すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エゼキエル書  >  2011年3月24日祈祷会(エゼキエル15章、実を結ばないぶどうの木は燃やすしかない)
1.実を結ばないぶどうの木

・エゼキエル15-19章ではエルサレムの姿がさまざまの比喩で語られる。15章ではエルサレムが「役に立たないぶどうの木になってしまった」現実が鋭く指摘される。「ぶどうの木は実を結んで豊かなぶどう酒になることにより意味を持つが、それが出来なくなった時には何の役にも立たないではないか」と語られる。
-エゼキエル15:1-3「主なる神の言葉が私に臨んだ。『人の子よ、ぶどうの木は森の木々の中で、枝のあるどの木よりもすぐれているであろうか。ぶどうの木から、何か役に立つものを作るための木材がとれるだろうか。それで、何かの器物を掛ける釘を作ることができるだろうか』」。
・ぶどうの幹は曲がりくねっており、その木を利用して家具や食器を作ることはできない。ぶどうの木は実を結んでこそ意味があるが、実を結ばないぶどうの木は無用の長物である。エレミヤも同じ批判をしている。
-エレミヤ2:21「私はあなたを、甘いぶどうを実らせる、確かな種として植えたのに、どうして、私に背いて、悪い野ぶどうに変わり果てたのか」。
・イスラエルは主の愛を異邦人に伝えるための器として選ばれ、エジプトの地から救い出され、約束の地に植えられた。主に依って選ばれ、育てられた、それがイスラエルの人々の誇りであった(詩編80:9-11参照)。しかしそのぶどうの木は実を結ばなくなってしまった。主はぶどうの木はどうされるのか、捨てるしかないではないかとイザヤも語った。
-イザヤ5:21-6「私の愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒舟を掘り、良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ、私と私のぶどう畑の間を裁いてみよ。私がぶどう畑のためになすべきことで、何か、しなかったことがまだあるというのか・・・お前たちに告げよう、私がこのぶどう畑をどうするか。囲いを取り払い、焼かれるにまかせ、石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ、私はこれを見捨てる。枝は刈り込まれず、耕されることもなく、茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、と私は雲に命じる」。
・ぶどうの木が火に投げ込まれると、火はその両端を焼く。片方の端の北イスラエルは滅ぼされ、他方の端の南ユダも王や指導者は捕囚され、焦げている。ユダは火に焼かれて焦げた燃え屑だ。燃やすしかないではないかと主は言われる。
-エゼキエル15:4-6「それが火に投げ込まれると、火はその両端を焼き、真ん中も焦がされてしまう。それでも何かの役に立つだろうか。完全なときでさえ何も作れないのに、まして火に焼かれて焦げてしまったら、もはや何の役にも立たないではないか。それゆえ、主なる神はこう言われる。私が薪として火に投げ込んだ、森の木の中のぶどうの木のように、私はエルサレムの住民を火に投げ入れる」。

2.切り倒されることが猶予されていることを認識せよ

・エルサレムがバビロニヤ軍に占領され、エホヤキン王が捕囚されたのは前597年であった。その時には代わりの王が立てられ、神殿も残された。ユダは悔い改め、やり直す猶予が与えられた。しかし彼らはその猶予を生かすことが出来ず、前587年全てが破壊され、エルサレムは滅んだ。私たちもまた執行猶予の状況にあることを知らねばならない。
-ルカ13:6-9「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか』。園丁は答えた『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください』」。
・猶予が与えられたのにそれを生かさない民は滅ぼされる。しかし、その滅びの中でも少数の者は残される。火に焼かれて初めて「誰が主であるのか」を私たちは知る。滅ばないとわからない、そこに人間の罪の深さがある。
-エゼキエル15:7-8「私は顔を彼らに向ける。彼らが火から逃れても、火は彼らを食い尽くす。私が顔を彼らに向けるとき、彼らは私が主なる神であることを知るようになる。私はこの地を荒廃させる。彼らが私に不信を重ねたからである」。
・この例えの意味は深刻だ。ぶどうの木は実を実らせることで意味を持つ。ユダヤの民も信仰の実を実らせ、異邦人に主を証しすることに民族の意味を持っていた。教会も同じだ、信仰の実を失くした教会は、実を結ばないぶどうの木、塩気を失った塩だ。それは焼かれ、捨てられるしかない。
-マタイ5:13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」。
・信仰の実とは「神を愛し、隣人を愛していく」ことだ。それを忘れて、教会が自ら樫や杉の木になろうとした時、教会はその役割を失う。ぶどうの木は剪定されなければ良い実を結ぶことが出来ない。主の前に剪定される、不要な枝は切り取られる。生活を簡素化し、無用なことに心を向けない。その時初めて豊かな実を結ぶことが出来るのだろう。
-ヨハネ15:1-2「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である。私につながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる」。


*エゼキエル書15章参考資料〜ユダ王国滅亡史

BC722− 北イスラエル、アッシリアにより滅亡(王下17・6)。
BC696− マナセ王即位、55年間王位(王下21・1)。
BC641− アモン即位、2年間王位、やがて宮廷革命で殺される(王下21・23)。
BC639− ヨシヤ、8歳で即位、31年間王位(王下21・24、22・1)。
BC626− エレミヤ召命(エレ1・5〜10)。
BC625− バビロンのナボポラサル王登場。
BC622− ヨシヤ宗教革命(エルサレムの神殿以外廃棄)、エレミヤ支持(エレ11・1〜5、列下23・3)。
BC612− アッシリアの首都ニネベ陥落。
BC609− メギドの戦い、ヨシヤ王エジプト王ネコに敗れ戦死(王下23・29〜30)。アッシリア滅亡。ヨアハズ王(シャルム)即位、2ヶ月で、エジプト王ネコに廃せられ、エジプトに連行される
BC608− ヨヤキム(エルヤキム)王擁立される、11年間王位(王下23・34)。
BC602− ヨヤキム王、バビロニヤに反逆、バビロンに連行、殺される(王下24・12、歴下36・6)。
BC598− ヨヤキン(エコンヤ)即位、王位3ヶ月間(王下24・8)。
                                                 
BC597− バビロニヤ、エルサレム占領、第一回捕囚、ヨヤキン王連行される(王下24・10〜16)。ゼデキヤ王、バビロニヤに擁立される、11年間王位(王下24・17、18)。
BC594− ハナンヤと対決(救済に対する楽観論との対決)。
BC593− エゼキエル召命(エゼ1章)。親エジプト派と、親バビロニヤ派の抗争(エレミヤの手紙、エレ29章)。
BC588− ゼデキヤ、バビロニヤに反乱。エルサレム包囲される(エレ39・1、52・3〜4、王下24・20、25・1)。
BC587− バビロニヤ、エルサレムを破壊、ゼデキヤ王殺される(エレ39・2〜14、52・6〜27)。ユダ王国滅亡、
第二回捕囚。ユダは、バビロニヤの州に併合される(王下25・2〜21)。

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