すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エゼキエル書  >  2011年1月20日祈祷会(エゼキエル6章、偶像礼拝の罪)
1.偶像礼拝の山

・エゼキエルは、1,000kmも離れたイスラエルの山に向かって預言することを命じられる。人々がその山々で偶像礼拝の罪を起したことにこそ、エルサレム破壊の理由があることを示すためだ。
-エゼキエル6:1-3「顔をイスラエルの山々に向け、それに向かって預言して言え。イスラエルの山々よ、主なる神の言葉を聞け。主なる神は、山と丘、川と谷に向かって言われる。私は剣をお前たちに臨ませ、聖なる高台を破壊する」。
・カナンの人々は高台や丘の上に祭壇を設けて偶像の神々を拝んでいた。そこでは豊穣の神々に動物や人間の犠牲が捧げられ、神殿娼婦たちとの性的な交わりさえも神事とされていた。イスラエルの民はこの偶像礼拝に惹かれて行った。
-イザヤ57:7-8「高い山の上に、お前は床を設け、上っていけにえを捧げた。お前は扉と門柱の後ろにお前の像を置き、私に背いて裸になり、床を広くしてそこに上り、彼らと契約を交わし、床を共にすることを愛し、そのしるしを見た」。
・預言者は繰り返し偶像礼拝の罪を断じ、為政者もそれを廃棄したが根絶できなかった。ヨシヤ王の宗教改革の記事によれば、エルサレム神殿の中でにさえバアルやアシェラが拝まれていた。
-列王記下23:4「王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、入り口を守る者たちに命じて、主の神殿からバアルやアシェラや天の万象のために造られた祭具類をすべて運び出させた。彼はそれをエルサレムの外、キドロンの野で焼き払わせた」。
・エゼキエルは、高台は破壊されるが、それは人間の改革によってではなく、全地に及ぶ外敵の破壊活動によってしかならないことを見通している。ここにエゼキエル書の主題「お前たちは私が主であることを知るようになる」が出てくる。人々は山々に投げ捨てられた偶像礼拝者の死体を見て、「主を知る」。
-エゼキエル6:4-7「祭壇は荒れ果て、香炉台は砕かれる。また、私は、お前たちの中の殺された者を、偶像の前に投げ捨てる。私はイスラエルの人々の死体をその偶像の前に置き、お前たちの骨を祭壇の周りにまき散らす。お前たちの住む所はどこにおいても、町は廃虚とされ、聖なる高台は荒らされる。祭壇も廃虚とされて荒らされ、偶像は粉々に砕かれ、香炉台は打ち壊され、こうしてお前たちの作ったものは一掃される。また、殺された者がお前たちの真ん中に倒れる。そのとき、お前たちは私が主であることを知るようになる」。

2.主が神であることを知るために

・8節からは捕囚とされた人々が、その捕囚の苦しみを通して、「主こそ神である」ことを知るようになると預言される。
-エゼキエル6:8-10「お前たちが諸国に散らされるとき、私はお前たちのために、剣を逃れた者を諸国民の間に残しておく。お前たちのうちで逃れた者は、捕囚として連れ去られる先の国々で私を思い起こす。私を離れ去る姦淫の心と、偶像にひかれる姦淫の目を私が打ち砕くからだ。そして彼らは・・・自分を嫌悪するようになる。そして彼らは、私が主であり、理由もなくこの災いを彼らにくだすと告げたのではなかったことを知るようになる」。
・人は苦しみなしに神を知ることはできない。捕囚の苦しみの中で書かれた書が「レビ記」だ。レビ記の中で、人々は「自分たちは何故滅ぼされたのか」を模索し、「理由もなく災いを下されたのではない」ことを知るようになる。
-レビ記26:27-44「それでも、まだ私の言葉を聞かず、反抗するならば、私は激しい怒りをもって立ち向かい・・・あなたたちの聖なる高台を破壊し、香炉台を打ち壊し、倒れた偶像の上にあなたたちの死体を捨てる・・・私はあなたたちを異国に追い散らし、抜き身の剣をもって後を追う・・・生き残った者も、敵の国々で・・・やせ衰え、更には先祖の罪のために、彼らと同じようにやせ衰える。しかし、もし彼らが自分と自分の先祖の罪、すなわち、私を欺いて、反抗した罪を告白するならば・・・私は彼らを捨てず、退けず、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らと結んだ私の契約を破らない」。
・軍事的破壊の後には飢饉や疫病を通じた破壊が訪れる。エゼキエルは立って「死の舞踏」を舞うように命じられる。徹底的な破壊を通じて初めて、人々は「バアルでなく主こそ神である」ことを知る。
-エゼキエル6:11-14「手をたたき、足を踏み鳴らして、イスラエルの家の忌まわしいすべての悪事を嘆け。彼らは剣と、飢饉と、疫病によって倒れるからだ。遠くにいる者は疫病で死に、近くにいる者は剣で倒れる。それを免れ、生き残る者も飢饉で死ぬ・・・殺された者たちが・・・倒れるとき、お前たちは、私が主であることを知るようになる。私は彼らに向かって手を伸ばし、この地を荒廃させ、荒れ野からリブラに至るまで、彼らが住むすべての地を荒れ果てたところとする。そのとき、彼らは、私が主であることを知るようになる」。
・「ご自分の民にここまでなさるとは、神とは一体どのようなお方であろうか」との疑問を預言書は読む者は思うだろう。裁きは神から来る、しかし惨劇は本来的には人間の背きの故であることを忘れてはならない。毛沢東は1958年大躍進政策を発表し、数年間で米英の経済力を凌駕する鉱工業生産の拡大を命じた。しかし農業力・工業力の水準を無視した大増産政策により田畑は荒廃し、農産物生産は激減し、人々は飢餓に苦しんだ。彭徳懐は政策の転換を毛沢東に進言したが逆に社会主義の裏切り者として投獄された。この大躍進政策により1958〜61年に3千万人〜6千万人が餓死したと言われている。この政策失敗から毛沢東に批判が集まり、彼は批判者を追い落とすため文化大革命を引き起こし、中国を未曾有の混乱に陥れた。指導者の神格化=偶像礼拝、人間の罪こそが惨劇を招くのだ。
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