すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エゼキエル書  >  2011年9月15日祈祷会(エゼキエル40章、新しい神殿の幻)
1.エゼキエルに与えられた幻

・エゼキエル40−48章はエゼキエルが見た新しい神殿の幻である。時期は第一次捕囚から25年、神殿崩壊から14年、紀元前573年である。内容は新しく再建される神殿の詳細な設計図である。彼は祭司であったから、神殿再建が最も気がかりであり、それ故に主が彼に幻を見せてくれたのであろう。
−エゼキエル40:1-2「我々が捕囚になってから二十五年、都が破壊されてから十四年目、その年の初めの月の十日、まさにその日に、主の手が私に臨み、私をそこへ連れて行った。神の幻によって、私はイスラエルの地に伴われ、非常に高い山の上に下ろされた。その南側に都のように建設された物があった」。
・主はかつてイスラエルの罪を見て神殿を去られ(8:18-19)、神殿は破壊された。その主が再びエルサレム神殿に臨在される。神殿再建こそエゼキエルに取って復興のしるしであった。しかしエルサレム神殿が実際に再建されたのは前515年、この幻の58年後である。当然エゼキエルは再建された神殿を見ることなく、捕囚地で死んでいる。救いとは人間の生涯を超えた出来事であり、それを信じていくのが信仰であることを聖書は語る。
−エゼキエル40:3-4「主が私をそこへ連れて行くと、その姿が青銅のように輝いている一人の人が門の傍らに立っており、手には麻縄と測り竿を持っていた。その人は私に向かって言った『人の子よ、自分の目で見、自分の耳で聞き、私がこれから示す、すべてのことを心に留めなさい。あなたがここに連れて来られたのは、それを示すためです。あなたが見ることを、すべてイスラエルの家に告げなさい』」。
・捕囚から25年、第一世代の者たちは死につつあり、第二世代のエルサレム神殿を知らない世代が育ちつつある。やがて帰国して神殿を建て直す責務を負う彼らに神殿の栄光を指し示せとエゼキエルは命令される。彼は外壁の東門から中に導かれ、設計助手のように各部の寸法を正確に記述していく。神殿全体の敷地は500アンマ(225メートル)×500アンマ(225メートル)、5万屬旅さであった。*アンマ=肘から中指までの距離、45センチ。
−エゼキエル40:6-9「彼は東の方に向いている門を入った。その石段を上って、門の敷居を測ると、奥行きは一竿、つまり最初の敷居の奥行きは一竿であった。そして、控えの間は奥行きも間口も一竿、控えの間と控えの間の間隔は五アンマであり、廊門を内側に抜けるところにある門の敷居の奥行きは一竿であった。廊門の奥行きを測ると、八アンマで、そこには厚さ二アンマの脇柱があり、それが内側の廊門であった」。

2.神殿の計測を続けるエゼキエル

・外壁には東西南北に門があり、門をくぐると外庭で、外壁に沿って30の参拝者のための部屋があった。多くの点において破壊されたソロモンの神殿と構造を同じくしていた。
−エゼキエル40:17-19「更に、彼は私を外庭に連れて行った。すると、そこに部屋があった。庭の周りには敷石があった。敷石に沿って、その周りには三十の部屋があった。敷石は門の両側にあり、門の奥行きと同じ幅で敷き詰められていた。それが下の敷石である。下の庭の広さを、下の門の内側から内庭の門の外側までの距離で測ると、百アンマあった。これが東側であり、北側も同じであった」。
・以下、延々と神殿の細部が詳述されていく。私たちには煩雑すぎる説明と思われるが、祭司エゼキエルにとってはわくわくする興奮の時間であっただろう。これこそ彼が待ちに待った新しい神殿なのである。私たちが教会建設行う時、設計の細部にまで関心を持つのと同じだ。
−エゼキエル40:20-37「外庭に続いて、北の方に向いている門があった。彼はその長さと幅を測った。控えの間は、両側に三部屋ずつあり、脇柱と廊は最初の門と同じ寸法であり、門の奥行きは五十アンマ、幅は二十五アンマであった・・・更に、彼は私を南の方へ連れて行った。すると、南の門があった。その脇柱と廊を測ると、やはり前と同じ寸法であった・・・更に、彼は南に向いている門から、私を内庭に連れて行った。南の門を測ると、前の場合と同じ寸法であった。・・・更に、彼は私を内庭の東側に連れて行った。門を測ると、前と同じ寸法であった・・・ 更に、彼は私を北の門に連れて行った。彼がこれを測ると、前と同じ寸法であった」。
・このような記述が42章まで延々と続く。エゼキエルはこの記述に意味を見出し、私たちは意味を見出さない。だからへきへきする。これは当事者と傍観者の違いであろう。しかし、キリスト以前の民にとって神殿再建こそ最も必要なものであったことを理解する必要はある。神殿とは何なのだろうか。
−ハガイ1:4-9「今、お前たちは、この神殿を廃虚のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか・・・山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。私はそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。お前たちは多くの収穫を期待したが、それはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち帰るとき、私は、それを吹き飛ばした。それはなぜか、と万軍の主は言われる。それは、私の神殿が廃虚のままであるのに、お前たちが、それぞれ自分の家のために走り回っているからだ」。
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