すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エレミヤ書  >  2010年7月15日祈祷会(エレミヤ32章、国の滅亡の中で土地を買う)
1.土地を買えとの主の命令

・前589年年10月、バビロン軍は大軍をもってエルサレムを包囲していたが、その中でエレミヤは王宮の獄舎に捕えられていた。彼がバビロン軍の勝利を預言し、ゼデキヤ王は捕囚とされると預言したからだ。 
−エレミヤ32:1-5「ユダの王ゼデキヤの第十年・・・そのとき、バビロンの王の軍隊がエルサレムを包囲していた。預言者エレミヤは、ユダの王の宮殿にある獄舎に拘留されていた。ユダの王ゼデキヤが『なぜ、お前はこんなことを預言するのか』と言って、彼を拘留したのである。エレミヤの預言はこうである『主はこう言われる。見よ、私はこの都をバビロンの王の手に渡す。彼はこの町を占領する。ユダの王ゼデキヤはカルデア人の手から逃げることはできない。彼は必ずバビロンの王の手に渡され・・・お前たちはカルデア人と戦っても、決して勝つことはできない』」。
・捕えられているエレミヤの所に、故郷アナトトから甥ハナムエルが訪ねる。「伯父シャルムが土地を売るので買い戻してほしい」との要件である。ユダでは親族以外ものものは土地を買えなかった(レビ記25:25)。おそらく他の親族はみな断り、エレミヤの所に話が来た。彼は買い取りを承諾する。主がそうせよと言われたからだ。
−エレミヤ32:6-8「エレミヤは言った『主の言葉が私に臨んだ。見よ、お前の伯父シャルムの子ハナムエルが、お前のところに来て、“アナトトにある私の畑を買い取ってください。あなたが、親族として買い取り、所有する権利があるのです”と言うであろう』。主の言葉どおり、いとこのハナムエルが獄舎にいる私のところに来て言った『ベニヤミン族の所領に属する、アナトトの畑を買い取ってください。あなたに親族として相続し所有する権利があるのですから、どうか買い取ってください』。私は、これが主の言葉によることを知っていた」。
・アナトトは今バビロン軍の占領下にあり、土地は無価値だ。また国が滅亡するその時、エレミヤの生存も保証されていない。しかし、エレミヤはそれが主の命令であると知るゆえに無価値の土地を銀17シュケルで買った。
−エレミヤ32:9-15「私はいとこのハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀十七シェケルを量って支払った。私は、証書を作成して、封印し、証人を立て、銀を秤で量った・・・そして、彼らの見ている前でバルクに命じた 『・・・これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。イスラエルの神、万軍の主が、“この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る”と言われるからだ』」。

2.命令に納得できなくとも従うエレミヤ

・主の命令は不条理だ。意味があるとは思えない。バビロン軍は明日にも城壁を破って突入し、国は滅びるであろう。この都が滅びるまさにその時に、「あなたは私に土地を買え」と言われるとエレミヤは主に抗議する。
−エレミヤ32:24-25「今や、この都を攻め落とそうとして、城攻めの土塁が築かれています。間もなくこの都は剣、飢饉、疫病のゆえに、攻め囲んでいるカルデア人の手に落ちようとしています。あなたの御言葉どおりになっていることは、御覧のとおりです。それにもかかわらず、主なる神よ、あなたは私に、『銀で畑を買い、証人を立てよ』と言われました。この都がカルデア人の手に落ちようとしているこのときにです」。
・主はそのエレミヤに答えられる「私にできないことがあろうか。この都を滅ぼすのは私だ。その私がこの都を再建することができないとあなたは言うのか」と。世界は神が支配してられるのか、それとも人間か。人間であれば人は何の希望も持立てない。弱い者は滅ぼされるのみだ。しかし神であれば異なる。
−エレミヤ32:27-28「主の言葉がエレミヤに臨んだ『見よ、私は生きとし生けるものの神、主である。私の力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか・・・私はこの都をカルデア人の手に、またバビロンの王ネブカドレツァルの手に渡す。王はこの都を占領する。この都を攻撃しているカルデア人が突入し、火を放って焼き払う。屋上でバアルに香をたき、また他の神々に酒を供えて、わたしを怒らせた多くの家を焼き払う」。
・主の言葉は続く「この地は廃墟となろう。しかしその廃墟を私は再び蘇らせる。人々が再び土地を売買する平和をこの地に与える」と。
−エレミヤ32:43-44「この国で、人々はまた畑を買うようになる。それは今、カルデア人の手に渡って人も獣も住まない荒れ地になる、とお前たちが言っているこの国においてである。人々は銀を支払い、証書を作成して、封印をし、証人を立てて、ベニヤミン族の所領や、エルサレムの周辺、ユダの町々、山あいの町々、シェフェラの町々、ネゲブの町々で畑を買うようになる。私が彼らの繁栄を回復するからである、と主は言われる」。
・イスラエルの預言者たちは神の言葉を既に現実の事実であるように語る。預言者的完了形と言われるものだ。私たちはまだ実現していない「神の国」を完了形で語れるだろうか。「神などいない」、「神の国があるならば見せと見よ」という不信と嘲笑の中で、「神の国はここにある」と語れるだろうか。
・日本バプテスト呉基督教会・浅海郁典牧師の説教を紹介したい。エレミヤ32章を現在の自分たちの問題として受け止める良い説教だと思える。(エレミヤ32:6-25、“ああ”、2002.10.20から)〜
「先週やっと献堂式が終わった・・・よく建ったものだと思った。新会堂を建てようとよく決心した時、最初はお金もないのにと出来るわけがないと思っていた。けれどもだんだんと神の計画は新会堂を建てるということなのではないかという気がしてきた。けれども現実にはほとんどお金もない。誰かが一杯出してくれたらという気もあったけれどもそんな保障もない。けれども建てることが神の命令、神の計画であるならばそれに従うしかないと思うようになってきた・・・神の計画と現実の厳しい状況の中で私たちも苦しんでいる。神が、大丈夫だ心配するなと言われるのと、銀行の通帳に充分お金が入っているのとどちらが安心できるだろうか。必要な物は神が備えてくれると信じて神の命令通りにするのか、それとも充分お金があれば神の命令通りにするのか、お金ができてから神の命令通りにするのかどっちなのだと問われているのかもしれない。私たちは信仰を持っている、私たちは真の神を信じている、私たちの信仰はその辺の偶像崇拝とは違うのだ、と教会ではよく言う。けれども私たちの信仰は現実の苦しい状況に左右される、通帳の残高に左右される信仰でしかないのかもしれない。神の命令に聞くよりも、神の言葉に聞くよりも、真っ先に通帳に聞くような信仰でしかないのかもしれない。残高が少なければ何も出来ない信仰でしかないのかもしれない」。
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