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トップ  >  詩編  >  2011年8月31日祈祷会(詩編111篇、主の奇しき御業を賛美せよ)
1.礼拝での讃美

・詩編111編は22行からなり、ヘブル語のアルファベット順に歌われる「いろは歌」である。内容・形式とも112編と対になっている。詩は「ハレルヤ(主をほめたたえよ)」で始まり、礼拝の中で歌われた賛歌であろう。
−詩編111:1「ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝をささげる、正しい人々の集い、会衆の中で」。
・中心テーマは「主の奇しき業」の讃美である。そこで語られているのは、出エジプトにおける救済の業である。
-詩編111:2-6「主の御業は大きく、それを愛する人は皆、それを尋ね求める。主の成し遂げられることは栄え輝き、恵みの御業は永遠に続く。主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み、主を畏れる人に糧を与え、契約をとこしえに御心に留め、御業の力を御自分の民に示し、諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる」。
・主は不思議な御業を通してエジプトからイスラエルを解放して下さった。ここにある十の災いは全て自然現象である。主は自然現象を通じて、摂理としか思えないような出来事を起こされる。
-詩編105:26-36「主は僕モーセを遣わし、アロンを選んで遣わされた。彼らは人々に御言葉としるしを伝え、ハムの地で奇跡を行い、御言葉に逆らわなかった。主は闇を送って、地を暗くされた。主が川の水を血に変えられたので、魚は死んだ。その地には蛙が群がり、王宮の奥に及んだ。主が命じられると、あぶが発生し、ぶよが国中に満ちた。主は雨に代えて雹を降らせ、燃える火を彼らの国に下された。主はぶどうといちじくを打ち、国中の木を折られた。主が命じられると、いなごが発生し、数えきれないいなごがはい回り、国中の草を食い尽くし、大地の実りを食い尽くした。主はこの国の初子をすべて撃ち、彼らの力の最初の実りをことごとく撃たれた」。
・最後の御業「主の過ぎ越し」は、記念してこれを祝えと命じられ、過ぎ越しの祭りとなっていく。
-出エジプト記12:24-27「あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入った時、この儀式を守らねばならない。また、あなたたちの子供が『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねる時は、こう答えなさい『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれた時、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と」。
・イスラエルの祭りは、本来は農耕や牧畜の祭りであったが、やがてエジプト解放を記念するものになっていった。牧畜民の悪鬼を祓う祭り(子羊の血を門に塗り悪鬼の過ぎ越しを祈る)が主の過ぎ越しを記念するものとなり、小麦の収穫祭であった七週の祭りがシナイにおける律法授与を祝う祭りとなり、荒野における食物給食は仮庵の祭となっていく。

2.主の奇しき御業を賛美する

・後半から主の奇しき御業が民を救うための救いの業であったことが想起されていく。
-詩編111:7-9「御手の業はまことの裁き、主の命令はすべて真実。世々限りなく堅固に、まことをもって、まっすぐに行われる。主は御自分の民に贖いを送り、契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名」。
・エジプトからの救済は主の選び、贖いの業として記憶されていく。
-申命記7:7-8「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」。
・その贖いの記憶は出バビロンにおいても継承されていく。
-イザヤ49:7-9「イスラエルを贖う聖なる神、主は、人に侮られ、国々に忌むべき者とされ、支配者らの僕とされた者に向かって、言われる・・・私は恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。私はあなたを形づくり、あなたを立てて、民の契約とし、国を再興して、荒廃した嗣業の地を継がせる。捕らわれ人には、出でよと、闇に住む者には身を現せ、と命じる」。
・贖いは新約においても継承されていく。キリストの血による贖いである。
-ローマ3:23-25「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」。
・詩編111編は「主を畏れることは知恵の初め」という句で締めくくられる。
-詩編111:10「主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く」。
・「主を畏れることは知恵の初め」、欧米の大学は全て神学部から始まり、日本のミッションスクールも神学部から出発した。しかし世俗化の進展の中で、青山や立教、関東学院の神学部は廃止され、西南学院神学部も大学院設置を契機に神学校から大学の学部・大学院になりつつある。同志社大学神学部ではクリスチャンコードさえ廃止されている。「主を畏れることは知恵の初め」という言葉をもう一度思い起こすことが求められる。
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