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1.ホセア書とはどういう書か

・ホセアが預言者として立てられたのは北イスラエル王国ヤロベアム二世の晩年である(前750年頃)。当時の北イスラエルは政治的に安定し経済も栄えたが、国内では貧富の格差が拡大し、道徳心は低下し、不正と不義が横行していた。ヤロベアム二世が亡くなると、国内は混乱状態になり、25年の間に6人の王が交代していく。外交的にはアッシリアの侵入、エジプトとの同盟、アッシリアの再侵入等があり、やがて北イスラエルはアッシリアに滅ぼされていく(前722年)。ホセアは祖国の滅亡を見続けた預言者であった。
−ホセア書1:1「ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉」。
・ホセアは滅び行く祖国の運命を「姦淫の女」という妻との家庭体験と重ね合わせて表現していく。イスラエルはカナンの農耕文化とそれに属する豊穣儀礼(バアル信仰)の中に取り込まれていった。それは預言者から見れば、夫(主なる神)がいるのに他の男(バアル)に心奪われる姦淫の行為であった。その表現は今日から見れば女性差別的であるが、主なる神からの背信という出来事を印象的に述べるためであった。
−ホセア2:4-5「告発せよ、お前たちの母を告発せよ。彼女はもはや私の妻ではなく、私は彼女の夫ではない。彼女の顔から淫行を、乳房の間から姦淫を取り除かせよ。さもなければ、私が衣をはぎ取って裸にし、生まれた日の姿にして、さらしものにする。また、彼女を荒れ野のように、乾いた地のように干上がらせ、彼女を渇きで死なせる」。
・ホセア1章はホセアの召命であるが、かなり奇妙な召命体験である。彼は主から「ゴメルを妻に娶るように」命じられる。彼女は、最初は貞淑な妻であったが、やがて他の男との姦淫に耽るようになる。
−ホセア1:2「主がホセアに語られたことの初め。主はホセアに言われた『行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ』」。

2.生活の中で預言を語る

・やがてゴメルは男の子を生む。ホセアはその子が自分の子ではないことを知った。その悲しみの中で子を「イズレエル」と名付ける。イズレエル、北王国第五王朝のイエフはアハブ王朝を倒して王になったが、アハブの妻イゼベルを殺し、その70人の子の首を晒した場所がイズレエルだった。イエフから4代目の王がヤラベアム二世であり、ホセアは血を流して手に入れた王朝は血を持って滅ぼされると王朝の滅亡を預言している。
−ホセア書1:3-5「彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだ。主は彼に言われた『その子をイズレエルと名付けよ。間もなく、私はイエフの王家にイズレエルにおける流血の罰を下し、イスラエルの家におけるその支配を絶つ。その日が来るとイズレエルの平野で私はイスラエルの弓を折る』」。
・ホセアの預言通り、ヤラベアム二世の子ゼカリアは即位六ヶ月で殺され、イエフ王朝は滅んでいく。ホセアの妻ゴメルはやがて女の子を産むが、その子もまた愛人の子であることは明らかで、ホセアはその子に「ロ・ルハマ(憐れまぬ者)」と名付ける。ホセアが子を愛せないように主もまたイスラエルを見放されたという預言である。
−ホセア1:6「彼女は再び身ごもり、女の子を産んだ。主は彼に言われた『その子をロ・ルハマ(憐れまれぬ者)と名付けよ。私は、もはやイスラエルの家を憐れまず、彼らを決して赦さないからだ』」。
・ゴメルはまた子を生む。その子の名前は「ロ・アンミ(わが民でない者)」と名付けられる。自分の子どもではないというホセアの叫びが、民の背信に苦しむ主の叫びとして表現されている。
−ホセア1:8-9「彼女はロ・ルハマを乳離れさせると、また身ごもって、男の子を産んだ。主は言われた『その子をロ・アンミ(わが民でない者)と名付けよ。あなたたちは私の民ではなく、私はあなたたちの神ではないからだ』」。
・ホセアの時代、南王国ではイザヤが立てられ、ヒゼキヤ王に「主を信じて揺らぐな」と言い続ける。北イスラエルを滅ぼしたアッシリアは南ユダにも攻め入るが南ユダは奇跡的に救済される。ホセア1:7はそれを反映している。
−ホセア1:7「だが、ユダの家には憐れみをかけ、彼らの神なる主として、私は彼らを救う。弓、剣、戦い、馬、騎兵によって救うのではない」。
・列王記はイスラエルが滅び、ユダが残ったのは、イスラエルが主の声に聞き従わなかったためだと結論づける。
−列王記下18:6-12「彼(ヒゼキヤ)は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った・・・彼はアッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった・・・サマリアが占領されたのは、ヒゼキヤの治世第六年、イスラエルの王ホシェアの第九年であった・・・こうなったのは、彼らが自分たちの神、主の御声に聞き従わず、その契約と、主の僕モーセが命じたすべてのことを破ったからである」。

*ホセア書1章参考資料:国家の政策と信仰の関係をどう考えるか

・ホセアと同時代のイザヤもまたアッシリアの侵略の危機の中で揺れる祖国に対して預言した。その預言の一つがイザヤ10:12である。「主はシオンの山とエルサレムに対する御業をすべて成就されるとき、アッシリアの王の驕った心の結ぶ実、高ぶる目の輝きを罰せられる」。イザヤ10章の背景にあるのはアッシリアへの裁きだ。アッシリアは紀元前8世紀には世界帝国となり、パレスチナの諸国を次々に征服した。それは神が不信のイスラエルを打つ「鞭」としてアッシリアを用いられたからだとイザヤは言う。ところがアッシリアは神の委託を超えて、自分が主人であるように振舞い始め、「私の前には敵はいない、私こそ神である」と驕り始めた。ここに至って主はアッシリアを撃つことを決意されたとイザヤは預言する。事件は前701年に起こった。エルサレムを包囲するアッシリア軍内に疫病が発生し、数十万人の兵が死に、アッシリアは軍を引き揚げ、歴史的にはアッシリアはこのごろから勢力を弱め、やがて滅びた。
・このアッシリアへの裁きの預言を、無教会キリスト者の信仰に立つ矢内原忠雄は、中国への侵略をやめない日本軍国主義への神の言葉と聞いて、それを「国家の理想」(1937年)としてまとめて、中央公論に発表した。「国家の理想は正義と平和にある、戦争という方法で弱者をしいたげることではない。理想にしたがって歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びる」。日本は中国を懲らしめるための神の鞭、アッシリアに過ぎないのに、いつの間にか自分が神のように振舞い始めている。1931年満州を占領した日本は、1937年7月には盧溝橋事件を起こして、中国本土を征服しようとした。この事件を受けて矢内原は「国家の理想」を書いた。雑誌は処分を受け、矢内原の論文は全文削除となり、この論文が契機になり、矢内原は東大教授の職を追われた。
・矢内原は言う「バビロン捕囚を経てイスラエルの信仰が霊的になったように、日本もこの時局を経て飛躍することができるでしょう。それができなければ駄目だし、駄目ならば、日本は神の選民ではない、ということがわかる。これは必ずできるだろうと思うのです。しかしそれを実行するのは、我々神の真理を教えられたキリスト者の任務であるわけです」。初代教会の信徒は、「偶像を拝むな」という神の言葉を聴いて、皇帝を拝むことを拒否し、その結果多くの者が殺されていった。日本の植民地だった朝鮮の人々は、人間である天皇を拝まないとして神社参拝を拒否し、囚われていった。
・信仰は個人を超えて国の政策にも及ぶ。私たちが信仰を個人の倫理的完成に置く時、信仰は固定化し隣人を忘れた独善になりやすい。主なる神こそこの世界の創造者であり、この世界が神の支配の下にあるのであれば、政治も経済もまた信仰の事柄である。旧新約を貫く基本は「私の信仰、私の救い」ではなく、「私たちの信仰、私たちの救い」であることを銘記すべきであろう。
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