すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年9月22日祈祷会(詩編65篇、赦しを与えてくださる神への讃美)
1.赦しを与えてくださる神を拝する

・詩編65編は神殿で捧げ物を捧げる際に歌われた讃美だ。詩人は言う「沈黙してシオンにおられるあなたに讃美を捧げます。あなたは罪を贖ってくださる方」と。「シオン」はエルサレムの丘であるが、ダビデの子ソロモンが神殿を立てた故に神殿を意味する言葉となった(表題に「ダビデの歌」とあるのは慣行によるもので、後代の編集の言葉)。
−詩編65:2-4「沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。あなたに満願の献げ物をささげます。祈りを聞いてくださる神よ、すべて肉なるものはあなたのもとに来ます。罪の数々が私を圧倒します。背いた私たちをあなたは贖ってくださいます」。
・詩人は神を「祈りを聞いてくださる方、背いた私たちを購ってくださる方」と賛美する。70人訳聖書表題には「エレミヤとエゼキエルの寄留の言葉から彼らが出立しようとした時」とあり、この歌は「神に背いてバビロンに捕囚になった民が許されて帰国し、再建された神殿で犠牲を捧げることができるようになったことへの感謝」の歌とされる。
−詩編65:5「いかに幸いなことでしょう。あなたに選ばれ、近づけられ、あなたの庭に宿る人は。恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によって、私たちが満ち足りますように」。
・6節から詩人の視点は全世界に拡大し、天地を創造され支配される神への讃美が展開する。「山々」は神に創造された秩序を、「海と波」はその秩序を乱す混沌を象徴しているのであろう。神はその混沌をも治める方と讃美が続く。
−詩編65:7-8「御力をもって山々を固く据え、雄々しさを身に帯びておられる方。大海のどよめき、波のどよめき、諸国の民の騒ぎを鎮める方」。
・バビロン捕囚を通じて、民は神が「バビロンにもおられる」ことを見出した。主(ヤハウェ)は単にイスラエルの神だけではなく、全世界の神であることを見出した民は、諸国の民に「この方を見よ」と述べ伝えるために聖書を編集していく。災いと思えた捕囚こそが、イスラエルを「神により頼む聖書の民」へと変えていった。
−詩編65:6-9「私たちの救いの神よ、あなたの恐るべき御業が、私たちへのふさわしい答えでありますように。遠い海、地の果てに至るまで、すべてのものがあなたに依り頼みます・・・お与えになる多くのしるしを見て、地の果てに住む民は畏れ敬い、朝と夕べの出で立つところには、喜びの歌が響きます」。

2.豊かな恵みに感謝する

・10節からは食べ物を与えてくださる主の恵みに関する感謝が歌われる。天地を支配する神は、「神の水路=天に蓄えた水」を雨として地上に降らせ、その雨が畑を潤し、穀物を成長させてくださると賛美する。
−詩編65:10-11「あなたは地に臨んで水を与え、豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え、畝を潤し、土をならし、豊かな雨を注いで柔らかにし、芽生えたものを祝福してくださるからです」。
・イスラエルでは、雨期の秋から冬にかけて、農夫は種を蒔き、牧羊者は群れを荒野に導く。そして春になると収穫の初穂が神殿に捧げられ、夏や秋には刈入が行われ、人々は収穫感謝を祝う。イスラエルの祭りは全て農業と牧畜に関する感謝が土台となっている。イエスが過越しの祭りの時に十字架で死なれたことを、新約の人々は「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)と理解した。
−過ぎ越しの祭り(3-4月)=大麦の初穂を捧げ、子羊の初物を捧げる、七週の祭り(5-6月)=大麦の刈入れの終わり、小麦の刈入れの始まり、仮庵の祭(9-10月)=秋の収穫祭
・詩人は故国に帰り、主が豊かな恵みを下さったことを感謝して歌う。穀物が豊かに実り、子羊も多く生まれた。
−詩編65:12-14「あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。荒れ野の原にも滴り、どの丘も喜びを帯とし、牧場は羊の群れに装われ、谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています」。
・この詩の全体構成はエレミヤ書に似ている。捕囚からの解放とその後の豊作の実りが背景にあるようだ。
−エレミヤ5:22-25「私を畏れ敬いもせず、私の前におののきもしないのかと主は言われる。私は砂浜を海の境とした。これは永遠の定め、それを越えることはできない。波が荒れ狂っても、それを侵しえず、とどろいても、それを越えることはできない。しかし、この民の心はかたくなで、私に背く。彼らは背き続ける。彼らは、心に思うこともしない。『我々の主なる神を畏れ敬おう、雨を与える方、時に応じて、秋の雨、春の雨を与え、刈り入れのために、定められた週の祭りを守られる方を』と。お前たちの罪がこれらを退け、お前たちの咎が恵みの雨をとどめたのだ」。
・ペシャワール会「アフガンの水」のビデオを見た。戦争と干ばつに苦しむアフガニスタンで、砂漠に水路を造り、そこを緑の畑に変えようと努力する、クリスチャン医師・中村哲氏の25年間の活動記録だ。主の恵みはそれを担う人によって伝えられるという事実をそこに見たような気がする。
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