すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エゼキエル書  >  2011年6月2日祈祷会(エゼキエル25章、周辺諸国への裁きの託宣)
1.周辺諸国への裁きの託宣

・エゼキエル25−32章は諸国民への預言だ。その中で、25章はイスラエル周辺の4つの民族に対しての、主の裁きの言葉が語られている。最初はアンモン人に対する審判預言だ。
−エゼキエル25:2-5「アンモン人に言いなさい。主なる神の言葉を聞け、主なる神はこう言われる。お前は私の聖所が汚され、イスラエルの地が荒らされ、ユダの家が捕囚となって行ったことを、あはは、と言って嘲った。それゆえ、私はお前を東の人々に渡して彼らに所有させる。彼らはお前の中に陣営を張り・・・お前の果実を食べ、お前の乳を飲む。私は都ラバを、らくだが草をはむ所とし、アンモンの地を羊の憩う所とする」。
・アンモン人はロトの末裔であり、イスラエルの同盟国であった。しかし、バビロニアが攻めて来た時、その攻撃がユダに向けられたことを喜び、助けようとしなかった。その罪のゆえに裁かれると主は宣言される。
−エゼキエル25:6-7「主なる神はこう言われる。お前は手を打ち、足を踏み鳴らし、イスラエルの地に対する嘲りの思いに満ちて喜んだ。それゆえ、私はお前に向かって手を伸ばし、お前を国々の略奪にゆだね、諸国民の中から断ち、諸国から一掃して滅ぼし尽くす。そのとき、お前は私が主であることを知るようになる」。
・次に裁かれるのは同じロトの子孫モアブだ。モアブは主がイスラエルを打たれるのを見て、「ユダの家は選民だと誇っていたが、他の民と同じように滅ぼされたではないか」と嘲った。その罪を裁くと主は言われた。
−エゼキエル25:8-11「モアブとセイルは、『ユダの家も他のすべての国のようになった』と言った。それゆえ、私はモアブの脇腹を引き裂き、この国の町々をすべて、その誇りであるベト・エシモト、バアル・メオン、キルヤタイムをはじめひとつ残らず滅ぼし尽くす。私は、アンモン人と共にモアブを東の人々に渡して所有させる」。
・三番目に裁かれるのはエドムだ。エドムはヤコブの兄弟エソウの末裔だ。ダビデ時代にエドムはイスラエルに支配されたのを恨み、バビロニア軍侵攻の折はその先鋒を務めた。イスラエルに復讐したエドムもまた裁かれる。
−エゼキエル25:12-14「エドムはユダの家に復讐をした。彼らはその復讐によって、大いに罪を犯した。それゆえ、主なる神はこう言われる。私はエドムに向かって手を伸ばし、その中から人と獣を断って荒れ地とする。彼らはテマンからデダンにいたるまで剣で倒れる。私は、わが民イスラエルによってエドムに復讐する」。
・最後がペリシテ人への裁きだ。ペリシテ人も王国時代にイスラエル支配下に置かれたことを恨み、この度のバビロニア軍侵攻を利用して復讐した。その罪を裁くと主は言われた。
−エゼキエル25:15-17「ペリシテ人は復讐し、嘲りの思いをもって大いに仇を報い、昔からの憎しみにかられて滅ぼそうとした。それゆえ、主なる神はこう言われる。私は手をペリシテ人に向かって伸ばし、クレタ人を断ち、海辺に残っている者を一掃する。私は、彼らを憤りをもって懲らしめ、大いに復讐する」。

2.何故周辺諸国が裁かれるのか

・4民族の行動に共通していることは、バビロニアによって神の裁きを受けたイスラエルを嘲笑したことにある。バビロニア軍は神の鞭であり、滅びを通して神はイスラエルを救おうとされている。神によって打たれ、いま滅びようとしているイスラエルは、それでもなお神の宝の民なのである。
−イザヤ46:3-4「私に聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」。
・エゼキエルはイスラエルの滅亡を避けがたいものとして預言し、人々は「彼は愛国者ではない。困難が来るのを待っている」と批判したが、この諸国民への託宣を見ると、エゼキエルがいかにイスラエルの救いを待望しているかがわかる。主は「愛するゆえにイスラエルを打たれる」とエゼキエルは確信している。
−エゼキエル36:26-28「私はお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。私はお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。私の霊をお前たちの中に置き、私の掟に従って歩ませ、私の裁きを守り行わせる。お前たちは私が先祖に与えた地に住むようになる。お前たちは私の民となり私はお前たちの神となる」。
・神は愛する故にその子を打たれる。キリストは神の子故に十字架につかれた。私たちが今回の東日本大震災を主が日本を救うために打たれた愛の鞭と受け入れた時、この震災は祝福となっていく。現に私たちは福島原発事故を見て原子力が「神の火」であることを改めて知り、原発依存政策を変えようとしている。
−競灰螢鵐7:10「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」。
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