すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2012年2月22日祈祷会(詩篇130編、深き淵から)
1.罪の赦しを求める悔い改めの祈り

・詩篇130編は罪の赦しを求める悔い改めの祈りだ。それはグレゴリアン聖歌(新生讃美歌432番「深き悩みの淵の底で」)となって教会のミサで歌われ、それを聞いたジョン・ウェスレーに回心を迫った歌としても有名である(詩篇130編参考資料参照)。詩は自分が深い淵(罪の縄目)の中にいてあえぐ詩人の主を求める祈りで始まる。
−詩篇130:1-2「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈る私の声に耳を傾けてください」。
・人は追い詰められ、出口の見えない深い淵にまで落ち込まないと自分の罪が見えない。「もうだめだ。もう終わりだ」、その極限に追いつめられて人は主を求め、叫ぶ。放蕩息子が悔い改めたのは、彼が食べるものもなくなり、餓死するしかない所まで追い詰められた時だった。
−ルカ15:16-19「彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、私はここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。“お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください”と』」。
・そして父なる神を求めた時、そこには罪と責任を追求する神ではなく、無条件に赦す神がおられた。
−ルカ15:22-24「父親は僕たちに言った『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ』。そして、祝宴を始めた」。
・この体験をした者は絶望の淵にあってもなおも希望を持つ。なぜなら神は「罪に目を留める」方ではなく、「憐れまれる」方であることを知る故だ。
−詩篇130:3-4「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです」。

2.罪の赦しを感謝する祈り

・5節から後半に入り、救いを求める祈りが続く。城塞を守る哨兵が彼の義務が解かれる朝を待ち望むように、詩人は絶望の闇が明け、救いの朝が来る時を待ち望む。
−詩篇130:5-6「私は主に望みをおき、私の魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。私の魂は主を待ち望みます。見張りが朝を待つにもまして、見張りが朝を待つにもまして」。
・その希望は夜の闇がどのように深くてもやがて朝が来ることを知る体験から来る。その時、どのような状況であれ、私たちは希望を持ち続けることが出来る。それが聖書の信仰だ。
−ローマ13:11-12「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、私たちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう」。
・しかし福音(良き訪れ)を聞いたことのない人は待つことが出来ず、苦難の中で自らの命を断つ。だから私たちは福音を伝えなければいけない。どのような闇の中にあっても朝は来る。闇が深いほど夜明けは近いと。
-新生讃美歌560番(闇は深まり・ヨッヘン・クレッパー作詞)「闇は深まり、夜明けは近し。あけの明星、輝くを見よ。夜ごとに嘆き、悲しむ者に、喜びを告ぐる、朝は近し。おさな子となり、僕となりて、御神みずからこの世に降る。重荷負うもの、かしらを上げよ。信ずるものはみな、救いを受けん」。
・その個人の救済の祈りがやがて民族の救済の祈りへとなっていく。この詩の年代はネヘミヤ時代と推測されている。当時イスラエルはペルシャの支配下にあり、苦闘していた。個人の救いは共同体の救いと分離できない。救いを求めて教会に来ても、教会の中に諍いがある時、人は救われない。教会はそのことを深く知るべきだ。
−詩篇130:7-8「イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。主は、イスラエルをすべての罪から贖ってくださる」。
・人は希望がある限り、待つことが出来る。希望の根拠は神の言葉である。
−イザヤ54:7-8「わずかの間、私はあなたを捨てたが、深い憐れみをもって私はあなたを引き寄せる。ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが、とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむとあなたを贖う主は言われる」。
・そして主を知った人は祈る「御姿が見えますように、清い心を与えたまえ。御声が聞こえますように、貧しい心を与えたまえ。お仕えさせていただけますように、愛する心を与えたまえ。御身のうちに生きられますように、信ずる心を与えたまえ」(ダグ・ハマーショルドの祈りから、詩篇130編参考資料参照)。

*詩篇130編参考資料1:グレゴリアン聖歌De profundis(ミサ奉献文・詩編129:1-2)
De profundis clamavi ad te, Domine:デ プロフンディス クラマーヴィ アド テ、ドミネ。
主よ、われ深きふちよりおん身に叫びまつれり。
Domine, exaudi orationem meam:ドミネ、エグザウディ オラツィオーネム メアム。
主よ、願わくはわが声を聞き給え。

*詩篇130編参考資料2.ダグ・ハマーショルドの祈り 
私たちを憐みたまえ。私たちの努力を憐みたまえ。
私たちが愛と信仰とにみち、正義を尊び、へりくだって、御前にいて、己を律し、忠実を守り、勇気をもって、御身の跡についていけますよう、そして私たちが、静寂のうちに御身に出会えますように。
御姿が見えますように、清い心を与えたまえ。
御声が聞こえますように、貧しい心を与えたまえ。
お仕えさせていただけますように、愛する心を与えたまえ。
御身のうちに生きられますように、信ずる心を与えたまえ。
御身よ、私は御身を知りませぬが、しかも御身のものでございます。
御身よ、私には御心が測れませぬが、しかも御身は私をば、私の運命へとお捧げになられました。御身よ

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