すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エゼキエル書  >  2011年11月2日祈祷会(エゼキエル47-48章、命の水と回復された国土の配分)
1.命の水

・エゼキエル書は47-48章で終わる。47章前半には、神殿から湧き出た水が川になる幻が記されている。
−エゼキエル47:1-5「彼は私を神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた・・・その人は手に測り縄を持って東の方に出て行き、一千アンマを測り、私に水の中を渡らせると、水はくるぶしまであった。更に一千アンマを測って、私に水を渡らせると水は膝に達した。更に、一千アンマを測って、私に水を渡らせると、水は腰に達した。更に彼が一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない・・・川になった」。
・その流れはやがて川となり、アラバの海(死海)に流れ込み、死の湖が多くの魚がとれる場所に変えられた。
−エゼキエル47:7-10「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる・・・この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚のように非常に多くなる」。
・川の岸辺には各種の果樹が植えられ、実は食用に、葉は薬用となる。神殿から流れ出た水は砂漠を緑地に変えていた。
−エゼキエル47:12「川の・・・岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる」。
・神殿から湧き出す命の水は、その後も旧約・新約で繰り返し語られた。預言者たちはエルサレムから流れ出る水がヨルダン渓谷をうるおし、荒野が緑の野に変えられる日が来ることを待った。
−ヨエル4:18「その日が来ると、山々にはぶどう酒が滴り、もろもろの丘には乳が流れ、ユダのすべての谷には水が流れる。泉が主の神殿から湧き出て、シティムの川を潤す」。
・イエスは「私こそ命の水だ」と宣言された。
−ヨハネ7:37-38「イエスは立ち上がって大声で言われた『渇いている人はだれでも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる』」。
・ヨハネ黙示録は、このエゼキエルの幻を天の幻の中で見た。
−ヨハネ黙示録22:1-2「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川を私に見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す」。
・ペシャワール会の中村哲さんはパキスタン・アフガニスタン国境の町ペシャワールのハンセン病患者治療のために派遣された。しかし、いくら治療しても患者は減らず、逆に増えて行く現実の中で、今必要なことは医療よりも、病気の原因である飢餓と不衛生な水の摂取を減らすことだと知った。彼はまず井戸を掘って衛生的な水を供給し、次に水路建設を行って砂漠を農地にすることを自らの使命とし、10年間をかけてインダス川支流から水路を引き、かつて「死の谷」と呼ばれた砂漠が、今では緑の地に変った。彼はまさにエゼキエルの幻を現実化した。

2.回復された国土の配分

・47章後半から最終まで、回復された領土の配分が記される。領土の範囲はソロモン時代の最大領土を示しており、また各部族に平等に配分される等、現実的な領土配分ではなく、理想化された境界と土地の配分であった(捕囚時代には領土はエルサレムとその近郊のみであり、帰還後もサマリヤ州の一部に過ぎず、現実にはほとんど領土はなかった)。
−エゼキエル47:13-14「あなたたちが、イスラエルの十二部族に土地を嗣業として割り当てるときの境界線は、次のとおりである。ヨセフの割り当て地は二倍である。あなたたちは、土地を平等に割り当てねばならない。この土地は、私があなたたちの先祖に与える、と手を上げて誓ったものである。この土地は、あなたたちに嗣業として割り当てられる」。
・注目すべきは寄留外国人にも土地が割り当てられたことだ。イスラエルは捕囚を通して、国民国家から信仰共同体に変わり、異教世界出身の信奉者も受け入れるようになった。
−エゼキエル47:22「この土地を、あなたたち自身とあなたたちの間に滞在し、あなたたちの間で子をもうけるにいたった外国人に、くじで嗣業として割り当てねばならない。彼らをイスラエルの子らの中で同じ資格のある者として扱わねばならない。あなたたちと共に彼らにも嗣業をくじでイスラエルの部族の間に割り当てねばならない」。
・新しい都の名は「ヤハウェ・シュヤマ=主そこにます」と名付けられた。未来の希望は「主が共におられる」という約束にかかっている。イスラエルの希望はまた教会の希望でもある。
−エゼキエル48:35「都の周囲は一万八千アンマである。この都の名は、その日から『主がそこにおられる』と呼ばれる」。
・エゼキエルはバビロン捕囚によって異国に抑留され、25年間の預言生活を終えてそこで死んだ。彼はその幻を通して、状況が変わらなくとも、絶望が希望に変えられうる事実を私たちに提示する。
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