すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エゼキエル書  >  2011年1月13日祈祷会(エゼキエル5章、髪を剃り落とせと命じられる預言者)
1.髪を剃り落とすように命じられる預言者

・エゼキエルはエルサレム包囲を預言する象徴行為をするように命じられる。最初に命じられたのが左脇を下にして390日間横たわり、次に右脇を下にして40日間横たわる行為である(4:4-8)。エルサレムが包囲され、身動きがつかなくなるさまを行為で示せと命じられる。次にエゼキエルは雑穀を用いてパンを焼き、パンの量は20シュケル(230g)、水が1/6ヒン(0.5L)で暮らせと命じられる(4:9-12)。包囲に伴って食糧・水が枯渇する様を演じよとの命令だ。
・三番目の命令は、髪の毛と髭を剃り、その1/3を火で燃やし、1/3を剣で切り刻み、1/3を風に散らせというものだった。-エゼキエル5:1-2「人の子よ、あなたは鋭い剣を取って理髪師のかみそりのようにそれを手に持ち、あなたの髪の毛とひげをそり、その毛を秤にかけて分けなさい。その三分の一は包囲の期間が終わったときに都の中で火で燃やし、ほかの三分の一は都の周りで剣で打ち、残り三分の一は風に乗せて散らしなさい。私は剣を抜いてその後を追う」。
・その意味が後半で示される。エルサレムの住民の1/3は包囲戦の中で疫病や飢餓で死に、他の1/3は侵略してきた敵兵の剣で切り殺され、残りの1/3は捕えられ捕囚にされるとの意味である。
-エゼキエル5:12「お前の中で三分の一は疫病で死んだり、飢えで息絶えたりし、三分の一は都の周りで剣にかけられて倒れ、残る三分の一は、私があらゆる方向に散らし、剣を抜いてその後を追う」。
・しかし少数の者は残される。風に飛ばされた髪の毛の一部は預言者の着物の裾に包まれ、保存される。彼ら残りのものから将来の再生が為されていく。ここに審判が滅びではなく救いであることが示されている。
-エゼキエル5:3-4「あなたはその中から毛を少し取って着物の裾に包み、更にその幾らかを取って火に投げ入れ、火で燃やしなさい。そこからまた火が出て、イスラエルの全家に及ぶであろう」。
・エルサレムは神を拒んだ。それゆえに神もエルサレムを拒まれる。神はイスラエルを通して諸国民を救おうとされたが、イスラエルはその期待に背き、己の欲望を追及して行ったゆえにイスラエルは今裁かれる。
-エゼキエル5:5-8「これはエルサレムのことである。私はこの都を国々の中に置き、その周りを諸国が取り巻くようにした。しかし、この都はそれらの国々よりも、いっそう私の裁きに逆らい、周りの諸国より激しく私の掟に逆らった・・・お前たちが周りの国々よりもいっそうかたくなで、私の掟に従って歩まず、私の裁きを行わず、周りの国々で定められている裁きほどにも行わなかったので・・・私もお前に立ち向かい、国々の目の前でお前の中で裁きを行う』」。

2.裁きによって清められる

・イスラエルは神の民であるゆえに、その裁きはこれまでになく過酷なものになる。親と子が互いにその肉を食い合うような悲惨な出来事が生じるだろうと預言される。
-エゼキエル5:9-10「私がお前に対して行うことは、私が今まで行ったこともなければ、またこれから再び行うこともないようなことである。それはお前が行ったあらゆる忌まわしいことのゆえである。それゆえ、お前の中で親がその子を食べ、子がその親を食べるようなことが起こる。私はお前に対して裁きを行い、残っている者をすべてあらゆる方向に散らせてしまう」。
・イエスも「多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は更に多く要求される」と言われた(ルカ12:48)。神の恵みは使命を果たすために与えられ、それを自分のために浪費する者は浪費の実を刈り取らねばならない。エルサレムに求められていることは私たち一人一人に求められているのだ。
-ヤコブ3:1「私の兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。私たち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています」。
・裁きを受けた時「どうしてこんなことが私の身に降りかかるのか。私が何をしたのか」という者は滅びの中に消え去る。罪のゆえに私にこの災いが及んでいることを自覚する者のみが再生の残りの者となりうる。災いは神から来るのだ。
-エゼキエル5:14-17「私はお前を廃虚とし、すべての旅人の目にも、周りの国々にも、嘲りの的とする。私が怒りと憤りと激しい懲らしめをもってお前を裁く時、お前は周りの国々の嘲りとそしりの的となり、教訓となり脅威となる・・・私は滅びに定められた者に対して悲惨な飢えの矢を放つ。お前たちを滅ぼすためにそれを放つとき、私は飢えをますますひどくし、パンをつるして蓄える棒を折る。私は飢えと狂暴な獣をお前たちに送り込み、子供たちを奪わせる。疫病と流血はお前の中を通り抜ける。また私は剣をお前に臨ませる。主なる私がこれを告げる」。
・出口のない苦難を私たちはどのように受け止めるべきかを、エティ・ヒレムスの日記は示している。彼女は1943年、29歳でアウシュヴィッツのガス室で亡くなった。彼女は死の運命もまた神が与えられたと受け入れて行く。
-エティ・ヒレムスの日記から「一つのことだけが私にはっきりしてきました。あなたは私たちを助けることが出来ず、私たちがあなたを助けなくてはならないということです。そうすることで私たちは終に私たち自身を助けることになりましょう。私たちの中にあるあなたの一部を救うこと、私たちの内にあるあなたの住処を最後の最後まで守らなくてはならないということです」。
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