すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エレミヤ書  >  2010年7月22日祈祷会(エレミヤ33章、絶望の中での救い)
1.現実を見つめよと説く預言者

・エレミヤ33章はさまざまの時代のエレミヤの預言、また後代の歴史家たちの補筆を含んだ文書だ。基本になるのは、1-13節のエレミヤの預言である。この預言をした時、エレミヤは獄に囚われている。バビロニヤ軍の包囲が続く中で、ユダの滅亡を預言し、バビロニヤ軍への投降を勧めた預言者は、利敵行為をしたとして捕えられた。
−エレミヤ38:2-3「主はこう言われる。この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデア軍に投降する者は生き残る。命だけは助かって生き残る。主はこう言われる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される」。
・たとえ負けるとわかっていても、支配者は敵軍への投降を勧める預言者を許せない。しかしエレミヤは獄中にあっても預言を曲げない。やがてバビロニヤ軍は城壁を打ち破り、エルサレムに突入し、都は死体であふれると預言する。
−エレミヤ33:4-5「攻城の土塁が築かれた後、剣を帯びた敵の侵入を防ぐために、破壊されたこの都の家屋とユダの王の宮殿について、イスラエルの神、主はこう言われる。彼らはカルデア人と戦うが、都は死体に溢れるであろう。私が怒りと憤りをもって彼らを打ち殺し、そのあらゆる悪行のゆえに、この都から顔を背けたからだ」。
・しかし、エレミヤの預言は敗北で終わらない。人は罪を購うために犠牲を払わなければいけないが、その購いの後には再び主の恵みを受ける。主は罪を裁かれるが、その裁きは祝福のためだからだ。
−エレミヤ33:6-9「しかし、見よ、私はこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。そして、ユダとイスラエルの繁栄を回復し、彼らを初めのときのように建て直す。私に対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す。私がこの都に与える大いなる恵みについて世界のすべての国々が聞くとき、この都は私に喜ばしい名声、賛美の歌、輝きをもたらすものとなる。彼らは、私がこの都に与える大いなる恵みと平和とを見て、恐れおののくであろう」。
・人は罪の代価を買い取る必要がある。エルサレムの民は殺され、生き残った者はバビロンの地に捕囚された。日本が1945年8月に降伏した時、満州や樺太には軍民合わせて272万人の日本人が残された。そのうち、107万人がシベリヤに抑留され、34〜37万人が死んだとされている。この尊い犠牲の上に、今の日本が立っていることを銘記すべきであろう。

2.捕囚地で希望を失くした者たちへの使信

・33:10-13はエルサレム陥落後の預言であろう。エルサレムは廃墟となり、誰も住まない。山間の町々(北部)、シェフェラの町々(西部)、ネゲブの町々(南部)も荒廃しているが、やがてそれらの町々賑わいを取り戻す。
−エレミヤ33:10-13「主はこう言われる。この場所に、すなわちお前たちが、ここは廃虚で人も住まず、獣もいないと言っているこのユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる。そこは荒れ果てて、今は人も、住民も、獣もいない。しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者の・・・声が聞こえるようになる。それは私が、この国の繁栄を初めのときのように回復するからである。万軍の主はこう言われる。人も住まず、獣もいない、荒れ果てたこの場所で、またすべての町々で、再び羊飼いが牧場を持ち、羊の群れを憩わせるようになる。山あいの町々、シェフェラの町々、ネゲブの町々、ベニヤミン族の所領、エルサレムの周辺、ユダの町々で、再び、羊飼いが、群れをなして戻って来る羊を数えるようになる」。
・33:14-26は70人訳ギリシャ語聖書にない。70訳聖書が完成したのは紀元前3〜4世紀のアレクサンドリアと言われる。この個所は捕囚末期、あるいは帰還直後の申命記史家と言われる歴史家たちの補筆であろう。歴史家たちは、ダビデ王家は断絶したが、主はその切り株から新しいダビデ王家につながる王(正義の若枝)が生まれるだろうと語る。
−エレミヤ33:14-17「見よ、私が、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る・・・その日、その時、私はダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう・・・ダビデのためにイスラエルの家の王座につく者は、絶えることがない」。
・また崩壊した神殿も再建され、神殿に仕えるレビ人も起されると歴史家は語る。
−エレミヤ33:21-22「私が、わが僕ダビデと結んだ契約が破棄され、ダビデの王位を継ぐ嫡子がなくなり、また、私に仕えるレビ人である祭司との契約が破棄されることもない。私は数えきれない満天の星のように、量り知れない海の砂のように、わが僕ダビデの子孫と、私に仕えるレビ人の数を増やす」。
・最後に歴史家は「主はご自身の民を滅ぼされた」と嘆く捕囚民に、「契約はまだ続いている」と慰める。この新しい契約の希望、ダビデの末からメシアが現れ、民を救うとの希望がその後のユダヤ民族を形成する。このユダヤ民族から、カール・マルクス、ジグムント・フロイト、アルベルト・アインシュタイン等近代を切り開く思想家が生まれている。
−エレミヤ33:24-26「この民は、『主は御自分が選んだ二つの氏族を見放された』と言って、わが民をもはや一国と呼ぶに値しないかのように、軽んじているのをあなたは知らないのか。主はこう言われる。もし、私が昼と夜と結んだ契約が存在せず、また、私が天と地の定めを確立しなかったのなら、私はヤコブとわが僕ダビデの子孫を退け、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ぶことをやめるであろう。しかし私は、彼らの繁栄を回復し、彼らを憐れむ」。


*エレミヤ33章参考資料(2006年12月3日説教から:エレミヤ書33:14-16、回復の約束)

1.神の鞭としての破壊

・エレミヤはイスラエルが国を滅ぼされた時に現れた預言者です。イスラエルはダビデ・ソロモンの時に隆盛を迎えますが、ソロモン死後、王国は南と北に分裂します。北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、残った南王国も、紀元前598年にアッシリアの後継バビロニヤに征服され、王や貴族・祭司たちはバビロンに連れ去られます。第一次バビロン捕囚です。残された王国ではゼデキヤが新しい王として立てられ、イスラエルはバビロニヤの属国となります。ゼデキヤ王は、最初は、バビロニヤとの融和政策を試みますが、やがてエジプトの武力に頼って、バビロニヤの支配から独立しようとします。その結果、イスラエルはバビロニヤ軍の激しい攻撃を受け、首都エルサレムは再びバビロニヤ軍に包囲されました。その時エレミヤが立ち、バビロニヤに降伏せよと勧めます。彼は言いました「主はこう言われる。見よ、私はこの都をバビロンの王の手に渡す。彼はこの町を占領する。・・・お前たちはカルデア人と戦っても、決して勝つことはできない」(32:3-5)。神がイスラエルの罪を裁くためにバビロニヤを遣わされた、バビロニヤは神の鞭なのだ、これに逆らうことをせず、自分たちの罪を悔い改めよとエレミヤは迫りました。これは非常に勇気のいる言葉です。仮に日本が太平洋戦争を戦っている時に、誰かが立って「この戦争は不正だ、罪を悔い改めてアメリカへ降伏せよ」と勧めれば、彼は裏切り者として迫害されるでしょう。エレミヤは捕えられ、獄舎に拘留されます。
・その獄中のエレミヤに神の言葉が再び臨みます。「彼らはカルデア人と戦うが、都は死体に溢れるであろう。私が怒りと憤りをもって彼らを打ち殺し、そのあらゆる悪行のゆえに、この都から顔を背けたからだ」(33:4-5)。滅びの預言です。エレミヤは人々の聞きたがる言葉、救いの言葉を語ろうとしません。それは真実ではないからです。彼は言います「バビロニヤ軍はエルサレムに侵攻し、神殿は破壊され、ダビデ王家は滅びるであろう。神が与えられたこの現実から目をそむけるな、神が何故このようにイスラエルを打たれるのかを知れ。神の前にひざまずき、悔い改めよ。そうすれば神は憐れんで下さる」。しかし、イスラエルは悔い改めず、エジプトに頼って、バビロニヤ軍にあくまでも抵抗します。やがてバビロニヤ軍はエルサレムに侵攻し、預言通りにエルサレムに死体があふれ、全土が焼かれるという悲劇が起こりました。

2.現実を見つめた時に生まれるもの

・エレミヤは「現実を見つめ、神が何故このようにイスラエルを打たれるのかを知れ」と叫びましたが、人々は聞こうとしませんでした。エルサレムに神殿があり、ダビデの血を引く王がいる限り、神が国を滅ぼされることはないと安心していたのです。しかし、エレミヤの預言通り、エルサレムは廃墟となりました。その時、エレミヤは再び主の言葉を語り始めます「ここは廃虚で人も住まず、獣もいないと言っているこのユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる。そこは荒れ果てて、今は人も、住民も、獣もいない。しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者の・・・歌う声が聞こえるようになる」(33:10-11)。
・イスラエル王ゼデキヤは、現実から目をそむけ、エジプトを頼ったため、殺され、ダビデ王家は断絶しました。しかし、ダビデの末から再び王が立てられる日が来るとの回復の約束をエレミヤは聞きます。それが今日のテキスト、エレミヤ書33:14-15です「見よ、私が、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、私はダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める」。正義の若枝、メシア降誕の約束です。このダビデ王家復興の約束が「メシアはダビデの家から生れる」という信仰になり、そしてイエスは私こそ、「メシア、ダビデの子」だと宣言されました。
・今日の招詞としてエレミヤ書31:33を選びました。次のような言葉です「しかし、来るべき日に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」。イスラエルの国は滅び、エルサレムは廃墟となり、王家は断絶し、神殿も破壊されました。人々は前途に何の希望も持つことが出来ません。その時、エレミヤは新しい契約の約束を聞きます。その契約は、旧い契約の更新ではありえません。旧い契約は破棄されました。仮に旧い契約を更新しても何の意味もないでしょう。「人の心はとらえ難く病んでおり」(17:9)、契約を更新しても、また人間の側から破るでしょう。救済は神の恵み以外にはありえないのです。新しい契約においては、「神がその律法を人間の中におき、心に記す」(31:33)ことが起きます。人の心が変えられることを通して新しい約束が成就するのです。イエスは最後の晩餐の時に弟子たちに杯を与えて言われました「この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である」(ルカ22:20)。新しい契約は、イエスの十字架の血により調印されたのです。新約の救いは十字架によって、徹底した砕きの上に来ます。そして、徹底して砕かれるためには、真実を見つめる勇気が必要です。
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