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トップ  >  ダニエル書  >  2012年1月12日祈祷会(ダニエル書9章、救済の日についての預言)
1.70周年の預言

・ダニエル書9章はシリア王アンティオコス・エピファネスの迫害はいつ終わるのかを追求した預言である。ダレイオス1世の治世1年、ダニエルは聖書を読み、エルサレムが荒廃から救われるためには70年の時が必要であることを知り、この70年をめぐって黙想するという設定になっている。
−ダニエル9:1-2「ダレイオスの治世第一年のことである。ダレイオスはメディア出身で、クセルクセスの子であり、カルデア人の国を治めていた。さて、私ダニエルは文書を読んでいて、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言者エレミヤに告げられたように七十年という年数のあることを悟った」。
・ダニエルが読んでいた聖書はエレミヤ書であり、そこには「この国は全部廃墟となるが、70年の時が満ちる時、その苦難は終わる」と記されていた。
−エレミヤ25:11-13「この地は全く廃虚となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に七十年の間仕える。七十年が終わると、私は、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する、と主は言われる。そして、そこをとこしえに荒れ地とする。私は、この地について私が語った言葉、エレミヤがこれらすべての国々について預言し、この巻物に記されていることを、すべて実現させる」。
・ダニエル書の著者は紀元前168年の現在に生きている。エルサレム解放後数百年も経っているのに、未だにエルサレムは荒廃の中にある。バビロン王の軛が終わっても新しい軛が与えられただけではないか。彼は苦悩して祈る。
−ダニエル9:4-7「私たちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。あなたの僕である預言者たちが、御名によって私たちの王、指導者、父祖、そして地の民のすべてに語ったのに、それに聞き従いませんでした・・・私たちユダの者、エルサレムの住民、すなわち、あなたに背いた罪のために全世界に散らされて、遠くにまた近くに住むイスラエルの民すべてが、今日のように恥を被っているのは当然なのです」。
・彼の願いは現在の苦難が一刻も早く取り除かれることだ。彼は救済を繰り返し嘆願する。
−ダニエル9:17-18「私たちの神よ、僕の祈りと嘆願に耳を傾けて、荒廃した聖所に主御自身のために御顔の光を輝かしてください。神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、私たちの荒廃と、御名をもって呼ばれる都の荒廃とを御覧ください。私たちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます」。
・このダニエルの祈りに答えて、主は天使ガブリエルを通して苦難の終わる日を示された。
−ダニエル9:24-27「お前の民と聖なる都に対して七十週が定められている。それが過ぎると逆らいは終わり、罪は封じられ、不義は償われる。とこしえの正義が到来し、幻と預言は封じられ、最も聖なる者に油が注がれる。これを知り、目覚めよ。エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから、油注がれた君の到来まで七週あり、また、六十二週あって、危機のうちに広場と堀は再建される。その六十二週のあと油注がれた者は不当に断たれ、都と聖所は次に来る指導者の民によって荒らされる。その終わりには洪水があり、終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられない。彼は一週の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる」。

2.ダニエル書9章はどのように読まれたのか

・ダニエルが示されたのは70週年の預言であった。24節・70週は原語では「シャブイーム・シブイーム=7の70年」であり、エルサレムが解放されてから今日までの490年間の歴史を示す。通常の理解は次のようである。
−エルサレム復興と再建についての御言葉(キュロス王の捕囚解放と神殿建設許可、前538年)が出されてから、油注がれた君(ゼルバベル、ダビデ家の末裔)の到来まで七週(49年)あり、また、六十二週(434年、ペルシャ・ヘレニズムの時代)あって、危機のうちに広場と堀は再建される。その六十二週のあと油注がれた者(大祭司オニアス)は不当に断たれ(殺され)、都と聖所は次に来る指導者の民(シリア)によって荒らされる。その終わりには洪水があり、終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられない。彼(シリア王エピファネス王)は一週の間(7年間)、多くの者と同盟を固め、半週(3年半)の間いけにえと献げ物を廃止する(神殿礼拝の禁止)。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすもの(ゼウス像が神殿に安置)が座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる(エピファネスの死)」。
・イエスの時代の人々はこのダニエル書9章がローマ支配の終わりを示していると理解し、この預言を根拠に、エルサレム神殿が一時的にローマ軍によって占拠されるようなことがあっても、神は最終的な勝利を与えてくださると信じて、ローマに対する独立運動を激化させ、結果的に、紀元七十年に国を滅ぼされた。
−ヨセフス・ユダヤ古代誌「ダニエルはまた同じ仕方で、ローマ人の帝国について、すなわち彼らの手によるエルサレムの陥落と神殿荒廃について書き記した」(ユダヤ古代誌10:276)。
・現代の原理主義キリスト者たちはこのダニエル書9章の預言は文字通り実現すると考えている。
−彼らは7週と62週とを合わせると69週(483年)になり、ネヘミヤ2章・エルサレム城壁の再建をペルシャ王が命じた前445年から、イエスの十字架の年までが483年になると計算し、キリストの十字架こそが「油そそがれた者が絶たれた」ことを現すと言う。そして、最後の「1週」(7年)が、イスラエルの民のために、エルサレム神殿が再建された後に一時的に崩壊し、その後完成されるという時期として残されており、1948年のイスラエル国家の再建こそ、この終わりの時代への入り口を示していると主張した。彼らはイスラエル国家の回復こそ神の摂理であり、キリストの再臨は近いとして、イスラエルを支持し、イスラムを敵視する。このキリスト教原理主義がアメリカの国勢を動かし、イラク・アフガン戦争が始められた。今日、共和党支持母体のティーパーティー(茶会)の大半は白人保守派の原理主義クリスチャンである。
・ダニエルの預言は福音書にも引用されている。マルコ13章(並行箇所マタイ24章、ルカ21章)は「小黙示録」として知られている。
−マルコ13:14-23「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら、読者は悟れ、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。・・・それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく」
・このマルコ13章の黙示をどのように理解すべきなのだろうか。2009年11月15日篠崎説教から見て行きたい。
−マルコ福音書は紀元70年のエルサレム崩壊時の混乱の中で書かれています。イエスの時代、既に、ローマに対する民族主義的反乱が各地に頻発し、世情は騒然としていました。イエスもまたローマに対する反乱者として逮捕され、処刑されたのです。そのローマに対する民族主義的騒乱は、紀元66年には植民地解放闘争として、戦争にまで拡大して行きます。「ローマを制圧し、エルサレムの神殿を全世界の中心となそう」との独立主義者の言葉に、イスラエル全土が反乱に加わり、一時はエルサレムからローマ軍を追放し独立政府を作りますが、結局はローマに制圧され、紀元70年にエルサレムは破壊され、神殿も燃えて、国は滅びます。「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら・・・ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」とは、ローマ軍がエルサレムを包囲し、神殿に入ろうとしている状況下で、マルコが教会の信徒に「エルサレムから逃げよ。混乱に巻き込まれるな」と叫んでいる言葉です。並行箇所のルカはもっと直接的に紀元70年の出来事を語ります「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい」(ルカ21:20)。誤った熱狂主義に巻き込まれるな、神殿崩壊は不信仰のイスラエルに対する神の裁きだとマルコは見ているのです。マルコは国家存亡の危機にある信徒たちに、自分の編集したイエスの言葉を伝え、「道を誤るな」と伝えているのです。
−「エルサレムにいたキリスト者たちはこの勧めに従い、戦乱の都を逃れて、ヨルダン川東岸のペラに逃れ、滅亡をまぬかれました。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)、このイエスの教えに従い、民族滅亡の迫る中で、卑怯者、裏切り者と同胞に言われながらエルサレムを去ったキリスト者によって、福音は守られ、保持されたのです。イエスの言葉が彼らを救った、まさに「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(13:31)という出来事が起こりました。終末信仰とは、何年何月に「世の終わりが来る」と言うものではありません。「天地は滅びる」、この世の権威や地位や制度が滅びることはありうる、だからこの世の出来事を絶対化しない。しかし「私の言葉は決して滅びない」。主により頼む者は主の憐れみを受けます。「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」。イエスの愛に留まることの出来る者は、どのような状況下でも決して絶望せず、希望を持ち続けることが出来る、それを信じることこそが「終末の信仰」です」。
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