すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2011年5月18日祈祷会(詩編97篇、もろもろの神は主の御前にひれ伏す)
1.捕囚からの帰還を喜び賛美する

・詩編97編は96編と同じく、捕囚から帰還した民が主なる神を賛美する歌である。詩人は全地に「主を賛美せよ」と呼びかける。何故ならばかつてエジプトからイスラエルを救済された神は、今またバビロンの地から私たちを救いだされ、この神こそ全地の神、天地を創造され、支配しておられる方であることが明らかになったからだ。
−詩編97:1-5「主こそ王。全地よ、喜び躍れ。多くの島々よ、喜び祝え。密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ、正しい裁きが王座の基をなす。火は御前を進み、周りの敵を焼き滅ぼす。稲妻は世界を照らし出し、地はそれを見て、身もだえし、山々は蝋のように溶ける。主の御前に、全地の主の御前に」。
・「主は王となられた」との言葉は、バビロンからの救いを目撃した預言者の証言である。
−イザヤ52:7-10「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。その声に、あなたの見張りは声をあげ、皆共に、喜び歌う・・・共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。主は聖なる御腕の力を、国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が、私たちの神の救いを仰ぐ」。
・イスラエルは捕囚を通して偶像神は人を救う力を持たないものであることを知った。イザヤ46章はバビロン滅亡の折、バビロンの守護神も共に倒れていくさまを嘲り歌う。偶像神は民を救う力がないばかりか自分を救うこともできない。
−イザヤ46:1-4「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、お前たちの担いでいたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる。彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず、彼ら自身も捕らわれて行く。私に聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた・・・私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」。
・神の救済を自ら体験した者だけが、心から主を賛美することができる。詩人はこの方こそ全地の神、他の神々はこの方の前にひれ伏せと歌い上げる。
−詩編97:7-9「すべて、偶像に仕える者、むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。神々はすべて、主に向かってひれ伏す。シオンは聞いて喜び祝い、ユダのおとめらは喜び躍る、主よ、あなたの裁きのゆえに。あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。神々のすべてを超え、あがめられる神」。

2.イスラエルの信仰と私たち

・救済体験は主を賛美させると同時に私たちの生き方をも変える。主に愛された者は他者を愛し、悪を憎む。主に従う者を主は護り、助けてくださると詩人は歌う。
−詩編97:10-12「主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り、神に逆らう者の手から助け出してくださる。神に従う人のためには光を、心のまっすぐな人のためには喜びを、種蒔いてくださる。神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ」。
・イスラエルは多神教世界の中で、唯一の神を礼拝した。彼らは放浪(ヘブル)の民であり、エジプトでは奴隷であったのに、救い出され、約束の地を与えられ、王国を形成した。この出エジプト体験が「主こそ神」との契約信仰を生む。やがて王国はバビロニアに滅ぼされ、住民は捕囚となるが、再び救済され、新しい国を形成する。この出バビロンが自分たちの神こそ「天地創造の神」との信仰を与える。そして自分たちは主の御業を伝える使命を持つと彼らは信じた。
−イザヤ42:5-7「神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。主である私は、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として、あなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために」。
・アブラハム・イサク・ヤコブの神(先祖の神)が天地創造の神であり、イエス・キリストの父なる神である。その言葉によって世界は創造され、混沌から秩序が生み出され、光は闇を征服し、大海は鎮められる。その神との出会い、救済体験こそが人に信仰を与える。苦難を与えられたヨブはその苦難を通してこの方に出会った。
−ヨブ記42:5-6「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、私は塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」。
・イスラエルは国を滅ぼされた時、自分たちは呪われていると思った。しかし70年を経て彼らは言う「国を滅ぼされ、捕囚の苦しみを与えられたのは幸いでした。あなたに出会うことができました」。
−エレミヤ29:10-14「バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう」。
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