すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年9月1日祈祷会(詩編62篇、神の前に静まる)
1.苦難の中にあっても動揺しない

・詩編62篇の前書きは「エドトンに合わせて、賛歌、ダビデの詩」とする。エドトンとは神殿の奏楽者たちを指揮したレビ人の一人で、内容は「エドトンの調べによって歌う」という意味であり、直接に詩の内容を示すものではない。
-詩編62:1「指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩」。
・詩人は「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう」と歌う。それは「わが救いは神から来る」と詩人が信じるゆえだ。
-詩編62:2-3「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう。神に私の救いはある。神こそ、私の岩、私の救い、砦の塔。私は決して動揺しない」。
・「沈黙して神に向かう」とは、あきらめて何もしないということではない。詩人は困難な状況下にあり、不安や焦り、怒りや不信に揺れ動いていたが、神に祈ることによってすべての波が静まり、今は沈黙してすべてを御手に委ねることができると言う平和を歌っているのである。詩人を取り巻く困難な状況が4節以下に描かれる。
-詩編62:4-5「お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにしようとして一団となり、人を倒れる壁、崩れる石垣とし、人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。常に欺こうとして、口先で祝福し、腹の底で呪う」。
・「お前たち」と呼ばれているのは同じくイスラエルに属する同胞であろう。彼らは「(私を)亡きものにしようとして」襲い掛かり、「(私を)倒れる壁、崩れる石垣」にしようとする。詩人を今の地位から引き下ろし、自分たちが取って代わろうとする権力闘争が背景にあるのかもしれない。故に彼らは「口先で祝福し、腹の底で呪う」。私たちは「罵られたら罵り返し」、「打たれたら打ち返す」存在だ。詩人もそうしたい。しかし彼はその混乱と苦悩の中ですべてを神に委ねて、その裁きを待つ。「私は動揺しない」と彼は述べる。
-詩編62:6-7「私の魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、私は希望をおいている。神は私の岩、私の救い、砦の塔。私は動揺しない」。

2.神の前に静まる〜自分の力で救済を図らない

・詩人は続ける「私の救いと栄えとは神にかかっている。私の避け所は神だ」と。
-詩編62:8-9「私の救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。民よ、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。神は私たちの避けどころ」。
・「御前に心を注ぎ出せ」、自分の全存在を神の前にさらけ出し、ありのままの姿を見てもらえ。すべてを神の裁きに委ね、それに従う時に、命の道は開けて行く。自分の力に頼って何かを為してもそこに起こるのは虚偽と暴虐であることを私たちは知っているではないかと。
-詩編62:10-11「人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな」。
・かつてアッシリアの軍隊がエルサレムを取り囲んだ時、人々は動揺し、慌てふためいていた。その人々に預言者イザヤは言う「立ち返って静かにしているならば救われる」。しかし人々は静かに待つことはできないと答えた。
-イザヤ30:15-16「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた『お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と。しかし、お前たちはそれを望まなかった。お前たちは言った『そうしてはいられない、馬に乗って逃げよう』と。それゆえ、お前たちは逃げなければならない。また『速い馬に乗ろう』と言ったゆえに、あなたたちを追う者は速いであろう」。
・私たちは神の前に沈黙して待つことができない。それは「力は神のものであり、慈しみもまた神のものである」ことを信じることが出来ないからだ。神がこの世を支配しておられることを信じることのできない者は人の力を頼る。しかしそれがいかに虚しいかは歴史が指し示している。
-詩編62:12-13「一つのことを神は語り、二つのことを私は聞いた。力は神のものであり、慈しみは、私の主よ、あなたのものである、と。一人一人に、その業に従って、あなたは人間に報いをお与えになる、と」。
・ユダ王国末期の王エホヤキムは祖国にとって最も現実的と思われる政策、すなわちエジプトに頼ってバビロンに対抗する政策をとった。そのことによってユダはバビロン軍により滅ぼされてしまった。結果的に「人の救いに頼る」という政策は最も非現実的な政策であった。何故ならば、エジプトは自国の盛衰をかけてまでユダを救わないからだ。アメリカもまた自国を危険にしてまでも日本を救わないだろう。日米安保条約に国の防衛を依存する日本の態度はエホヤキムの選択に似ているのではないだろうか。
-詩編60:13-14「どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2010年8月25日祈祷会(詩編61篇、地の果てからの祈り)
カテゴリートップ
詩編
次
2010年9月8日祈祷会(詩編63篇、慈しみは命にも勝る)