すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.物語と祭儀(13:1-16)


・出エジプト記では、神の救済の物語が祭儀として語られる。初子の奉献も何度も繰り返される。
―出エジプト記13:1-2「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」
・その中心は神が何をして下さったかである。神がイスラエルを愛されたゆえにイスラエルはその神に応答する。その応答が礼拝なのである。
―出エジプト記13:14-15「主は、力強い御手をもって我々を奴隷の家、エジプトから導き出された。ファラオがかたくなで、我々を去らせなかったため、主はエジプトの国中の初子を、人の初子から家畜の初子まで、ことごとく撃たれた。それゆえわたしは、初めに胎を開く雄をすべて主に犠牲としてささげ、また、自分の息子のうち初子は、必ず贖うのである。」
・酵母を入れないパンを食するのも、慌しく出立した出エジプトの日の出来事を忘れないためである。
―出エジプト記13:3-4「あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。酵母入りのパンを食べてはならない。あなたたちはアビブの月のこの日に出発する。」
・イスラエルの民にとって根源的な出来事は出エジプトであった。新約の民にとって根源的な出来事はキリストの出来事である。いずれも犠牲を通して、神の救済がなされている。救いは決して安価なものではない。それを思い起こすために繰り返し、犠牲の奉献が要求される。
―出エジプト記13:15-16「主はエジプトの国中の初子を、人の初子から家畜の初子まで、ことごとく撃たれた。それゆえわたしは、初めに胎を開く雄をすべて主に犠牲としてささげ、また、自分の息子のうち初子は、必ず贖うのである。』あなたはこの言葉を腕に付けてしるしとし、額に付けて覚えとしなさい。主が力強い御手をもって、我々をエジプトから導き出されたからである。」


2.摂理と計画(13:17-22)


・神はイスラエルを近道の安易な道ではなく、遠回りの、困難な荒野に導かれた。今の民にはそれが必要だったからである。
―出エジプト記13:17-18「ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。」
・この民は神の救済を感謝するが、危機になればすぐにそれを忘れてしまう民だったからだ。彼らは試練を通して訓練を受ける必要があった。
―出エジプト記14:10-12「ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った。『我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましですと言ったではありませんか。』」。
・荒野の旅は苦しく、また民は訓練されていなかった。それ故に神はその臨在を「見えるしるし」で民を導かれた。
―出エジプト記13:21-22「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」
・雲の柱、火の柱は、火山の頂で空中に漂う火煙ではないかと人は想像する。いずれにせよ、弱まっている民には神の臨在のしるしが与えられる。篠崎教会も今はしるしを求めるときではないかと思う。
―申命記31:14-15「主はモーセに言われた。『あなたの死ぬ日は近づいた。ヨシュアを呼び寄せ、共に臨在の幕屋の中に立ちなさい。わたしは彼に任務を授ける。』モーセがヨシュアと共に臨在の幕屋の中に立つと、主は雲の柱のうちに幕屋に現れられた。雲の柱は幕屋の入り口にとどまった。」
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