すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2011年2月23日祈祷会(詩編85篇、苦難からの回復を求める祈り)
1.捕囚からの解放とその後の苦難

・詩編85篇は捕囚から帰還したが、その後の困難の中で苦しむ人々の、回復を求める祈りである。最初に詩人は捕囚からの解放を、感謝を持って讃美する。彼にとって捕囚からの解放は「罪の赦し=神の恵み」であった。
-詩編85:2-4「主よ、あなたは御自分の地をお望みになり、ヤコブの捕われ人を連れ帰ってくださいました。御自分の民の罪を赦し、彼らの咎をすべて覆ってくださいました。怒りをことごとく取り去り、激しい憤りを静められました」。
・ここには捕囚からの解放を「罪の赦し」と歌った第二イザヤの精神がある。
-イザヤ40:1-2「慰めよ、私の民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と」。
・しかし帰還民を待つ現実は厳しいものであった。国土は廃墟になっており、神殿再建はサマリヤ人の妨害で進まず、干ばつによる飢饉で生活は苦しかった。詩人は苦しみの継続を主の怒りが続いているためと感じている。
-詩編85:5-8「私たちの救いの神よ、私たちのもとにお帰りください。私たちのための苦悩を静めてください。あなたはとこしえに私たちを怒り、その怒りを代々に及ぼされるのですか。再び私たちに命を得させ、あなたの民があなたによって、喜び祝うようにしてくださらないのですか。主よ、慈しみを私たちに示し、私たちをお救いください」。
・イスラエルを捕えたバビロニヤはペルシャによって滅ぼされ、ペルシャ王キュロスは前538年イスラエルの民の帰国を許した。50年ぶりの帰還である。しかし帰還後の混乱の中で神殿再建は挫折し、指導者は処刑されている。解放は確かに起こった。しかし救いはあまねく地には広がらなかった。第三イザヤの描く捕囚帰還後の苦しみがここにある。
-イザヤ59:1-9「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が、神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ・・・正義は私たちを遠く離れ、恵みの業は私たちに追いつかない。私たちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ、輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている」。

2.苦難を超えて

・その困難の中で人々は主の恵みを求める。人々は苦難の中で、「慈しみ(ヘセド)」と「まこと(エメト)」が出会い、「正義(ツェデク)」と「平和(シャローム)」が口づけると歌う。御国の完成を詩人は夢見ている。
-詩編85:9-12「私は神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます。御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に、彼らが愚かなふるまいに戻らないように。主を畏れる人に救いは近く、栄光は私たちの地にとどまるでしょう。慈しみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」。
・この詩の時代背景は紀元前520年ごろのハガイ・ゼカリヤの時代と思われる。挫折した神殿再建もハガイ・ゼカリヤの励ましや、指導者ゼルバベルや大祭司ヨシュアの働きで再開された。闇の中に希望が見えて来た時代でもあった。
-ゼカリヤ8:14-16「あなたたちの先祖が私を怒らせたので、私はかつて、あなたたちに災いをくだす決意をして悔いなかった、と万軍の主は言われる。そのように、今や私は再びエルサレムとユダの家に幸いをもたらす決意をした。恐れてはならない。あなたたちのなすべきことは次のとおりである。互いに真実を語り合え。城門では真実と正義に基づき、平和をもたらす裁きをせよ」。
・人々は神が怒りを鎮められ、再び恵みを与えて下さると期待した。「主は良いものをお与えになる」、荒れ果てた地に再び豊かな作物の実りがあるようにとの願いである。
-詩編85:13-14「主は必ず良いものをお与えになり、私たちの地は実りをもたらします。正義は御前を行き、主の進まれる道を備えます」。
・人々はダビデの血を引くゼルバベルに国家再建の期待をかけたが、彼もまた失脚した。度重なる挫折にも拘わらず、人々はメシアを待望し続けた。ゼカリヤの後継者第二ゼカリヤ(ギリシャ時代)は「メシアはろばに乗ってエルサレムに来る」と預言し(ゼカリヤ9:9)、その預言はイエスのエルサレム入城で実現したと福音書記者は理解する。
-マタイ21:4-5「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった『シオンの娘に告げよ。見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」。
・人生には多くの苦しみがある。しかし病気になって初めてわかる祝福があり、家族や友人を失って知る大切なものもあり、地上の財を奪われて初めて見える天上の宝がある。イスラエルの民は国を追われ、世界に散らされ、捕囚の憂き目を味あう中で、自分たちの罪を認め、神なしに生きることが出来ないことを知り、神の憐れみ深さを知る。そして彼らは地上の現実を超えた神の国を希求した。その希望に私たちも生かされていく。
-ヨハネ黙示録21:3-4「そのとき、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」。

*詩編85篇参考資料:捕囚解放後の情勢(History of Israel : Ch.9 ペルシア時代から)

・紀元前約千年にダビデによって創始されたダビデ王朝も約400年間続いたが、ついに新バビロニア帝国によって滅ぼされ、その民は、バビロン捕囚というイスラエル史においても最も悲劇的な出来事を経験した。しかし、その捕囚も50年のちには終止符が打たれることになった。それは、新興ペルシアによってバビロニアが滅ぼされたからである。ここに人間の歴史の栄枯盛衰というものが見られる。このような歴史を実際に経験して、イスラエルの民は、第二イザヤが言った「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉は、とこしえに変ることはない」という言葉(イザヤ40・8)をかみしめたことであろう。
・紀元前六世紀の中頃までメディア人の支配下にあったペルシアは、その領主クロスがメディアの王アスティアゲスを倒して、みずからメディアとペルシアの王として即位した(前558-529年在位)。そしてクロスは、前539年には、バビロニア帝国を倒し、バビロニアの領地をも支配することになった。またその後継者カンビュセス(前530-522年在位)は、前525年にエジプトをも支配したことによって、歴史においてはじめて、西オリエントの全域をペルシア大帝国は支配することになった。そしてこの大帝国は、約200年間存続した。
・ペルシア大帝国は、多くの諸民族を支配することになるが、その政策は大体において以前の支配者よりも寛大であった。特に諸民族の固有の生活・習慣や伝来の宗教を守ることには寛容であった。時には、そのような地方の宗教を擁護したり、また再建したりもした。そういう基本的政策の流れの中で、前538年に、クロスは、バビロンに捕囚になっていたユダヤ人たちが故国に帰還することを許可したのである。クロスは、エルサレムの神殿の再建を許可しただけでなく、ネブカデネザルが没収していた神殿の器物を返還することも命じた。この勅令のアラム語による原文は、エズラ記6章3-5節に保存されている。そして、このエルサレム帰還の指導者としてセシバザルという男が任命された(エズラ記1・11)。木田献一氏によると、このセシバザルは、バビロンに捕囚になっていたエホヤキン王の第四男であり、イザヤ書53章などに歌われている「苦難のしもべ」のモデルになった人物である。同氏によると、セシバザルはダビデ家の家系ということもあって、帰還の民にメシアとして期待されたが、ペルシア当局によって失脚させられ、非業の死を遂げた、というのである。
・さて、エルサレム神殿の再建事業は、基礎が据えられた時点で、中断されてしまった。その理由は、ハガイ書1章1-11節の言葉から推測される。すなわち、エルサレムとその周囲の地の状況が余りにも悪く、そのために帰還した人々が非常に意気消沈していたので、彼らが神殿再建の事業に喜びを見付けることができなかったからである。人々は、「主の家を再建する時は、まだきていない」と言っていた(ハガイ書1・2)。彼らはまだ、自分たちの生活に忙しくしており、神殿再建の事業までには余裕がなかったのである(ハガイ書1・9)。当時既に、「板で張った家」に住んでいた人々がいたことは確かであるが(ハガイ書1・4)、それは多分、ほんのわずかであったであろう。そしてエルサレムの町は依然としてひどく荒れ果て、そこに住んでいた多くの人々は、きっと非常にみすぼらしい生活をしていたであろう。さらにまた、旱魃が起こったりし(ハガイ書1・10-11)、彼らの生活はますます苦しくなったようである。また、当時ユダ地方は、サマリア州に含まれており、そのサマリア総督の妨害にもあった(エズラ記4・4-5)。そのような事情からエルサレム神殿の再建事業は頓挫し、約20年間ほうっておかれたのである。
・ペルシア帝国においては、カンビュセス二世の後、政変が起こって多少混乱したが、ダレイオス一世が支配権を握り(前522-486年在位)、帝国内を安定させた。彼は、クロスと同様、支配地に対する宗教的寛容を示した。そして、かつてクロスが出したエルサレム神殿の再建許可の勅令が有効であるとされた。そういう中で、ユダヤでは再び神殿再建の気運が起こり、前520年にバビロンの地からゼルバベルという男が帰還して、この事業を指導した。彼は、バビロン捕囚になったエホヤキン王の孫に当たり、ダビデ家の家系の者ということもあって、後にはメシア的期待がもたれた。さて、ゼルバベルは、大祭司ヨシュアと協力してこの再建事業を指導し、また預言者ハガイとゼカリヤが彼らを支持して、人々に再建事業を激励した。その結果、サマリアの再度の妨害はあったが、516年についに第二神殿が完成した。この神殿は、ソロモンの神殿に比べると貧弱なものであった。その落成の時、ゼルバベルは民族的英雄となり、ユダヤのメシア(王)に即位されようとしたが、これもやはりペルシア当局によって失敗したようである。この時、ユダヤの民衆は大いなる挫折を経験したが、ダビデ家の子孫からメシアが現れるという期待はその後もしばしば起こるのである。

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