すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エゼキエル書  >  2011年5月12日祈祷会(エゼキエル22章、責任を取ろうとしない罪)
1.繰り返される告発

・エゼキエル書では、「これでもか、これでもか」という具合にイスラエルの罪が告発される。この預言者のしつこさこそが罪を清めるために必要なのであろう。エゼキエルは言う「聖なる町が流血の町に変わってしまった。この流血の責任をエルサレムは取らねばならない」と。エルサレム救済を願う捕囚民の希望はまたもや挫かれる。
−エゼキエル22:2-4「人の子よ、あなたはこの流血の都を裁くのか。それならば、この都にそのすべての忌まわしいことを知らせよ。そして言いなさい・・・自らの真ん中に血を流し、自分の時を来させようとする都よ。自分のために偶像を造って、自らを汚す都よ。流した血によってお前は罪を負い、造った偶像によって汚される。こうしてお前は自分の日を近づかせ、自分の年を来させる。それゆえ、私はお前を諸国民の嘲りの的とし、すべての国々の笑いものとする」。
・「父母を敬え」、「寄留者や孤児、寡婦を貪るな」、「安息日を守れ」と私は命じたのにその戒めはどこに行ったのか、どこに神の民としての規律があるのか、と主は問われる。国民または個人の信仰が健全であれば他人に対する道徳的な行為も健全である。しかし信仰が崩れると道徳も崩れる。信仰は個人的な出来事ではなく、共同体全体の問題だ。
−エゼキエル22:6-9「イスラエルの君侯たちは、お前の中でおのおの力を振るい、血を流している。父と母はお前の中で軽んじられ、お前の中に住む他国人は虐げられ、孤児や寡婦はお前の中で苦しめられている。お前は私の聖なるものをさげすみ、私の安息日を汚した。お前の中には、血を流すために人を中傷する者がおり、山の上の聖所で食事し、お前の中で恥ずべき事を行う者たちがいる」。
・道徳の乱れはまず性の乱れとして出てくる。義母と交わり、隣人の妻と不倫し、異母姉妹とも交わる風潮があった。
−エゼキエル22:10-11「またお前の中には、父を辱めたり、生理中の女性を犯す者たちがいる。ある者は隣人の妻と忌まわしい事を行い、ある者は、恥ずべき事を行って嫁を犯し、またある者は異母姉妹を凌辱する」。
・性の乱れに続いて、道徳の乱れは金銭の乱れとして現れる。
−エゼキエル22:12-13「お前の中には賄賂を取って流血の罪を犯す者、利息を天引きして金を貸したり、高利を取って隣人を抑圧する者がいる・・・私は、お前が得た不正の利益に対し・・・私の手を打ち鳴らす」。
・主は言われる「私は不正を放置しない。私はおまえたちの国を滅ぼし、お前たちを諸国民の間に散らす」と。
−エゼキエル22:14-16「私が裁きを行う日に、お前の心は耐えられようか。お前の手の力はうせないだろうか。主である私が、これを語りこれを行う。私はお前を諸国民の間に散らし、国々にまき散らす。私はお前の汚れを取り除く」。

2.自己の責任を認めた時、何かが変わる

・包囲されたエルサレムには難を逃れてきた人も多かった。その人々は全て価値のない金滓だと断言される。金滓は炉の中に入れて溶かされる。そのようにエルサレムに集まってきた人々も火で焼かれるであろうと。
−エゼキエル22:18-20「人の子よ、イスラエルの家は私にとって金滓のようになった。彼らは炉の中で、みな銀、銅、錫、鉄、鉛などであった。ところが彼らは金滓となってしまった。それゆえ、主なる神はこう言われる。お前たちがみな金滓となったので、私はお前たちをエルサレムの真ん中に集める。銀、銅、鉄、鉛、錫が炉の中に集められ、火を吹きつけて溶かされるように、私も怒りと憤りをもってお前たちを集め、火を吹きつけて溶かす」。
・イスラエルの罪はすべての階層がその責務を果たそうとせず、自己利益だけを求めたことだ。支配者たちは国を食い物にし、祭司たちは民のために祈らず、預言者たちは人々に甘言を語り、民衆もまた隣人を貪った。
−エゼキエル22:26-29「祭司たちは私の律法を犯し、私の聖なるものを汚した。彼らは聖と俗とを区別せず、浄と汚れの区別を教えず、私の安息日に目を覆った。こうして、私は彼らの間で汚されている。また、高官たちは都の中で獲物を引き裂く狼のようだ。彼らは不正の利を得るために、血を流し、人々を殺す。また、預言者たちは、城壁に漆喰で上塗りをした。彼らは空しい幻を見、欺きの占いをし、主が語られないのに、『主なる神はこう言われる』と言う。国の民は抑圧を行い、強奪をした。彼らは貧しい者、乏しい者を苦しめ、寄留の外国人を不当に抑圧した」。
・これは現代でも同じだ。国の情勢が思わしくない時、人々は政府を攻撃する。経済が危機に瀕すれば経営者が非難される。教会が寂れてくると牧師のせいになる。誰も自分の責任を取ろうとはしない。「破れ口に立つ人が居ない」。
−エゼキエル22:30-31「この地を滅ぼすことがないように、私は、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった。それゆえ、私は憤りを彼らの上に注ぎ、怒りの火によって彼らを滅ぼし、彼らの行いの報いをその頭上に返すと主なる神は言われる」。
・今政府主導で東京電力の救済策が進められている。原発事故補償を行うための基金を作り、政府と10電力が出資して補償を行い、最後は電力料金値上げにより回収するスキームだ。いわば国民負担の東電救済策だ。しかしこれだけの事故を起こしたのであれば一旦東電を国有化し、その後再生会社として出直すべきであろう。罪を犯した者は裁かれなければいけない。裁きなしの救済は将来に禍根を残す。エゼキエルがエルサレムの罪を繰り返し告発し、滅びることによってその罪が清められ、救済が始まるという言葉を聞くべきではないだろうか。
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