すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エゼキエル書  >  2011年5月5日祈祷会(エゼキエル21章、火と剣の預言)
1.エゼキエルの預言を信じない捕囚の人々

・エゼキエル21章はユダに臨む火と剣の喩えである。エゼキエルは北(バビロン)からの火が南(ネゲブの森=ユダ)を焼き尽くすと預言するが、捕囚地の人々は「神の聖所が滅びるわけはない。預言者はことわざ(喩え)を語っているに過ぎない」とそれを信じない。そうなってほしくないという彼らの気持ちが、預言を信じることを妨げていた。
−エゼキエル21:1-5「人の子よ・・・ネゲブの野の森に向かって預言せよ・・・私はお前に火をつける。火は、お前の中の青木も枯れ木も焼き尽くす。燃え盛る炎は消えず、地の面は南から北まで、ことごとく焦土と化す。生ける者は皆、主なる私がそれを焼き尽くしたことを認めるようになる。その火は消えることがない』。そのとき、私は言った『ああ、主なる神よ、彼らは私について、彼はことわざを語る者にすぎないではないかと言っています』と」。
・捕囚民の「信じたくない」という気持ちが「信じる」ことを妨げている。今回の原発事故で政府や東京電力は「想定外の地震と津波が起きた」と弁明した。2009年の経産省審議会は、貞観地震(869年、仙台平野を水没させるほどの津波が押し寄せ、千人を超える死者が出た)規模の巨大地震の再来可能性を指摘していたが、東電は「十分な情報がない」として対策を先送りした。「そんなに大きな地震が来るはずがない」という主観的願望に基づいて、「想定内」の線引きが為されている。ノアの洪水においても人々は箱舟を造るノアを嘲笑していた。
−マタイ24:38-39「洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、娶ったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合もこのようである」。
・主は人々が信じないのを見て、より直接的にエルサレムの滅亡を語れと預言者に命じられる。それが7節以下だ。
−エゼキエル21:7-10「人の子よ、顔をエルサレムに向け、聖所に向かって言葉を注ぎ出し、イスラエルの地に対して預言せよ・・・私はお前に立ち向かい、私の剣の鞘をはらい、お前たちの中の正しい者も悪い者も切り捨てる・・・そのとき、生ける者は皆、主なる私が剣を鞘から抜いたことを知るようになる。剣は二度と鞘には戻らない」。
・ここでは「正しい者も悪い者も切り捨てる」と言われる。災いは人を選ばない。バビロン軍が侵略した時、彼らは手当たり次第に人を殺した。その中には善人もいただろう。広島の原爆も東北の津波もそうだ。善人や悪人は人の側の判断であり、神の目から見れば「善人も悪人もいない」。すべての人は罪人だからだ。
−エゼキエル22:30「この地を滅ぼすことがないように、私は、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼らの中から探し求めたが、見いだすことができなかった」。

2.預言は起こる

・主はエゼキエルに言われる「それが起こった時、あなたは呻け、呻くしかないからだ」と。絶望するまで呻くほどの苦しみが与えられないと人は現実を直視しない。今回の原発事故が起きて初めて、国民は狭い地震多発の国土の上に54基もの原子力発電所を設置すること自体が無謀であったことを知った。エルサレムも滅ぶことを通してその必然を学ぶ。
−エゼキエル21:11-12「人の子よ、呻け。人々の前で腰をよろめかし、苦しみ呻け。人々があなたに『どうして呻いているのか』と問うならば、彼らに答えて言いなさい『この知らせが届いたからだ』と。すべての人は勇気を失い、手は力なく垂れ、すべての霊は力を失い、すべての膝は水のように力を失う。知らせは届いた。それは実現する」。
・エルサレム滅亡は「剣の災い」として実現する。エゼキエルは言う「主はエルサレムを滅ぼすために剣を研がれる」。これは人々に取り衝撃的な言葉だった。これまで人々は、「主は私たちを護られるために敵と戦われる」方だと信じてきた。しかしその主が「私たちを滅ぼすために戦われる」とエゼキエルは預言した。
−エゼキエル21:14-19「人の子よ、預言して言いなさい。主なる神はこう言われる。剣だ。剣が研がれ、磨かれた。殺戮のためにそれは研がれ、稲妻のように磨かれた・・・泣き叫べ、人の子よ。剣がわが民に臨む。また、イスラエルのすべての君侯に臨む。彼らはわが民と共に剣の前に投げ出される。それゆえ、お前は腿を打って悲しめ・・・人の子よ、手を打ち鳴らして預言しなさい。剣は二倍になり、また三倍になる。それは殺戮の剣、彼らを貫く大いなる殺戮の剣。それにより、人々の心は溶け、つまずく者が増える。すべての門に、殺戮の剣を私は送る」。
・前589年、ユダ王国はアンモンと同盟し、バビロンに逆らった。バビロン王は軍を率いて征伐に向かい、両国への分岐点に立ち、どちらを先に攻めるかを占う。その結果、エルサレムが選ばれ、エルサレムは剣と火で荒廃する(なお33節以下は、一度は災いを逃れたアンモンに対する裁きを伝える。アンモンはエルサレム滅亡の後、10年後に滅びた)。
−エゼキエル21:24-30「人の子よ、あなたはバビロンの王の剣が来るために、二つの道を用意せよ。二つの道を一つの国から延ばし、それぞれの町へ至る道が分かれる地点に標識を作り、剣が、アンモン人のラバおよびユダの堅固な都エルサレムに進みうるように道を備えなさい。バビロンの王は二つの道の分かれる地点に立ち、そこで占いを行う。彼は矢を振り、テラフィムに問い、肝臓を見る。彼の右の手に、エルサレムに対する占いが出る。占いは破城槌を置き、殺戮を宣言し、戦いの呼び声をあげ、門に向かって破城槌を置き、塁を築き、堡塁を建てよ、と命ずる・・・お前たちは敵の手に捕らえられる。悪に汚れたイスラエルの君主よ、お前の日が、終わりの刑罰の時にやって来る」。
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