すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2012年3月21日祈祷会(詩篇134編、礼拝における讃美と祝祷)
1.詩篇134編に見る礼拝のあり方

・詩篇134編は都上りの歌の最終歌である。おそらくは礼拝を終えて神殿を去る巡礼者たちが、明日の礼拝に備えて夜通し主の宮の番を行う祭司に対して、「主を讃えよ」と呼びかけ(1-2節)、それに呼応して「主があなたを祝福して下さるように」と祭司が答礼をした(3節)、その状況を歌ったものであろう。神殿においては毎朝夕に犠牲の羊が捧げられたため、祭司は夜通しその準備を行なって、夜明けと共に朝の礼拝が始まった。
・ここでは「バーラフ」という言葉が3回用いられている。1-2節ではそれは「讃える」と訳され、3節では「祝福」と訳される。神から人へのバーラフが「祝福」であり、人から神へのバーラフが「賛美」である。
−詩篇134:1-3「都に上る歌。主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。夜ごと、主の家にとどまる人々よ。聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ。天地を造られた主が、シオンからあなたを祝福してくださるように」。
・神から祝福が与えられ、それを感謝するのが賛美である。旧約における祝福の基本は物質的繁栄であり、多くの場合、子に恵まれることがその最大のものである。
−創世記1:28「神は彼らを祝福して言われた『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」。
・アブラハムに対する祝福も子孫の繁栄と土地の取得である。
−創世記13:14-16「主は・・・アブラムに言われた『さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、私は永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう』」。
・やがて祝福は「私の戒めを守るならば」という形で与えられるようになる。それは国の滅亡が主の戒めを守らなかったことによると理解した故であろう。
−申命記28:1-2「もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日私が命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう」。

2.現代の教会の讃美と祝祷を考える

・詩篇134編は、「賛美と祝福のあり方」を私たちに考えさせる。現代の教会では、礼拝の締め括りとして「頌栄」が歌われ、「祝祷」がなされる。詩篇134編に即して考えれば、1-2節が頌栄、3節が祝祷に当たるであろう。祝祷の基本は民数記にある「アロンの祝祷」である。
−民数記6:24-26「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように」。
・新約時代になると、祝祷は「父、御子、聖霊」の名によって為された。第二コリント書の結びの言葉が祝祷の代表的なものである。
−競灰螢鵐13:13「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」。
・詩篇134編は同時に、「神の国はどこにあるのか」も私たちに考えさせる。人は言う「この社会は罪に満ち、どこに神の国があるのか」と。それに対して詩篇は応える「主への礼拝の中にあるではないか。ここでは主への賛美が為され、主の民への祝福があるではないか」と。
−ルカ17:20-21「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた『神の国は、見える形では来ない。ここにある、あそこにあると言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ』」。
・「死の谷を過ぎて〜クワイ河収容所」の著者ゴードンは、第二大戦中に捕虜として強制収容所に入れられた。不条理な強制労働により多くの人が死に、ゴードンもマラリヤやジフテリヤに罹り、「死の家」に運び入れられ、命が終わる日を待っていた。しかし、キリスト者の友人たちの看護で助けられ、回復後、仲間と共に奉仕団を結成して病人の介護を行い、聖書を共に読み、広場で礼拝を始めた。無気力だった収容所の仲間たちから笑い声が聞こえ、祈祷会が毎晩開かれ、所内に賛美の歌声が響く。彼はその時思う「エルサレムとは、神の国とは結局、ここの収容所のことではないか」。他方、同じイギリス人の記した「クワイ河捕虜収容所」(レオ・ローリングス著)の副題は「地獄を見たイギリス兵の記録」だ。ゴードンとローリングスを分けたものは何なのか。他者を無条件で赦し、迎え入れる時、奇跡が起こり、自分たちは不当に差別されていると恨む時、そこは地獄になっていく。


詩篇134編参考資料:エルサレム神殿の一日

・日々の礼拝は夜明けと共に始まります。神殿の係りの者は、「祭司たちよ、礼拝へ。レビ人よ、高台へ。イスラエル人よ、代表(奉仕者・マアマドート)たちのもとへ」と大声で告げます。その声で地下の炉床の間で休んでいた祭司達は目覚め、日々の生贄の準備を行う神殿監督者の到着を待ちます。
・その間に、夜間燃え尽きた犠牲の生贄の灰を取り除く者をくじで決めます。次に炉床の間から祭司の庭に出て、二組に分かれた祭司達は什器が所定の場所にあるかどうか、不浄な骨や汚れが無いかを確認します。祭壇の灰を取り除き、木材の束を置きます。その後祭壇の南側に隣接する切石の間に集合し、その日の犠牲の祭儀の分担をくじで決めます。くじに当たった者は、手足を洗い潔め、礼拝が始まる夜明けを待ちます。
・監督者が到着し「夜が明け一日が始まった」と告げると、礼拝が開始されます。礼拝のために聖所を清掃し、燭台の手入れをし、香の祭壇の灰を掃除し、聖所の扉を開け、他の者は犠牲の小羊を取りに行きます。聖所の扉が開かれる事は、全焼の犠牲が屠殺される礼拝が始まった合図でもありました。この後、祭司は香をたく役を決めるくじを投げます。香がたかれる間、人々は聖所の前にあるイスラエル人の庭に集まって祈りを捧げます。香をたく儀式が終わると、全祭司が聖所に入って平伏し、ついで外に出て、人々に祝禮を授けるために入り口の段の上に立ちます。
・その後、犠牲の動物の肉の一部が奉献され、大祭司の奉献物として供えのパンが捧げられます。二人の祭司が二回ラッパを吹き鳴らし、祭壇に献酒が注がれますが、祭司が献酒を用意すると布切れを振って合図が送られ、レビ人たちが楽器に合わせて詩篇の一つの章を歌います。その時雄羊の角笛を吹きますので、吹かれるたびに人々は平伏します。献酒が終わって朝の礼拝は終了します。午後も同様に生贄の子羊を祭壇で全焼にします。その間、自発的な生贄、義務付けられた犠牲が捧げられます。

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