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1.12人の子たちへの祝福



・ヤコブは死に臨んで12人の息子たちを祝福した。後のイスラエル12部族の運命が預言の形で残されている。
―創世記49:1-2「ヤコブはその子らを呼んでいった『集まりなさい。後の日に、あなたがたの上に起ることを、告げましょう、ヤコブの子らよ、集まって聞け。父イスラエルのことばを聞け。』」
・ルベンは長子であったが、その犯した罪(父の側女ビルハと寝た=創35:22)により、長子権を剥奪された。
―創世記49:3-4「ルベンよ、あなたはわが長子、わが勢い、わが力のはじめ、威光のすぐれた者、権力のすぐれた者。しかし、沸き立つ水のようだから、もはや、すぐれた者ではあり得ない。あなたは父の床に上って汚した。」
・ルベン族は12部族の中でも影の薄い存在になり、この部族からは王も預言者も出ない。
―砧鯊綮5:0-1「イスラエルの長子ルベンの子らは次のとおりである。ルベンは長子であったが父の床を汚したので、長子の権はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。それで長子の権による系図にしるされていない。」
・シメオンとレビは妹の復讐のためにシケムの人々を虐殺し(創世記34:26)、ために諸族の間に散らされると預言されている。シメオン族はユダ族の中に吸収されて部族は消滅し、レビ族は下級祭司として諸部族に仕えた。
―創世記49:5-7「シメオンとレビとは兄弟。彼らの剣は暴虐の武器。・・・彼らは怒りに任せて人を殺し、欲しいままに雄牛の足の筋を切った。彼らの怒りは激しいゆえに呪われ、彼らの憤りははなはだしいゆえに呪われる。私は彼らをヤコブのうちに分け、イスラエルのうちに散らそう。」
・大きな祝福を与えられているのはユダとヨセフである。ユダは次第に頭角を現し、兄弟の代表になって行く。
―創世記49:8-10「ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる。あなたの手は敵の首を押え、父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう。ユダはししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。・・・杖はユダを離れず、立法者のつえはその足の間を離れることなく、シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。」
・ユダ族の中からダビデが出て、王国を形成し、ダビデの末からイエス・キリストが生まれる。
―ヨハネ黙示録5:5「長老の一人が私に言った『泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる』」。
・ヨセフはルベンが喪失した長子権を得て、二人の子(マナセとエフライム)が族長として12部族の一部となり、ダビデ王国分裂後はエフライム族が中心になって北イスラエル王国を形成する。
―創世記49:22-25「ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は、かきねを越えるであろう。射る者は彼を激しく攻め、彼を射、彼をいたく悩ました。しかし彼の弓はなお強く、彼の腕は素早い。これはヤコブの全能者の手により、イスラエルの岩なる牧者の名により、あなたを助ける父の神により、また上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、乳房と胎の祝福をもって、あなたを恵まれる全能者による。」
・ヤコブの祝福はその後の部族史を反映している。民族指導者の出身を見ると、モーセはレビ族、ヨシュアはエフライム族,サムエルはエフライム族、サウルはベニヤミン族、ダビデはユダ族である。ルベン、シメオンは独立部族としては存続しえず、レビはモーセによって回復されたが、諸族に仕える下級祭司とされた。他方、ユダとヨセフ(エフライム)は重要な役割を与えられる。人間は自分がまいた種は自分で刈り取らなければならない。


2.ヤコブの死


・ヤコブは「かかとをつかむ者」と言われた程に自分の栄達を求めた。そのヤコブが今、全てを失い、エジプトの寄留民となった。彼には残すべき財産も権力もなかった。彼はただ「神の祝福」を子たちに残して死んでいく。
―創世記49:33「こうしてヤコブは子らに命じ終って、足を床におさめ、息絶えて、その民に加えられた。」
・アブラハムは戦いの生涯であった。イサクは静かな生涯であった。三代目のヤコブは人間の栄達を求める激しい生涯であったが、最後はイスラエル(神の戦士)とされ、他者を祝福し、信仰を子たちに継承した。それぞれの人生がそれぞれに神に導かれ、祝福されたものであった。
―ヘブル11:8-21「信仰によってアブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。・・・信仰によってイサクは、来るべきことについてヤコブとエサウとを祝福した。信仰によってヤコブは死の間際にヨセフの子らを一人一人祝福しその杖の頭によりかかって礼拝した。」
・私たちの人生も神に生かされた人生だ。神は私たち一人一人に関心を持たれ、導かれる。
―パスカル「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。哲学者の神にあらずして」
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