すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年11月3日祈祷会(詩編71篇、恥辱からの救いを求める祈り)
1.老年期に苦難に追い込まれた詩人

・70人訳では本詩の表題を「ダビデに、ヨナタブの子らと最初に囚われた者たちの」とする。「ヨナタブの子ら」と呼ばれる神殿詠唱者の一人が作った詩であろう。彼は若い時から「主の驚くべき御業」を学び、竪琴を奏でつつ、同胞にそれを歌って聞かせる詠唱者であったのであろう。
−詩編71:14-22「私は常に待ち望み、繰り返し、あなたを賛美します。私の口は恵みの御業を、御救いを絶えることなく語り、なお、決して語り尽くすことはできません・・・神よ、私の若い時からあなた御自身が常に教えてくださるので、今に至るまで私は驚くべき御業を語り伝えて来ました・・・私もまた、私の神よ、琴に合わせてあなたのまことに感謝をささげます。イスラエルの聖なる方よ、私は竪琴に合わせてほめ歌をうたいます」。
・しかし老いを控えて、不慮の災厄に見舞われ(7節「多くの人が驚く」は下された災いについての驚き)、彼を良く思わない者たちは彼を「神が見捨てられた」と考え、神殿の務めから排除しようとした。
−詩編71:9-12「老いの日にも見放さず、私に力が尽きても捨て去らないでください。敵が私のことを話し合い、私の命をうかがう者が共に謀り、言っています『神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕えよう。彼を助ける者はもういない』と。神よ、私を遠く離れないでください。私の神よ、今すぐ私をお助けください」。
・人々が「神の怒りに違いない」と驚くほどの苦難、重い病(おそらくはらい病)に罹り、神殿職務から排除された。神殿奉仕者がらい病に罹る、想像できない苦しみがそこにある。今日でいえば牧師が重い精神障害に罹患したような状況であろうか。イザヤの描く「主の僕」も同じような病に冒されていたと思われる。
−イザヤ52:14-15「かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように、彼の姿は損なわれ、人とは見えず、もはや人の子の面影はない。それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見、一度も聞かされなかったことを悟ったからだ」。
・その中で詩人は神の正義(ツェダカー、2節・恵みの御業)に頼り、救済を求める。
−詩編71:1-4「主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく、恵みの御業によって助け、逃れさせて下さい。あなたの耳を私に傾け、お救いください。常に身を避けるための住まい、岩となり、私を救おうと定めて下さい・・・あなたに逆らう者の手から、悪事を働く者、不法を働く者の手から私を逃れさせて下さい」。

2.神の希望と人の希望

・主なる神はこれまで彼を守り導いてくれた故に、絶望の底にあっても彼は希望を失わない。この世の希望は現在の状況の延長線上にある。「そうなるだろう」、「そうなってほしい」という希望だ。しかし神にある希望は、神の約束は必ず成就すると信じて望むことだ。だから現在の状況がいかに絶望的であっても希望することが出来る。
−71:5-6「主よ、あなたは私の希望。主よ、私は若い時からあなたに依り頼み、母の胎にある時からあなたに依りすがって来ました。あなたは母の腹から私を取り上げて下さいました。私は常にあなたを賛美します」。
・パウロはロ−マ書の中でアブラハムの信仰を讃える。それは彼が100歳にもなり、もはや「子を持つ望み」が断たれたかに見えた時に、子を与えるという恵みをいただいたからだ。この経験をした者はどのような状況の中にあっても希望を失わない。だから彼は「その子を捧げよ」という理解できない神の命にも、従うことが出来た。
−ローマ4:18「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました」。
・なぜ自分が老年になってこのような苦難を負わなければいけないのか、彼にはわからない。周りの人々の排除の中で彼は傷ついている。しかしそれを覆い包む神の義を彼は求める。これまでの恵み、それが彼の希望の根拠である。
−詩編71:19-21「神よ、恵みの御業は高い天に広がっています。あなたはすぐれた御業を行われました。神よ、誰があなたに並びえましょう。あなたは多くの災いと苦しみを私に思い知らせられましたが、再び命を得させて下さるでしょう。地の深い淵から再び引き上げて下さるでしょう」。
・詩人の置かれた外的状況は解決していない。しかし、その中で彼は主を賛美することが出来る。
−詩編71:23-24「私の唇は喜びの声をあげ、あなたが贖って下さったこの魂は、あなたにほめ歌をうたいます。私の舌は絶えることなく恵みの御業を歌います。私が災いに遭うことを望む者がどうか、恥と辱めに落とされますように」。
・彼は神との平和の中にある。その時どのような苦難の中でも神を賛美することが出来る。そして希望を持ち続ける者はどのような状況でも生き残ることが出来る。ヴィクトール・フランクルは言う「収容所を生き残ったのは体力の優れた者たちではなく、希望を失わなかった者たちだった」(夜と霧〜アウシヴィッツからの帰還)。
−ローマ5:3-5「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。私たちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望は私たちを欺くことがありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」。
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