すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ダニエル書  >  2011年12月1日祈祷会(ダニエル書4章、ネブカドネザルの見た夢)
1.ネブカドネザル王が見た夢

・ダニエル4章はネブカドネザルの見た夢を記す。彼は「一本の木が大きく成長し、その頂きが天にも届き、実が豊かに実り、木陰に野獣が宿り、鳥は木の枝に巣を作り、人は木の実を食べる」夢を見た。ところが「天使が現れ、木を切り倒せとの命令が下され、木が切り倒された」。ネブカドネザルは夢に不吉な予感を感じ、ダニエルに夢解きを願う。
-ダニエル4:7-13「私の見た夢はこうだ。解釈をしてほしい。眠っていると、このような幻が頭に浮かんだのだ。大地の真ん中に、一本の木が生えていた。大きな木であった。その木は成長してたくましくなり、天に届くほどの高さになり、地の果てからも見えるまでになった。葉は美しく茂り、実は豊かに実って、すべてを養うに足るほどであった。その木陰に野の獣は宿り、その枝に空の鳥は巣を作り、生き物はみな、この木によって食べ物を得た。更に、眠っていると、頭に浮かんだ幻の中で、聖なる見張りの天使が天から降って来るのが見えた。天使は大声に呼ばわって、こう言った。『この木を切り倒し、枝を払い、葉を散らし、実を落とせ。その木陰から獣を、その枝から鳥を追い払え。ただし、切り株と根は地中に残し、鉄と青銅の鎖をかけて、野の草の中に置け。天の露にぬれるにまかせ、獣と共に野の草を食らわせよ。その心は変わって、人の心を失い、獣の心が与えられる。こうして、七つの時が過ぎるであろう』。
・夢の最後にネブカドネザルは天からの声を聞いた。こういう声だった。
-ダニエル4:14「この宣告は見張りの天使らの決定により、この命令は聖なる者らの決議によるものである。すなわち、人間の王国を支配するのは、いと高き神であり、この神は御旨のままにそれをだれにでも与え、また、最も卑しい人をその上に立てることもできるということを、人間に知らせるためである」。
・「人間の王国を支配するのは、いと高き神であり、この神は御旨のままにそれをだれにでも与え、また、最も卑しい人をその上に立てることもできる」、ダニエルはこの夢がバビロン帝国の滅亡を預言するものであることを知り、夢解きをためらう。しかし王に促されて話し始める。
-ダニエル4:16-19「王様、この夢があなたの敵に、その解釈があなたを憎む者にふりかかりますように。御覧になったその木、すなわち、成長してたくましくなり、天に届くほどの高さになり、地の果てからも見え、葉は美しく茂り、実は豊かに実ってすべてを養うに足り、その木陰に野の獣は宿り、その枝に空の鳥は巣を作る、その木はあなた御自身です。あなたは成長してたくましくなり、あなたの威力は大きくなって天にも届くほどになり、あなたの支配は地の果てにまで及んでいます」。
・ネブカドネザルは父ナボポラッサルの跡を継いでバビロン王となり、アッシリアを打ち倒し、エジプトも支配下に治めて大バビロン帝国を創り上げた。都バビロンは壮大な城壁や神殿を持ち、世界七不思議と言われた空中庭園(宮殿の屋上に木々を植え、外から見ると庭が空中に浮かんでいるように見えた)も持つ世界最大都市として栄えた。しかし帝国はネブカドネザルの死を契機に衰退し始め、やがてペルシャに滅ぼされる。後半の夢は帝国の衰退と滅亡を暗示する。
-ダニエル4:20-22a「また、王様は聖なる見張りの天使が天から降って来るのを御覧になりました。天使はこう言いました。この木を切り倒して滅ぼせ。ただし、切り株と根を地中に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて野の草の中に置け。天の露にぬれるにまかせ、獣と共に野の草を食らわせ、七つの時を過ごさせよ、と。さて、王様、それを解釈いたしましょう。これはいと高き神の命令で、私の主君、王様に起こることです。あなたは人間の社会から追放されて野の獣と共に住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれ、こうして七つの時を過ごすでしょう」。

2.王を決めるのは軍隊ではなく主だ

・「ネブカドネザルは狂気になり、七つの時を過ごす」と預言されている。晩年のネブカドネザル(在位:前604-561年)が狂気に陥ったことを示す資料はないが、帝国最後の王となったナボニドス(在位:前555-538年)は晩年治世を放棄してアラビア砂漠に引きこもり、ために帝国の滅亡を招いたと言われている。ここではナボニドスのことが語られているのか知れない。ダニエルは王が悔い改めれば回復は可能だと預言する。
-ダニエル4:22b-24「あなたはついに、いと高き神こそが人間の王国を支配し、その御旨のままにそれをだれにでも与えられるのだということを悟るでしょう。その木の切り株と根を残すように命じられているので、天こそまことの支配者であると悟れば、王国はあなたに返されます。王様、どうぞ私の忠告をお受けになり、罪を悔いて施しを行い、悪を改めて貧しい人に恵みをお与えになってください。そうすれば、引き続き繁栄されるでしょう」。
・一年後、夢で預言された通りの出来事がネブカドネザルの上に起こる。
-ダニエル4:25-30「このことはすべて、ネブカドネツァル王の上に起こった。十二か月が過ぎたころのことである。王はバビロンの王宮の屋上を散歩しながら、こう言った『なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、この私が都として建て、私の権力の偉大さ、私の威光の尊さを示すものだ』。まだ言い終わらぬうちに、天から声が響いた『ネブカドネツァル王よ、お前に告げる。王国はお前を離れた。お前は人間の社会から追放されて、野の獣と共に住み、牛のように草を食らい、七つの時を過ごすのだ。そうしてお前はついに、いと高き神こそが人間の王国を支配する者で、神は御旨のままにそれをだれにでも与えるのだということを悟るであろう』。この言葉は直ちにネブカドネツァルの身に起こった。彼は人間の社会から追放され、牛のように草を食らい、その体は天の露にぬれ、その毛は鷲の羽のように、つめは鳥のつめのように生え伸びた」。
・七つの時(七年)が過ぎた時、ネブカドネザルに再び理性が与えられ、彼は主なる神を賛美する。
-ダニエル4:31-34「その時が過ぎて、私ネブカドネツァルは目を上げて天を仰ぐと、理性が戻って来た。私はいと高き神をたたえ、永遠に生きるお方をほめたたえた・・・天の軍勢をも地に住む者をも御旨のままにされる。その手を押さえて何をするのかと言いうる者はだれもいない。言い終わると、理性が私に戻った。栄光と輝きは再び私に与えられて、王国の威光となった。貴族や側近も私のもとに戻って来た。こうして私は王国に復帰し、私の威光は増し加わった。私ネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、驕る者を倒される」。

3.この物語をどう聞くか

・捕囚時代のイスラエルの預言者たちもバビロン帝国の終焉を預言している。「神の上に王座を立てようとする者は、陰府に落とされる」と預言者は語った。驕るものは滅びるとの託宣だ。
-イザヤ14:4-19「そのとき、あなたはバビロンの王に対して、この嘲りの歌をうたう。ああ、虐げる者は滅び、その抑圧は終わった。主は、逆らう者の杖と支配者の鞭を折られた。かつて、彼らは激怒して諸民族を撃ち、撃って、とどまることを知らなかった。また、怒って諸国民を支配し、仮借なく踏みにじった。しかし今・・・お前の高ぶりは、琴の響きと共に陰府に落ちた。蛆がお前の下に寝床となり虫がお前を覆う・・・かつて、お前は心に思った『私は天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂に登っていと高き者のようになろう』と。しかし、お前は陰府に落とされた・・・お前を見る者はまじまじと見つめ・・・言う『これがかつて、地を騒がせ、国々を揺るがせ、世界を荒れ野とし、その町々を破壊し、捕らわれ人を解き放たず、故郷に帰らせなかった者か』」。
・ネブカドネザルの物語の背景にはシリア王アンティオコスがいる。「ユダを占領し猛威を振るうアンティオコスも、ネブカドネザルが神の支配下にあったようにまた神の御手の下にある。自らを神とする者を主なる神は滅ぼされる」とダニエルは語る。アンティオコスは自らをエピファネス(神の顕現、ゼウスの生まれ変わり)と呼んだが、人々は彼をエピマネス(狂人)と呼んだ。驕る者に対する滅ぼしは聖書に繰り返し現れる。
-ルカ1:51-54「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません」。
・「王ではなく神こそが支配者である」。そのことをナチス支配下のキリスト者たちは全体主義への反対という形で宣言し、国家を追われた。しかしやがてナチも滅亡していく。
−バルメン宣言第5項「国家は、教会もその中にあるいまだ救われぬこの世にあって、人間的な洞察と人間的な能力の量に従って、権力の威嚇と行使を為しつつ、正義と平和のために配慮するという課題を、神の定めによって与えられているということを、聖書はわれわれに語る。教会はこのような神の定めの恩恵を、神に対する感謝と畏敬の中に承認する。教会は、神の国を、また神の誡命と義を想起せしめ、そのことによって統治者の責任を想起せしめる。教会は、神がそれによって一切のものを支え給う御言葉の力に信頼し、服従する。国家がその特別な委託を超えて、人間生活の唯一にして全体的な秩序となり、従って教会の使命をも果すべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは斥ける。教会がその特別な委託を超えて、国家的性格・国家的課題・国家的価値を獲得し、そのことによって自ら国家の一機関と成るべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えをわれわれは斥ける」。
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