈り物としていけにえをささげるがその肉を食べるのは彼らだ。主は彼らを喜ばれない。今や、主は彼らの不義に心を留め、その罪を裁かれる。彼らはエジプトに帰らねばならない。イスラエルはその造り主を忘れた。彼らは宮殿を建て連ねた・・・私はその町々に火を送り、火は城郭を焼き尽くす」。

*ホセア8章参考資料:再生への提言〜東日本大震災、福島の「草の根」に希望(福島県立博物館長・赤坂憲雄)

・復興の動きはあきれるほど遅い。国や県には将来へのビジョンが乏しいからだ。被災地はそんな国や県を見切り始めている。もはや受け身では何も動かないと、人々は痛みとともに気づいてしまった。被災市町村の首長たちは、それぞれに厳しい状況のなかで孤立を恐れず覚悟を決めて発言している。多くの人々が試行錯誤を繰り返しつつ、草の根のレベルから声を上げている。そうした「下」からの動きこそ支援してほしい。福島はかつて自由民権運動の土地だった。その記憶は今も生きている。シンポジウムの場などで、誰からともなく「自由民権運動みたい」という声が聞こえてくる。現実が厳しいからこそ人々は現代の自由民権運動を求めている。
・他方、中央の東北への視線は相変わらずだ。原発事故の当事者である東京電力の姿が福島ではほとんど見えない。十分に責任を果たしてきたとも思えない。それなのに東電批判の声はとても小さい。10万人の「原発難民」を生んだ福島に、原発との共存はありえない。福島県には、30年間で約3000億円の交付金が下りたと聞く。小さな村の除染費用にすら足りない。「契約」は破綻した。原発は地震であれ津波であれ、絶対に事故を起こしてはならなかったのだ。福島からの脱原発はイデオロギーではない。
・放射能による汚染は、福島県を越えて東日本全域に少なからず広がっている。汚染とともに生きる選択肢しか残されていない。可能な限り子供たちの健康を守るシステムを構築しながら、しなやかに、したたかに「腐海」(「風の谷のナウシカ」)と共に生きる知恵を学ばねばならない。どんなに困難でも、自然エネルギーへの転換しかない。風力・太陽光・地熱・バイオマスなどを組み合わせ東北全域を自然エネルギーの特区にするような、大胆で将来を見据えた提案がほしい。日本にはその技術も経済力もあり、再生へのチャンスもある。

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