すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エゼキエル書  >  2011年1月6日祈祷会(エゼキエル4章、エルサレム包囲の預言)
1.エルサレム包囲の預言

・エゼキエル書4-5章には三つの無言劇が記されている。預言者の象徴行為と言われているものだ。エレミヤも陶器の器を公衆の前で砕いて国の滅亡を示すように求められ(エレミヤ19章)、鉄のくびきをはめて捕囚を象徴したりしている(27-29章)。エゼキエルが演じるように命じられたのは、エルサレム包囲の無言劇だった。
-エゼキエル4:1「人の子よ、れんがを一つ取って目の前に置き、その上に都であるエルサレムを刻みなさい。そして、これを包囲し、これに向かって堡塁を建て、塁を築き、陣営を敷き、破城槌を周囲に配備しなさい。自ら鉄の板を取り、それを自分と都との間に鉄の壁とし、あなたの顔を都に向けなさい。こうして都は包囲される。あなたがそれを包囲するのだ。これはイスラエルの家に対するしるしである」。
・メソポタミヤでは粘土板の上に鉄筆で文字を刻んだ。エゼキエルはその粘土板にエルサレムの地図を書き、それが敵に包囲される様子を演じよと言われた。バビロン軍によるエルサレム包囲は前588年に始まった。包囲は1年半続き、包囲されたエルサレムでは飢餓が始まり、やがて陥落、以降苦難の日々が続く。その年月を預言したのが次の象徴行為だ。
-エゼキエル4:4-8「左脇を下にして横たわり、イスラエルの家の罪を負いなさい。あなたは横たわっている日の数だけ、彼らの罪を負わなければならない。私は彼らの罪の年数を、日の数にして、三百九十日と定める。こうして、あなたは、イスラエルの家の罪を負わねばならない。その期間が終わったら、次に右脇を下にして横たわり、ユダの家の罪を四十日間負わねばならない。各一年を一日として、それをあなたに課す。あなたは包囲されたエルサレムに顔を向け、腕をまくり上げて、これに向かって預言しなさい。私があなたに縄をかけるので、あなたはその包囲の日が終わるまで、一方の脇から他の脇へと寝返りを打つことができなくなる」。
・390日と40日、合わせて430日は何を意味するのであろうか。包囲が1年半続くことの象徴であろうか。430年はエジプト幽閉の年月(出エジプト12:40)でもあることから、390年の罪の歴史により(前967年のソロモンの神殿建設開始から捕囚前587年までは380年)、40年間の懲らしめ(捕囚期間は実際には60年間であった)を受けなければいけないとのしるしであろうか。40日を荒野の40年と解釈する人もいるが(民数記14:33-34)、実のところ、数字の意味はわからないし、わかる必要もないのかもしれない。それが預言(黙示)の預言たるゆえんだ。

2.包囲によって生じる飢餓地獄

・エルサレム包囲下、城内では食べ物と水が不足し、人々は飢餓に苦しめられる。雑穀を用いてパンを焼けとは食糧不足の象徴であるし、毎日与えられるパンの量が20シュケル(230g)、水が1/6ヒン(0.5L)とは生存がかろうじて可能になる少なさである。エゼキエルはその少ない食べ物を食べて故国の苦しみを示せと命じられる。日本の戦時中の国内配給は1日米2.3合(330g)だったという。しかし戦地では補給の途絶によって多くの将兵が餓死して行った。ガダルカナルの死者2万人のうち、戦死は5千名で他は戦病死(餓死)であり、同島は餓島と呼ばれた。
-エゼキエル4:9-11「あなたは小麦、大麦、そら豆、ひら豆、きび、裸麦を取って、一つの器に入れ、パンを作りなさい。あなたが脇を下にして横たわっている日数、つまり三百九十日間、それを食べなさい。あなたの食べる食物の分量は一日につき二十シェケルで、それを一定の間隔をおいて食べなければならない。あなたの飲む水の分量は六分の一ヒンで、それを一定の間隔をおいて飲まなければならない」。
・エゼキエルはパンを人糞で焼けと命じられる。燃料不足を象徴する行為である。しかし祭司エゼキエルは「汚れたものを食べることはできない」と抗議し、主は牛糞を用いることを許される。牛糞は砂漠ではありふれた燃料だった。
-エゼキエル4:12-15「『それを人々の目の前で、人糞で焼きなさい・・・このようにイスラエルの人々は私が追いやる先の国々で、汚れたパンを食べる』。そこで、私は言った『ああ、主なる神よ、私はわが身を汚したことがありません・・・』。主は私に言われた『あなたが人糞の代わりに牛糞を用いることを私は許す。あなたはその上でパンを焼くがよい』」。
・包囲下のエルサレムで生じる飢餓の始めは、食物や水の不足だ。しかしそれは手始めにすぎない。
-エゼキエル4:16-17「人の子よ、私はエルサレムのパンをつるして蓄える棒を折る。彼らはおびえながらパンの目方を量って食べ、硬直した様で水を升で量って飲むようになる。彼らは罪のゆえにパンにも水にも事欠き、やせ衰えて、互いに恐れに取りつかれる」。
・やがて食糧の不足は「親がその子を食べ、子がその親を食べる」という人肉給食の預言となっていく。1941年に始まったレニングラード攻防戦ではドイツ軍の包囲は3年に及び、人口300万人のうち推計100万人以上が餓死、生き残った人々は死体の肉を食べて生存を確保したという。また子どもの肉は美味として子どもの誘拐・殺人も頻発、人肉専門の市場まで現れたと歴史書は記す。今日、イスラエルに包囲されたガザ地区でも同じことが起きているのではないか。
-エゼキエル5:9-10「私がお前に対して行うことは、私が今まで行ったこともなければ、またこれから再び行うこともないようなことである。それはお前が行ったあらゆる忌まわしいことのゆえである。それゆえ、お前の中で親がその子を食べ、子がその親を食べるようなことが起こる。私はお前に対して裁きを行う」。
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